表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/19

第4話 「卵焼きと、永遠じゃなかった朝」




第4話「卵焼きと、永遠じゃなかった朝」



コーヒーの香りが、まだ少し残っている。

俺は、紬希の言葉から、あの日の事を思い出していた。


「ハンバーグか……」


──あの、地獄の日のことを。


あれは、紬希と結婚して、まだ数週間しか経っていない頃だった。

新しい部屋、新しい生活、そして、新しい“家族”としての時間。


紬希は、その日の朝、いつもより少しだけ早く目が覚めた。

隣で、まだ、すぅすぅと寝息を立てている陽翔の寝顔を、ぼんやりと見つめていた。


(ふふっ♡ 寝てる時は、子供みたいで、可愛いんだから…)


紬希は、陽翔を起こさないように、そっとベッドを抜け出してキッチンへ向かった。

今日こそは、と、ずっと心に決めていたことがあったから。


(よしっ…! 今日こそ、陽翔さんのために、世界で一番、おいしい、卵焼きを、作ってあげるんだから…!)


お母さんに何度も電話して聞いた、秘伝のレシピ。

緊張で手が震えながらも、卵を割って、しゃかしゃかと溶いていく。

その音さえも、紬希には“幸せのメロディー”に聞こえる。


くるん、ぱたん。

くるん、ぱたん。


一生懸命巻いた卵焼きは、少し焦げて、形もいびつだった。

でも、紬希はそれを、遅れて起きてきた俺の前に差し出して、ドキドキしながら言った。


「あ、あの…! は、初めて、作ったから…ちょっと、形が、変なんですけど…! でも、いっしょうけんめい、陽翔さんのために、心を込めて、作りました…! よかったら…食べて、ください…!」


俺は、笑った。

くしゃっと、世界で一番優しい顔で。

そして、卵焼きを一口食べて、彼女の頭を撫でながら言った。


「…うん。世界で、一番、おいしいよ」


その一言で、紬希は泣いた。

嬉しくて、嬉しくて、涙がぽろっとこぼれてきた。


焦げたところも、いびつな形も、全部が宝物になった朝。

俺たちの、甘くて、不格好で、世界で一番幸せな、初めての卵焼きの思い出。


──俺たちは、この幸せな朝が、永遠に続くと信じていた。


でも、それは永遠じゃなかった。


その日の午後、紬希は買い物に出かけた帰り道の横断歩道で、信号無視をした大型トラックによる交通事故に遭った。

俺が、病院に駆けつけた時には、もう意識はなく、そのまま二度と目を開ける事はなかった。


冷蔵庫に貼られていたメモだけが、彼女の最後の言葉になっていた。


「陽翔さんへ。夜ご飯はハンバーグ作るから楽しみにしててね♡」


俺は、そのメモの前で、崩れ落ちた。

「ありがとう」も、「美味しかった」も、もう二度と言えない。


俺は、絶望に飲まれた。

この日から、食べる事をやめた。

寝る、起きる、キッチンで紬希を探す。

起きたら、紬希が朝ごはんを作っていてくれる。

卵焼きを作っていてくれる。

あれは、夢なんだと、信じたかった...。

そして、俺はまた眠りにつく。

そんな日を続けていると。

いつしか、俺は、永久に目を覚まさなくなっていた。


そして今──


目の前にいる紬希は、あの朝の続きにいるように思える。

この幸せは、俺が選ばなければ壊れる。


だから、俺は選んだ。

あの卵焼きの記憶を、もう一度味わうために。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ