表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

第7話 「月の光の温度」



第7話「月の光の温度」



玄関のドアを開けると、部屋の中の温かい空気に心が和らぐ。

春とは言え、やはり雨に濡れると体が冷えるなと思った。

玄関に入ると、俺とひなたを迎えるように、紬希がタオルを持って立っていた。


「…おかえりなさい、陽翔さん。ひなたさん」


その声は、あまりにも穏やかで、その上優しくて──

ひなたが、びくっと肩を震わせるのが分かった。

きっと、怒られると思ったんだろう。


でも紬希は、何も責めることなく、ひなたの髪をそっとタオルで包み、わしゃわしゃと撫でて微笑んだ。


「ふふっ♡ ひなたさん、お疲れ様。…陽翔さんのこと、ありがとう」


その言葉に、俺の胸が少しだけ痛んだ。

選ばれなかった紬希が、こんなふうに笑ってくれるなんて──

俺は、どれだけ彼女に甘えているんだろう。


次に、紬希は俺の髪を優しく拭いてくれた。

その手つきは、まるで母親のように感じられた。


「陽翔さんも、お疲れ様です。二人とも、このままだと風邪ひいちゃいますよ。今、あったかいココアでも淹れますね」


「...ありがとう。助かるよ。ほんとに」


紬希がキッチンへ戻ると、振り返って少しだけ大きな声で言った。


「あ、そうだ! 陽翔さん! 今日の夜ご飯のハンバーグなんですけどね? ひなたさんも、きっと、お腹空いてると思うから、いつもより、いーっぱい、おっきいのを作ってあげなくっちゃですね!」


その言葉に、ひなたが嬉しそうに笑った。

俺も、少しだけ笑った。

でも、心の奥では──また、選ばなかったことへの罪悪感がじわじわと広がっていた。


買い物袋をキッチンに運ぶひなたの背中を見ながら、俺はソファに腰を下ろす。

雨音が、窓を打つ音が聞こえると、さっきまであの中にいたのかと思い苦笑してしまう。


「おかえり、陽翔」


そう言うと、隣に座っていた美月が、スっと立ち上がりスタスタと歩き出す。


「…美月さん? どちらへ…?」


紬希の声が聞こえた。

美月は振り返らずに答えた。


「…お風呂。あいつ、雨に濡れたまま放っておくと、すぐに風邪を引くから」


その言葉に、さすが美月だなと思った。

美月は、口数は少ないが、いつも俺の体調を気にしてくれている。

そこが、愛おしくてたまらない。


しばらくして、彼女が戻ってきた。

タオルの準備、着替え、風呂の温度──

全部、俺の好みに合わせて整えてくれていた。


「…お風呂、沸いてるわよ。…早く、入ってきなさい。風邪、引くでしょ」


ぶっきらぼうな言葉。

でも、その中に、確かに愛情が込められているのが分かる。


「…ああ。…ありがとう、美月」


俺は、少し照れくさくなりながらも、バスルームへ向かおうとしたが、ふと、俺は振り返って声をかけた。


「……美月も、一緒にシャワー入るか?」


冗談のつもりだった。

でも、少しだけ本気だった。


美月は、本から顔も上げずに、冷たい声で言い放った。


「…は? 何を言ってるの? わたしが、あなたなんかと、一緒に入るわけ、ないでしょ。…子供みたいなこと、言ってないで、早く、体を温めてきなさい」


「はーい」


その言葉に、俺は少しだけがっかりした。

でも、どこか楽しくもあった。

美月らしいな、って思った。


彼女は、ぱらりと本をめくる。

でも、視界の端で、俺の動きをちゃんと確認しているのが分かった。


「…ふん。まだまだ、子供ね、陽翔」


俺は、少しだけ笑って、バスルームへ向かった。


「なんでこんな時に限って、選択肢が出ないんだよ……」


俺は、仕方なく一人で風呂に浸かり体を温める。


しばらくして、風呂から上がり、服を着ていると、脱衣場にひなたがやって来た。


「ひゃっ! ご、ごめん、陽翔くん!」


と言って、顔を真っ赤にして、すぐにドアを閉めた。

そして、ドアの向こうから声がする。


「もう、陽翔くんの、おバカ! 見えちゃったじゃない!」


(...これは、俺が悪いのか?)


そんな、誰も得をしない、逆ラッキースケベがあった。


服を着て髪を乾かした後、リビングに戻った。


俺が風呂から上がってリビングに戻ると、少しだけ冷たい空気がただよっていた。


数分前―――


キッチンでは、紬希がハンバーグの下ごしらえをしている。

リビングのソファでは、美月が静かに本を読んでいる。

ひなたは、顔を真っ赤にして自分の部屋に駆け込んで行ったので、姿はない。


「…ずいぶん、ご機嫌な犬だったわね。お散歩、楽しかったみたいじゃない」


美月が、本から目を離さずに、ぽつりとそう呟いた。

その声は、氷みたいに冷たかった。

紬希は、ハンバーグをこねる手を止めずに、優しく微笑んで答える。


「…ひなたさんの笑顔は、陽翔さんのお薬ですもの。今日は、きっと、陽翔さん、よく眠れますよ」


「薬…ね」


ぱたん、と美月は本を閉じた。

そして、その月光みたいなプラチナシルバーの髪をさらりとかきあげながら、紬希をまっすぐに見つめた。


「…あいつに必要なのは、そんな生ぬるい癒やしじゃないわ。全てを忘れさせてくれる、もっと、もっと強い"毒"よ」


「毒は、いつか、陽翔さんを壊してしまいます」


紬希も手を止めて、美月をまっすぐに見つめ返した。


「…あの方に必要なのは、いつでも、安心して帰ってこられる、温かい"家"です。私が、その家になります」


その時だった。 ひなたが部屋からひょっこり顔を出した。

まだ少しだけ顔が赤い。


「あ、あの…! 陽翔くん、もう、お風呂上がったかな…!?」


その無邪気な声に、二人の間に流れていた張り詰めた空気がふっと緩む。

美月は、ふん、と鼻を鳴らして、また本を開いた。


「…見てなさい。子供のおままごとよ」


紬希は、その言葉には何も答えずに、また、ハンバーグをこね始めた。 とん、とん、と愛情を込めて空気を抜いていく。


現在―――


俺がリビングに戻ると、窓の外が明るい事に気付き、外を見に窓辺に立つ。

すると、さっきまであんなに降っていた雨が、嘘のよう止んでいた。

そして、雲が晴れ──綺麗な満月が、夜空に浮かんでいるのが見えた。


―――その瞬間、世界が止まった。


テレビの音が途切れ、キッチンから聞こえていた包丁の音も、ページをめくる音も、すべてが凍りつく。

そして、目の前に、赤黒く滲んだ"血文字"が1文字づつ浮かび上がって来る。


【心して選べ】


A. 紬希と夜食を作る

B. ひなたとゲームをする

C. 美月とお月見をする


その下に、もう一行。


※選択しなければ、全員が消える


そして、砂時計が、ふっ、と宙に現れ、逆さまにひっくり返る。

中に入った血のように赤い砂がゆっくりと、落ち始めている。


「……また、か」


俺は、窓の外の満月をもう一度見上げ考える。

そして、手を伸ばした。


C. 美月


──選んだ瞬間、世界が動き出し、テレビの音が戻った。


(ひなたは...風呂で消えたはず。だから大丈夫か。紬希は?)


キッチンから、紬希の姿が消えているのを見て、コンロを確認しに行く。


「火は……付いてないな」


消えるタイミングによっては、大変な事になるので、ホッと胸を撫で下ろす。

美月だけは、冷静にソファで本を読んでいる。

いや、読んでいた。

彼女は、いつの間にか、本を閉じて、俺の方を見つめていた。



その頃、ひなたは―――


わたしは、湯船に浸かっていた。

陽翔くんが入った後の、温かいお湯に包まれて…


「はぁ〜、幸せだなぁ…」


なんて呟いて、ちょっと、油断してたんだ。

その、瞬間だった。


(…え…?)


ふっと、何の前触れもなく、わたしを包んでいたお湯の温かさが消えた。

肌を撫でていた、柔らかい水の感触が消えた。

ぱちゃ、っていう水音も、全部消えた。

目の前には、ゆらゆら揺れる、湯気もお湯もちゃんとある。

でも、わたしは、その中にいない。

まるで、水と油みたいに、世界から完全に分離されて、ただバスタブっていう白い入れ物の中に座ってるだけ。


(…そっか。また…選ばれなかったんだ…)


胸の奥が、ぎりぎりって痛くなる。

さっきまでの、あの、幸せな温かさを知っているからこそ、この何も感じない、冷たい無の世界がどうしようもなく辛い。

ぽろって、涙がこぼれる。

でも、その涙が頬を伝う感触すらない。


(今頃、陽翔くんは、誰といるんだろう…? わたしは、お風呂の中で一人ぼっちなのに…)


寂しくて、悔しくて、悲しくて…。

わたしは、何も感じない自分の体を、ぎゅーって抱きしめるフリをした。

でもね。

その時、ふと、思い出したんだ。

今日の、雨の中のデートのこと。

陽翔くんが「お前の、太陽みたいな笑顔が見たくなった」って、言ってくれたこと。

わたしが、ちゃんと陽翔くんの太陽になれた、あの、時間のこと。


(そっか…。そうだった。わたし、今日、ちゃんと選んでもらえたんだった。ちゃんと、陽翔くんを笑顔にできたんだった)


そう思ったら、何も感じないはずの、この冷たい体の中に、ぽっと、小さな温かい光が灯った気がした。

わたしは、大丈夫。

わたしは、ちゃんと自分の役目を果たしたんだもん。

(よし!わたしも、次、選ばれた時のために、自分磨きしなくちゃね!もっと、もっと、可愛いお嫁さんになって、陽翔くんをびっくりさせちゃうんだから!)


そうやって、わたしは何も感じない水の幻影の中で、一人、決意を固めた。

そして、ただ、じっと待つ事に決めた。

この、無の世界が終わって、また、陽翔くんのいる温かい世界に、感覚が戻ってくるその瞬間を。

それが、選ばれなかったわたしにできる、たった一つの戦い方だから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ