西日の差す喫茶店にて21-梅雨-
少し前のこと。
その日は春を通り越して、初夏の陽気だった。空は青く入道雲のような白い雲があった。
わたしは喫茶店の窓際の席に座り、静かな平日の午後を過ごしていた。
いつにもまして緩やかな音楽が流れる店内には、歳を重ねた女と男が数名ずつ、それぞれ思い思いにコーヒーを口にしているようだった。
そんな時……。
「いらっしゃいませ。3名ですか? お好きなお席へどうぞ」
そういってマスターに案内されたのは、仕事途中のような3人の女だった。
ひとりは緩いウェーブの茶色く長い髪が特徴的で、あとのふたりは黒いリクルートスーツに身を包み、黒い髪を後ろでひとつに結んでいた。会社の先輩と新入社員といったところだろう。
彼女らはわたしの隣の席を選んだが、若いふたりは、カバンをどこに置くべきか、上着は着たままでいいのか、それとも脱いでどこかに掛けたほうがいいのか、そんなことが気になるようで動作がどこかぎこちなく、緊張しているのが伝わってくる。
そんな様子を見ていた先輩は「お客様の前じゃないから適当でいいよ」とフォローを入れていた。
「今日のケーキはチーズケーキ、チョコレートケーキ、それからシフォンケーキです」
マスターがお盆に載せた水入りのガラスコップをテーブルに並べながら言い、「ご注文が決まりましたらお知らせください」と言葉を残してカウンターへ戻っていった。
「なんでも好きなもの頼んでいいよ。今日はわたしのおごりね」
先に座っていた先輩がメニューをふたりが見やすいようにくるりと回し、テーブルの真ん中に置いて言った。
「はい。ありがとうございます!」
若いふたりは上着を椅子に掛け、座りながら声を合わせるように言った。
「わたしはコーヒーとケーキセットにしようかな」
先輩はカバンからスマートフォンを取り出しながら言った。
ふたりはお互いゆずり合いながらメニューを見ていたが、「わたしもケーキセットにします」「わたしも」と言い先輩にメニューを返した。
「ケーキはどうする?」
先輩が問いかけると、ふたりはそれぞれ「チョコレートケーキがいいです」「わたしはチーズケーキにします」と答え、先輩がマスターを呼んだ。
「あ、ブレンドコーヒーでよかった?」
ふたりは無言でうなずいた。
「会社の雰囲気にはもう慣れた?」
チーズケーキにフォークを入れながら先輩が言った。
「はい、だいぶ慣れました」
ふたりは手を止め声をそろえて言った。
「なんだか、ふたりとも緊張してる?」
「はい。こんなおしゃれなお店に入るのは初めてなので……」
「わたしもです。チェーン店はよく行くんですけど、ちゃんとした喫茶店は初めてで……」
「わたしも初めてだから、もっとリラックスして」
先輩は笑った。
「でもいい雰囲気よね。お店に入った瞬間からコーヒーのいい香りがするし、なんだかすごく落ち着くわよね。いいところ見つけちゃったかも」
先輩が言うと、「はい」とふたりはまた同時に答えた。
その時、カランカランと店の扉が開き、ふたり連れの女たちが入ってくるのが見え、時間をおいてどことなく湿った生暖かい空気がわたしの足元に絡みついてきた。
今日は店に入ってからずっと本を読んでいたが、すこし疲れたのでちょっと休憩しようとしおりをはさみ、コーヒーのお代わりを頼んだ。
「休みの日は何してるの?」
先輩が質問した。
「こないだは疲れてしまって、結局何もできずに1日が終わってました」
「わたしも気が付いたら夕方でした」
「そうだよね、入ったばかりだと研修とかで忙しいんだよね。休日はゆっくり休んで……とも言ってられないかもしれないけど、ほどほどにね」
「はい」とふたりは答えたが、ひとりが続けて「今度一緒に買い物に行こうって話をしてるんです」と言った。
「へぇ、いいじゃない」
「おすすめのお店があったら教えてください」
「いいわよ。そうだ、駅ビルに入ってる雑貨屋は行った?」
「いえ、駅ビルはまだちゃんと見たことがないんです」
「最近オープンしたんだけど、けっこうかわいいものがあるからおすすめよ。他にもおしゃれな服を売ってるお店もあるし、レストランもいくつかあるしね」
「いいですね、今度行ってみます!」
そしてひとりがまた「先輩は休日はどんな過ごし方をされてるんですか」と聞いた。
「そうねぇ……買い物に行ったり、最近はたまに美術館に行ったりかな。あとは家でぼーっとしたり。いろいろよ」
「そうなんですね」
「そうそう。こないだは家の用事で終わっちゃったけど」
彼女たちは楽しそうにこんな会話を続け、わたしはふたたび本を読み始めたが、よほど集中してしまっていたのか、気が付くと彼女らの姿はもうそこにはなく、わたしひとりだけが店内に残されていた。
*
そして、今日。
梅雨に入ってからというもの、薄曇りの空に頭を押さえつけられているような日々が続いていた。
週末の午後、店とマスターはいつものようにわたしをあたたかく迎え入れてくれたが、店内を見渡すと、いちばん奥のテーブルでアイスコーヒーを前に両手を握り祈っているような女の姿があった。
それは先日、若い新入社員らしきふたりとともに店にいた女に違いなかった。
わたしは店の真ん中あたりのテーブルに座ったが、その姿が気になってしまい、見るともなしについつい視線をそちらの方へ向けていた。
ほどなくしてわたしのテーブルにコーヒーが運ばれてきたころ、中年の肉付きのいい男がひとり店に入ってきて、彼女に向かい合うように座った。
そして、ふたことみこと言葉を交わしたかと思うと、おもむろに立ち上がり、何も注文しないままマスターの脇をすり抜けるように店から出ていった。
窓の外は急に暗くなり、雨がさーっと音を立てて降ってきた。店内に流れていた穏やかなピアノの音はそのノイズにかき消された。
あとに残された彼女はしばらく呆然とした様子で座っていたが、やがて雨音が小さくなりピアノの旋律が店内に戻ってきたころ、静かに立ち上がりカウンターへと向かった。
扉を重たそうに開けた彼女の姿はシルエットとなり、どんよりと曇った空を見上げて大きなため息をついたように見えた。
わたしは扉が音を立てて閉じるまで、彼女の後ろ姿をずっと見つめていた。




