母と娘
「他部族がこの地で何をしている」
集落の入り口で動こうとしない私たちに痺れを切らしたのであろう、代表者らしい壮年の男が声をかけてきた。この男の目も他の部民と同様に敵意に満ちている。
私たちは相手を刺激しないようにゆっくりと体の向きを変えると、穏やかな声音を心がけて口を開いた。
「突然の訪問を謝罪いたします。私は"黒ネコ族"現族長の妹、カランです。こちらが"虎ネコ族"現族長の弟、ソーマ殿。この子は私の弟子でフィアと言います。……ところでこの地には何があったのでしょうか」
私たちが身元を明らかにすると、男も警戒は解かないものの態度は少しだけ柔らかくなった。
「私は"斑ネコ族"副族長、ロイだ。先程の無礼は謝罪する。……だがこれは部族の問題だ。今は他部族の干渉を受けたくない。お引き取り願おう」
ロイが一歩も引かないのを見て、私たちが出直そうかと諦めかけたとき、凛とした声がその場を支配した。
「ロイ、そちらの方々をご案内しなさい」
「レイラ様! しかし!!」
「二度は言いません。母のところで待っています」
美しい少女だった。少女特有の高い声だったが、それは上に立つ者としてふさわしい威厳を備えていた。これがカリスマというものなのだろう。私は無意識に鳥肌が立った腕をさすっていた。
ロイは一度私たちを憎々しげに見ると、背を向けて歩き出した。これはついて来いという意味だろう。勝手にそう解釈して私たちは"斑ネコ族"の集落へと入ったのだった。
ロイに案内されて辿りついたのは族長の屋敷と思われる建物だった。しかし中はがらんとしていて人の気配はない。ロイは構わず中に歩を進めると、一室の前で立ち止まった。
「こちらに先程いらした現族長の娘、レイラ様がいらっしゃるはずだ。くれぐれも粗相のないように」
それだけ言い置いて自分は立ち去った。
扉の前で呆けていても仕方がないので、私は軽くノックすると中からの返答を待って取っ手に手をかけた。
「よくいらっしゃいました。まずは私の部族の者たちが働いた無礼を謝罪します。申し訳ありませんでした。しかし、そうならざるを得ない事情も私たちにはあるのです。話を、聞いていただけますか」
ロイが言っていた通り、中にはレイラという少女が一組の布団の前に座り、頭を下げていた。
「突然現れた私たちにも非はあります。頭を上げてください。どうして突然現れた他部族である私たちがあれほどの敵意を向けられたのか、教えていただけますね」
ゆっくりと顔を上げたレイラの顔には、悲壮な決意の色が表れていた。私たちは思わず息をのんだ。
「つい先ほど、母が、族長であった私の母が、何者かによって暗殺されたのです」
レイラの頬から一滴の涙が伝い落ちた。それを皮切りに、箍が壊れたようにレイラは泣きだした。
見ていられなくなった私は思わず駆け寄り、しっかりと抱きしめた。
「どうして、どうしてこんな急にお母さまが!! 今朝まで元気でいらしたのに!!」
「泣きなさい。ため込んではだめ」
レイラは私より少し年下くらいだろう。親を失うにはまだ幼い。しかし、自分の役割を理解するには十分に年を経ている。自分の立場を思えばこそ、ずっと泣けずにいたのだろう。
それからしばらく、部屋にはレイラの嗚咽だけが響いていた。
「……見苦しい所をお見せしました」
そう言いながら私から離れて顔を上げたレイラの目は真っ赤で、瞼も腫れている。しかし、その顔に先程までの悲壮な色はない。聡い子なのだろう、それ故に少し心配になる。
「辛いかもしれないけど、そのときの状況を教えてもらえる? もしかしたら私たちが追っている人とも関係があるかもしれないの」
私の問いかけにレイラはしっかりとうなずいた。
「その時、母は1人で仕事をしていました。母の悲鳴が聞こえて慌ててロイたちと部屋に駆け付けたのです。そこには血の海の中に倒れている母と……真っ白な少女が立っていました。おそらく母の血で真っ赤に染まったワンピースを身につけて、私に向かってにっこりと微笑みを……」
レイラは恐怖を思い出したのか、顔を少し蒼褪めさせてぶるりと身を震わせた。
そんなレイラを横目に私たち3人の間には驚愕が走り抜けていた。レイラが言う真っ白な少女というのはリノに違いない。あの少女が、この短い時間で厳重な警護がなされていたはずの一族長を暗殺した……。
「レイラ、もしかしたら私たちはその少女を知っているかもしれない。……いえ、私たちが追っている少女に違いないわ」
レイラの瞳が真意を探ろうとするかのように私の瞳を見つめた。私もじっと見つめ返す。
「私たちは、彼女を追いかけようと思う。私たちの大切なものも、そこにあるはずだから」
これはリアの指示なのか、それともリノの独断なのか。
そんなことはどうでもいいと思った。真実がどうであれ、私たちが追いかけることに変わりはない。
「……場所は予測出来ているんですか?」
「ええ。おそらく。もう彼女の行き先はあそこしかないはずだわ」
そう、自分の住んでいる場所しか。
「……全てが終わったら、私にも教えてください」
本当は自分が行きたいはずなのに、そうすることは出来ない立場。きっとレイラは上に立つ者としては素晴らしい人物になるだろう。上に立つ者としては。
「必ず」
私は短くそうとだけ答えた。
レイラはふと大人びた笑みを見せると、静かに立ち上がった。
「今日の宿泊先を案内します。追いかけるにしても日が昇ってからでなければ動けないでしょう」
レイラに伴われて屋敷を出ると、辺りは暗くなっていた。
ただ、少し欠けた月が照らすのみだった。