ネズミの国
西暦2×××年。
人類は、ついに地球外生命体とのコンタクトに成功した。
地球から約五十万光年離れた、とある星系の炭素系知的生命体。
つながったのは音声通信のみであった。
しかし、数ヶ月にわたる超空間通信の情報交換で、彼等が酸素を呼吸し、脊椎を持ち、体毛を持つ哺乳類的な生物から進化したということ、そして文化的レベルも、科学技術レベルも、地球と大きくかけ離れてはいないことが分かった。
恒星間航行技術の発達により、それまでにも人類は、いくつかの異星生命体を発見してはいた。が、しかし、全く意思疎通の出来ないガス状生命体や、恐ろしいほど生命活動のスローなケイ素系生物など、友人とするには問題のある生命体ばかりであったのだ。
そんな中、互いの超空間通信が偶然混線し合ったことで交流が始まった彼等は、初めて人類の友人となれる種族であるかも知れなかった。
地球側の外務次官として、その星との交流促進に当たることとなったシンイチ=オカは、連邦代表として、これで十回目となる相手の星“サクケンチオ”との超空間通信を行っていた。
今回の通信は収穫が大きかった。
彼等の友好使節団は、すでに地球に向かって出発しており、二ヶ月の後に到着するというのだ。これを発表すれば、地球の歓迎ムードは一気に盛り上がるだろう。
『素晴らしい。あと二ヶ月ですか。貴星の使節団の到着を心よりお持ちしております』
オカ次官は、感激で声が震えるのを抑えられなかった。
『ところで、そ……その……大変言いにくいことなんですが……』
『どうしました? 何かトラブルでも生じましたか?』
それまで淀みなく話していた、サクケンチオの外交官が、急に言葉を濁したのに不安を感じ、オカ次官は聞き返した。
『いや、そうではないのですが……その、地球、という単語ですが……貴星に他の呼び名はないのですか?』
『はあ?』
『実は、我が国には、過去数十年続く超人気ヒーロー番組がありまして……そのヒーローの名が“チキュウジン”番組名が“チキュウ”なのです。あ、むろん意味は貴星とは何の関わりもないのですが……』
なるほど……とオカ次官は心の裡で頷いた。
月面中継基地のマザーコンピュータによる自動翻訳システムを使用しているので、意識せずに日本語を使っていたが、固有名詞はさすがに翻訳できなかったのであろう。
『それはまた、奇妙な偶然もあったものですなあ。ヒーローの名とは光栄です。しかし……それの何がまずいのですか?』
『実はこの“チキュウ”という単語自体に、著作権を持っている企業がありまして……公共電波に乗せるには、著作権使用料を払う必要があるのです』
『はあ?』
『しかも、全く主題と関係のない局面でこの単語を使用しても、著作権を主張してくるので、大変に厄介なのです。それも数年前にこの企業の経営がおかしくなり、創業者一族が外資系企業に株式をすべて譲渡したところから始まった問題なのですが……』
『……いやまあ、込み入った話はけっこうです。しかし、そもそも我々の通信が公開されなければ、問題にはならないはずではないですか?』
『それでは、まったく報道ができません。今回のコンタクトは、我が星にとっても、歴史的にも文化的にも、大きな節目となる素晴らしい出来事です。ぜひ、すべての人々でこの喜びを分かち合いたい』
『いや、ご事情は分かりました。当方にも、似たような堅苦しいことを言う企業がいくつかありますからね。では、“アース”では?』
『あ、いやその、それはもっとまずい』
『はあ?』
『先ほど申し上げた企業、“ラヤツブ”よりも、さらにうるさい“ニーディーズ”という企業がありまして……』
『はあ……』
『その企業の運営するテーマパーク。そこのメインキャラクターの名が“アース”なのですよ。この企業は、子供達が卒業記念に校舎に描いた“アース”の壁画を消させたほど融通の利かない連中でして……』
オカ次官は、大きな溜息をついた。
だが、どうやら彼等が嘘を言っているわけではないことは、その他の通信でも分かった。
また、サクケンチオの政治は企業利益偏重型であるらしく、そのせいか、このようなうるさい企業が、他にも複数あることが分かってきた。
中国語の环球
フランス語のTerr
スペイン語のTierra
ロシア語のЗемля…………
ことごとく、何かのキャラクターや、商標登録された製品と発音が似通っていて、放送や新聞などのメディア媒体に使えない、ということであった。
結局、地球という単語は、彼等の言葉では“柔らかめの粘土”という意味となる、ドイツ語のエルデという発音で統一されることとなった。
――――二ヶ月後
地球-サクケンチオの両外務担当者による初の会談は、月面で行われることとなった。
地球の三分の一の重力しかないサクケンチオで育った彼等にとって、地球は高重力過ぎたからだ。
月軌道上に到着したサクケンチオの母船から、小型船が発進した。
「……著作権に商標登録か。まったく、面倒な星だな。初めての交流に、こんな形で水を掛けられるとは思わなかったよ」
ゆるゆると近づいてくる銀色の小型船を見つめながら、地球連邦外務大臣のイェン=グーインが呟いた。
「まあ、そう仰らないでください。それだけしっかりした知的財産の概念を持っているということだし ”地球”を表す単語以外は、さほど問題になるものはなかったんですから」
横に立つオカ次官がなだめるように言う。
中国人であるイェン大臣は、中国語で地球を指す环球が、彼等の星で最も有名な“避妊具”の商品名であることを知って以来、サクケンチオへの印象が極端に悪化したのだ。
月面ドーム基地に巨額を掛けて作られた特別迎賓館。
イェン外務大臣以下、連邦外務省のメンバーは、その玄関先にしつらえられた大型モニターでサクケンチオ小型船のドッキングの様子を見ていた。
「しかし、どんな姿をした連中なんでしょう?」
「超空間通信では、受像器の構造上の問題なのか、互いに画像は送れなかったからな。だが、あちらは低重力下の人類だ。そりゃあ華奢で美形なんじゃないかな」
「せめてそう期待したいですね」
だが、小型船のハッチが開き、姿を現したサクケンチオ人を見て、オカ次官達は息を呑んだ。
低重力下独特の細く長い手足は真っ黒、頭までが黒だ。
しかし、手首から先だけ、軍手でも嵌めたように白く大きい。
尖った白っぽい顔には、黒い団子のような鼻が付いている。
頭の上には、丸く大きな耳がふたつ。
いつも笑っているような大きな口。
顔の四分の一ほども占めている大きな目は、タテに楕円形で、黒目がち。
しかもそれが礼装なのであろう、赤い半ズボンをはき、上半身は何も着ていない。
そして足元は、不格好なほどに黄色く大きな靴…………
イェン大臣は慌てて叫んだ。
「いかん!! 放送を止めろ!! あいつらの場合は、姿が著作権違反だ!!」