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惚れ薬の味は……

掲載日:2026/05/31

 目が覚めると、そこには見知らぬ世界が広がっていた。

 天蓋付きの無駄に広いベッド。クッション生地が厚く、背もたれ部分に複雑な模様が刻まれた、真っ赤な椅子。きらびやかな宝石が施された、自己主張の激しい姿見。

 姿見に映る、寝ぼけた顔をした人物は、全く見たことがない小学生ぐらいの少女だった。特に絶世の美女と言うでも不細工と言うでもない、特徴の無い顔つき。街中ですれ違っても数秒で記憶から消えてしまうようなその顔は、どことなく昔の私に似ているような気もする。

 周りを見回しても誰も居ない。特段音もしない。窓の外から朝を告げる聞いたことのない鳥の鳴き声が聞こえるぐらいだった。

 何だ夢か。仕事から帰ってすぐにゲームをしたのが体に応えたようだ。ゲーム中に寝落ちをするなんてよくある話。起きたらまたゲームの続きをしよう。

 そんなことをのんきに考え、再び眠りの世界に身を預ける。天蓋付きのベッドで寝ている感触を味わえるなんて、最高の二度寝だった。


「――ェ様。もうご起床されるお時間ですよ。リーシェ様!」


 聞いたことのない声にたたき起こされる。嫌々目を開けると、先ほど夢で見た景色に加え、メイド服を着た二十代ぐらいの女性が目に飛び込んでくる。その女性は、私が起きたのを確認すると、少しあきれたようにため息をつく。

 ……一体どうなっているのだろうか。これも夢なのだろうか。

 私は頬をつねる。――痛い。普通に痛い。一体全体私は何に巻き込まれたと言うのだろうか。



 それから数日して、ようやく自分の置かれている状況を理解することが出来た。どうやら私は異世界の侯爵令嬢、リーシェ・ラトビニアとして転生したらしい。加えて転生先は、私がはまっていた乙女ゲーム『魔術学園ムシュターファ』のようだ。メイド達が会話で「我が王国のレイダン第一王子、めちゃめちゃイケメンらしいわよ」という会話を聞いたときは心底驚いた。レイダン第一王子は『魔術学園ムシュターファ』のメインヒーローの一人であり、何を隠そう、私の最推しでもあるのだ。王国の名前、隣国の名前、王様などの名称からしても、ゲーム世界の中であることは疑う余地もなかった。


 でも、リーシェ・ラトビニアなんてキャラクター、聞いたことも見たこともない。顔の印象からも、おそらくモブ中のモブなのだろう。私はレイダン王子推しだが、本編に介入することなんて望んじゃいない。本作には惚れ薬など、いわゆるチートアイテムも手に入れる方法があるが、そんな物を使うつもりもない。遠くからストーリーを眺めて、あわよくば一言声でもかけてもらえたら、それだけで十分だ。

 幸いラトビニアは侯爵家なので、ムシュターファへの入学はすでに決定している。加えて都合がいいことに、年齢に照らし合わせると、レイダン王子と入学タイミングが同じであることも分かっている。数年後がとても楽しみで仕方が無い。

 私は期待に胸躍らせながら、数年後の学園生活へと夢を馳せるのであった。




 そしてとうとう学園入学日。家族に行ってきますの挨拶をした後、心配そうな家族の視線とは裏腹に、私の心はわくわくに満ちていた。

 入学式の門の前ではヒロインのチャームとレイダン王子の顔合わせイベントがある。ファンとして見逃すわけにはいかない。私は彼らを見守るため、門近くの木陰に隠れる。少しして金髪のスラッと背の高い男性が現れた。レイダン王子だ。

 顔は中性的で柔らかい。でも手の甲に浮かぶ血管が、肩幅の広さが、彼の魅力を伝えてくる。股下が長いからか、一歩が大きく優雅で、洗練された余裕を感じる。でもどこか表情は硬い。

 突如彼に衝突する物体。


「いたたたた……キャ!ごめんなさい!」


 チャームだ。後に聖女である事が判明する、この物語の主役。レイダン王子と結ばれる運命の人だ。

 なぜ彼女に転生できなかったのか、と一瞬頭によぎり、首を振って追い払う。


「――大丈夫かい?怪我はしてない?」

「い、いえ!お構いなく!では失礼します!」


 そう言って校舎の中に走り去るチャームを見て、レイダン王子はポツリとつぶやく。


「変な子だ。名はなんと言うのだろう」


 少し戸惑ったような、だけれど好奇心が隠しきれていない、そんな顔をしていた。先ほどの硬い表情とは違う、人間らしく可愛い表情。鮮やかな花が開いた瞬間だった。私は、彼の顔から目をそらすことが出来なかった。もっとしっかり見たくて、思わず木陰から身を乗り出してしまう。


「おや、君も学園の子かい?」


 私の存在に瞬時に気づいた王子は、また硬い仮面で顔を覆い隠した。


「は、はい!リーシェ・ラトビニアと申します!」

「ラトビニア侯爵家の方でしたか。これからよろしくお願いしますね」


 にっこり笑い、その後優雅に歩いて校舎に向かうレイダン王子。私は少しの間、その場から動くことが出来なかった。



 クラス分けが張り出される。レイダン王子など主要キャラクターはA組に所属しているが、私はB組だった。このモブキャラの体はたいした魔力量を保有していなかったし、学業の方は文字を覚えるので精一杯で、たいした点数を取る事が出来なかったからだ。

 でもこれで良いのだ。私は本編には介入せず、遠くから彼らを、レイダン王子を眺めさえできれば、それだけで満ち足りているのだ。


 それから私はイベントを何度も遠くから眺めた。チャームは今回逆ハーレムルートを選択したようで、レイダン王子とその他五名の男性と仲良くなっていった。

 レイダン王子はチャームの前では、だんだん顔の仮面を脱いでいった。彼の表情が見たくて見たくてたまらないけど、それがチャームに向けられているのを見ると、私は目をそらした。他に五人もいるのに、ずるいと思った。


「こんにちは、リーシェさん」

「こ、こんにちはレイダン様!」


 レイダン王子は門で会っただけの私の名前を覚えていて、すれ違うごとに挨拶をしてくれた。彼は天才なので、単純に記憶力が良いだけなのだろうが、私にはそれが嬉しかった。名前を呼ばれた瞬間だけ、私の心はふわふわ浮いて、いつの間にか終わっていた。挨拶をされた後、髪をもっと整えておけば良かったとか、服装乱れてなかったかとか、些細な事が気になった。

 でも、彼の表情が私の前で柔らかくなることはなかった。




 それから数ヶ月もすると、チャームとヒーロー達の間柄はどんどん親密な物となっていった。それに比例するように、イベントの規模も大きくなっていった。

 この前はレイダン王子とチャームの下町デートだった。王子として平民の生活を知ろうと真面目な王子に、チャームが地元を案内するイベントだ。平民出身のチャームは、下町の人間から好かれていて、たくさんの人に声をかけられていた。彼女を見る王子の顔は、関心と親しみとが混在したような、愛おしい者を見るような目つきだった。私に向けられることは無いであろうその表情が、私は欲しくて欲しくてたまらなかった。

 途中、アイスクリームを二人で分け合って食べていた。頬に付いたアイスを見て、レイダン王子が笑った。つられてチャームも笑った。二人とも幸せそうだった。私は蚊帳の外だった。


 私はそれ以上見ることが出来なくて、その場から去った。




 数日後、私の右手には惚れ薬があった。

 飲ませるのは案外難しくなかった。レイダン王子は優しい。人の手作りプレゼントを食べないなんて、そんな事はしない。クッキーの中に惚れ薬と私の髪の毛を入れた。それを目の前で一つ食べてもらった。彼は私の物になった。




「アリーシャ!お前との婚約を破棄する!俺は隣にいるリーシェ・ラトビニアと共に人生を歩むのだ!」


 レイダン王子が悪役令嬢に宣言する。彼女は何も言わず立ち去る。遠くで見守るチャーム。

 幸せだった。レイダン王子が見せる笑顔は全て私の物だった。彼が私の腰に腕を回す。私は彼にギュッとしがみつく。暖かな彼の鼓動が、私をゆっくり包んで離さなかった。


 それからは、ずっと一緒にいた。レイダン王子にわざと成績を下げてもらい、一緒にBクラスで授業を受けることにした。一緒にデートもした。一緒にご飯を食べた。一緒にダンスもした。ハグもキスもその先もした。

 王子はいつも笑っていた。でも、時折目が笑っていないような気がして、不安になって、惚れ薬を飲ませた。王子は私の物だった。




「リーシェ・ラトビニア!レイダン王子に禁止薬物を服用させた罪で拘束する!」


 突如部屋に上がり込む衛兵達。レイダン王子とのお茶会を邪魔された。


 抵抗したが、私は非力だった。すぐに四肢を拘束され、地下牢に連れて行かれた。レイダン王子と離ればなれになった。彼が横にいない。心に穴が空いたみたいで、涙が止まらなかった。彼も同じように寂しく思っているはずだ。すぐに会いに行きたかった。

 ――でも心のどこかで、これが正しいのだと、そう思う自分がいた。


「惨めな姿ね。リーシェ・ラトビニア」


 鉄格子の先に二人の人影。悪役令嬢アリーシャとヒロインのチャームだった。

 彼女たちは私に軽蔑のまなざしを向けながら、鍵を開け牢獄の中に入ってくる。アリーシャは右手に何かを持っている。暗めの赤い液体が入ったガラスビンだった。


「さて、あまりあなたの顔なんて見たくないですし、さっそく本題といきましょう。――王国は今回の件をとても危険視しているの。飲ませるだけで言うことを聞かせる薬物。そんな物が使われたのですから」


 アリーシャはそう言うと、右手のガラスビンの蓋を開ける。


「それで、王国としては確実に提供元を突き止めたいのよ。――普通ならね、貴族に拷問や薬物投与は行えないのだけれど、今回は特例。これ、何か分かる?あなたが捕まったときに押収された、レイダン王子用の紅茶よ。飲ませるだけで言うことを聞かせる薬物が混入した飲み物」


 衛兵が私の体をがっしりと拘束する。顔を、口を開いた状態で上向きに固定した。


「さあ、飲みなさい」


 口に注ぎ込まれる紅茶。初めて飲む惚れ薬の味。苦くて、酸っぱくて、えずいて吐きそうだった。私はこんな不味い物をレイダン王子に飲ませていたのか。

 ごめんなさい、レイダン王子。

 私の記憶はそこで途切れた。

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