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第5話 「雨の選択と、2つの影」



第5話「雨の選択と、2つの影」



紬希と二人だけの、甘くて少し切ない朝食が終わったあと、俺は、食後のコーヒーを片手に両側からもたれかかって来ている、ひなたと美月の体温を感じながらテレビを見ていた。

選択されなかった2人にかける言葉は俺にはないけど、ただ、この温もりを永遠に感じていたいと思えてならない。


気が付くと、窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めていた。

時計の針は、午前9時を少し過ぎたところ。

まだ朝の空気が残る時間帯。

でも、部屋の中には、どこか“終わり”の気配が漂っていた。


紬希は、キッチンで食器を洗い終わり、雨が降って来たのを見て、いそいそと洗濯物を取り込んでいる。

その姿は、いつも通り穏やかで、優しい。

でも、俺には分かっていた。

この朝が、いつまでも続くわけじゃないことを。


雨音が少しずつ強くなる。

ぽつ、ぽつ、から──ざあああああ。

窓の外は、まるで世界が泣いているみたいな土砂降りになっていた。


―――その瞬間、世界が止まった。


雨音が止まり、温もりも消える。

常に動いている時計の針すらも、すべてが静止する。


そして、目の前に、赤黒く滲んだ“血文字”が浮かび上がってくる。


【心して選べ】


A. 紬希とゲームをして遊ぶ

B. ひなたと雨の中、買い物に行く

C. 美月と読書を楽しむ


※選択しなければ、全員が消える


禍々しい装飾が施された砂時計が、ふっ、と宙に現れ、逆さまにひっくり返り、中の血のような赤い砂が、ゆっくりと落ち始める。


「……この選択になんの意味があるんだよ」


俺は、どこかで聞いているであろう悪魔に向けて静かに呟いた。

目を閉じて少し考える。

すでに、砂時計の砂は半分を切っていた。


目を開けて、俺は、ゆっくりと手を伸ばし──


B. ひなたと雨の中、買い物に行く


──選んだ瞬間、世界が動き出した。


雨音が戻り、空気が流れ出す。

ひなたは、俺の隣に座って温もりを俺に預けている。

そして、選ばれなかった紬希と美月は、やはりそこには居なかった。


俺は、ひなたの手をそっと握りながら、心の中で呟いた。


「……ごめん。紬希、美月」


ひなたは、状況を把握し、俺を見上げ、俺の手をぎゅっと握り返してきた。

その小さな手から伝わる温もりは、ただ選ばれた喜びだけじゃない。

嬉しさと、そして、選ばれなかった二人への痛み、その両方を抱え込んでいるのが伝わってくる。


「……陽翔くん。ありがとう。…選んでくれて」


ひなたが俺の腕におでこを当てて、

俺にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。

でも、その言葉には、確かな覚悟が宿っていた。

「辛い選択を受け止める」

「二人の想いも背負う」

そんな決意が、ひなたの震える手から伝わってくる。

俺は、泣いているんじゃないかと心配になり、声をかける。


「ひなた……」


次の瞬間、ひなたは顔を上げて、にぱーっと笑った。

太陽みたいな、眩しい笑顔。

無理をしてでも笑っているのが分かる。

俺を安心させるために。

そして、どこかで見ている紬希と美月を安心させるために。


「さあ! 陽翔くん! わたし達は今から何をするの?」


その声は、雨音に負けないくらい明るく部屋に響いた。

俺は、思わず息を呑む。

この笑顔に、何度救われてきたんだろう。

そして、今もまた──救われている。


紬希 ―――


ざあざあと、窓の外で雨が降っている。

私は、お気に入りの桜色のエプロンをきゅっと結んだまま、ベランダから洗濯物をいそいそと取り込んでいた。


(ふふっ♡ 今日の夜ご飯は、陽翔さんの大好きなハンバーグだもん。腕によりをかけて作ってあげなくっちゃ…!)


そんな幸せなことを考えていた、その瞬間だった。


(…え…?)


ふっと、手に持っていた洗濯物の湿った重みが消えて、地面に落ちた。


「あっ……」


ざあざあと耳に響いていた雨の音が消えた。

肌を撫でていた湿った風の冷たさも消えた。

そして何よりも──すぐリビングの向こう側に感じていたはずの、陽翔さんの温かい、大切な気配が消えた。


(また…『選択』が…あったんだ…)

(そして…私は…選ばれなかったんだ…)


胸の奥が、ぎりぎりと万力で締め付けられるみたいに痛い。

さっきまで、あんなに幸せだったのに。陽翔くんの存在を感じていられたのに。


どうして、私じゃなかったの…?

陽翔くんは、今、誰の隣にいるの…? ひなたちゃん…? それとも、美月ちゃん…?


私は確認するためにリビングへ歩いて行く。


(ずるい、ずるい、ずるい、ずるい……!)


黒くてどろどろした醜い気持ちが、心の底から溢れ出してくる。

涙がぽろぽろとこぼれ落ちて、エプロンに染みを作っていく。


でも、その時だった。

リビングに入ると、陽翔くんがそっとひなたちゃんの手を握るのが見えた。

そして次の瞬間、ひなたちゃんは顔を上げて──にぱーっ!と笑った。


太陽みたいな、眩しい笑顔。


(あ…)


その笑顔を見た瞬間、私の中にあった黒い気持ちが、少しだけすぅっと浄化されていくのが分かった。


(ひなたちゃん…無理、しちゃって…)


わかるよ。本当は泣きたいくらい嬉しいくせに。

でも、陽翔くんを、そして見ている私と美月ちゃんを安心させるために、必死に笑ってるんだよね。

本当に、あなたはすごいな…。


(ごめんね、ひなたちゃん。さっき、ずるいなんて思っちゃって…)


私は大丈夫。さっき、陽翔くんにいっぱい甘えさせてもらったから。

「世界で一番おいしい」っていう、最高の宝物をもらったから。


だから、今度はあなたの番。

陽翔くんのこと、お願いね。

雨なんか吹き飛ばしちゃうくらい、その太陽みたいな笑顔で、陽翔くんをいーっぱい照らしてあげてね。


私はエプロンでぐいっと涙を拭うと、二人から見えないようにキッチンの隅にそっと移動した。

そして頭の中で一生懸命考える。


(今日の夜ご飯はハンバーグだったけど…明日の朝は何を作ってあげようかな…)

(次に私が選ばれた時に、陽翔くんがもっと笑顔になってくれる最高の朝ごはんを考えなくっちゃ…!)


それが、選ばれなかった私にできる、たった一つの「大好き」の伝え方だから……。


美月 ―――


穏やかな雨音。

ソファの柔らかな感触。

隣にいる陽翔の温かい体温。


その全てが、何の前触れもなく、ふっと消えた。


(…また、来たか)


世界から音が消え、色が少しだけ褪せて見える。

また、わたしは選ばれなかった。


柔らかさの無いソファからゆっくりと立ち上がり、誰が選ばれたのかを確認する。


残ったのは…ひなた。

陽翔の腕にぎゅっとしがみついて、何かを囁いているように見える。


(…今回は、あなたなのね。ひなた)


陽翔が、ひなたの頭を優しく撫でている。

ひなたが顔を上げて、太陽みたいに笑うのが見える。

二人が立ち上がって、出かける準備を始める。


(どこかに、行くの?)


陽翔が大きな傘を1つ手に取り、2人は、雨の中玄関を出て行った。


(1つの傘に2人で入って、買い物…? なるほど。子供のおつかいごっこ、というわけね)


(…陽翔。あなたも、物好きね)

(あんな犬みたいにやかましい女の、どこがいいのかしら)


チリ、と胸の奥が焦げるような痛みが走る。

嫉妬。分かっている。こんな感情、無駄だってことは。


でも、止められない。

陽翔の、あの困ったような、でもどこか嬉しそうな顔。

わたしだけに向けてくれればいいのに。


わたしは目を閉じる。

目の前の二人だけの甘い世界を、無理やりシャットアウトする。


(いいわ。今は、あなたに貸しておく)


でも、覚えておきなさい、ひなた。

あなたのその太陽みたいな明るさは、時に人を疲れさせるのよ。

陽翔が本当に求めているのは、そんな押し付けがましい光じゃない。


静かに全てを包み込む、月の光のような安らぎ。

…わたしだけが与えてあげられる、唯一の癒し。


(…次の選択が楽しみね)

(あなたのその能天気な笑顔を、絶望の色に染めてあげる)


わたしは、この無音の世界で、静かに唇の端を吊り上げた。

次に陽翔を骨抜きにするのは、わたしの番なのだから。


再び、柔らかさの無いソファに座り、時が動き出すのを待つのだった。


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