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第6話 「雨のち炎」



第6話 「雨のち炎」



ざあああああ。


さっきまで小雨だったのに、外はいつの間にかすごい土砂降りに変わっていた。

玄関を出た瞬間、冷たい雨粒が足元を濡らす。

陽翔くんが、大きな傘をひとつ差してくれて、わたしはその腕にぎゅっとしがみついた。

肩が触れ合うくらいの、小さな二人だけの世界。

雨音が、周りの全ての音を消してくれる。

まるで、世界にわたしたち二人だけが取り残されたみたい。


「……ほんとに行くのか、こんな日に」


陽翔くんが、少し困ったように笑う。


「うんっ! 雨の日のお買い物デートだよ!」


わたしは、にぱーっと笑って答える。

歩きながら、ふと、胸の奥に懐かしい匂いが広がった。

雨の匂い。

それが、前の世界での、ある雨の日を思い出させたんだ。


回想 ――「雨のち晴れ」


その日の陽翔くんは、なんだかすごく変だった。

会社から帰ってくるなり、「ただいま」も言わずに、どさっとソファに倒れ込んだ。


「おかえり、陽翔くん! ご飯できてるよー!」


そう声をかけても、返ってきたのは一言だけ。


「……いらない」


天井を見つめたまま、動かない陽翔くん。

重たい空気が部屋に満ちていく。


(どうしよう……わたし、無力だな……)


胸がぎゅーっとなって、涙が出そうになった、その時。


ざあああああ。


窓の外で、急に雨が降り始めた。

それも、バケツをひっくり返したみたいな土砂降り。

わたしは、ふと、思いついた。

すごくバカなこと。

でも、やらずにはいられなかった。


「……陽翔くん。行こ!」


手をぎゅっと握って、傘もささずに外へ飛び出した。


「お、おいっ。ひなた!」


陽翔くんは、困惑しながらも着いてきて玄関で立ち止まる。

わたしは、土砂降りの中で、くるくる回って、満面の笑みで叫ぶ。


「見て、陽翔くん! 雨だよ! わたし、雨、だーいすき!」


もちろん、嘘だ。

びしょ濡れで寒くて、最悪だった。

でも、笑った。心の底から。


「陽翔くんの心の中に降ってる嫌な雨も、わたしが一緒に浴びてあげる! そしたら半分こでしょ? ちょっとは軽くなるでしょ?」


その言葉に、陽翔くんは呆然とした顔をして──

やがて、くしゃっと笑った。


「……ははっ……なんだよ、それ……ばかじゃないのか、お前……!」


びしょ濡れで、冷たかった。

でも、陽翔くんも雨の中、わたしのところまで来てくれて、今までで一番温かい抱擁を交わした。


「ひなた...ありがとう」


あの日が、わたしが初めて陽翔くんの"太陽"になれた日。


翌日──最後の朝


陽翔くんが、仕事に出かける準備をしている。

昨日の雨は上がって、窓の外には澄んだ青空が広がっていた。


「行ってきます」


「いってらっしゃい! 今日の夜ご飯、陽翔くんの大好きなオムライス作って待ってるからね!」


わたしは、玄関で手を振る。

陽翔くんが振り返って、少しだけ照れくさそうに笑った。


「…楽しみにしてる」


扉が閉まる。

足音が遠ざかっていく。

それが、陽翔くんとの最後の会話になるなんて、わたしは知らなかった。


昼過ぎ。

わたしは、リビングで洗濯物を畳んでいた。

陽翔くんのシャツを手に取って、陽翔くんの匂いがするかなって、くんくん嗅いでみる。


(ふふっ。まだ柔軟剤の匂いしかしないよね)


その時だった。

ぱちん。

隣の部屋の方から、何かが弾けるような音がした。


(……え?)


次の瞬間、火災報知器が甲高い音を立て始めた。


ピーッ、ピーッ、ピーッ。


わたしは、慌てて玄関へ向かおうとした。

でも──廊下の向こうから、黒い煙がもくもくと流れ込んでくるのが見えた。


(嘘……火事……?)


煙がどんどん濃くなる。

喉が、目が、痛い。

わたしは、ベランダへ向かおうとした。

でも、足がもつれる。

煙を吸い込んで、咳が止まらない。


(陽翔くん……)


床に膝をつく。

視界が、ぼやけてくる。


(ごめんね……今日の夜ご飯……作れなかった……)


陽翔くんのシャツを、ぎゅっと抱きしめる。

涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。


(また……雨の中で……笑いたかったな……)


意識が、遠のいていく。

最後に思い浮かべたのは、陽翔くんの笑顔だった。


―――


「火事だって?!」


会社にいた俺の携帯に、マンションの管理会社から電話が入った。


「お宅の隣の部屋から出火して、延焼しています」


それ以上聞く前に、俺は電話を切って会社を飛び出し、すぐにタクシーを拾う。


「急いでください!」


車窓から見える景色が、ぼやける。


(頼む、間に合ってくれ!)


マンションに着いた時、建物は既に炎と黒煙に包まれていた。

消防車が何台も停まっている。

野次馬が集まっている。

俺はそれを掻き分ける。


「ひなたっ!!」


俺は、消防隊員を押しのけて、建物へ駆け出そうとした。


「だめです! 中は危険です!」


腕を掴まれるが振りほどく。


「離せ!! 俺の妻がまだ中にいるんだ!!」


「落ち着いてください! 我々が──」


もう、何も聞こえなかった。

俺は、かまわず炎の中へ飛び込んだ。

熱い。

息ができない。

煙で、何も見えない。


「ひなた!! ひなた!!」


ハンカチで口を抑えて、それでも叫びながら、部屋へ向かう。

急いで扉を開ける。

そして──見つけた。

リビングの床に倒れている、ひなた。

俺のシャツを抱きしめたまま、動かないひなた。


「ひなた……!」


駆け寄って、抱き上げる。

体が、まだ温かい。

でも、息をしていない。


「嘘だろ……嘘だ……」


涙が、止まらない。

その時、頭上でメキメキと音がした。

天井が、崩れ落ちてくる。


(ああ……そうか……)


俺は、ひなたを抱きしめたまま、目を閉じた。


(これで、いいんだ。お前を置いて、一人で生きていくなんて……できるわけがない)


炎が、全てを包み込んだ。


―――


雨の日は、ひなたの太陽の笑顔を思い出すと同時に、次の日の事まで思い出してしまう。


それでも今、ひなたの笑顔が、俺を照らし続けている事に感謝しようと思う。


限りがあるとしても……


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