第23-1話 「欠落したピースと、時限爆弾」
第23-1話 「欠落したピースと、時限爆弾」
美月―――
夜。
みんなが寝静まった後、わたしは一人でリビングのソファに深く沈み込んでいた。
手には、飲みかけの冷めたハーブティー。
(……完敗ね)
昼間の光景が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
『不味くて吐き気がする』
そんな最低な暴言を、二人は「過去の思い出」という暗号を使って、最高の愛の言葉に変えてみせた。
そこには、誰も入り込めない、絶対的な信頼があった。
(それに引き換え...今のわたしは?)
わたしは、自分のこめかみにそっと指を当てて思い返す。
悪魔に差し出した、代償。
わたしは、あいつに「一番大切な思い出を消せ」と命じた。
(……わたしは、何を失ったの?)
具体的には思い出せない。
けれど、旅行の夜に陽翔はベランダでこう言った。
『美月……今日こそ、ダンスしないか?』
あの時、わたしは言葉に詰まった。
彼が何を言っているのか、全く分からなかったから。
「今日こそ」ということは、過去に「ダンス」をしたことがあるということ。
そして、陽翔のあの期待に満ちた目。
そこから予想出来るのは、間違いなく、それは彼にとって、そしてかつてのわたしにとって、かけがえのない大切な記憶だったはず。
(……わたしが捨てたのは『ダンス』の記憶)
背筋が、ゾッと冷たくなるのを感じた。
わたしは、あの夜、とっさに嘘をついた。
「もちろん覚えているわ」と。
そして、陽翔はそれを信じた。
(……もし、悪魔が、その記憶を利用した選択肢を出してきたら?)
陽翔は、迷わずそれを選ぶ事が簡単に予想出来る。
「美月なら、ダンスの意味を分かってくれ」って。
今日のひなたと同じように、わたしとの阿吽の呼吸を信じて。
(でも、わたしは……受け取れない)
それが「SOS」なのか「本心」なのか、判断する材料(思い出)が、わたしの中には無いから。
わたしが、キョトンとしたり的外れな反応をした瞬間、わたしの「嘘」はバレる。
そして、陽翔は知る。
わたしが、彼との一番大切な思い出を、一夜の旅行の為にドブに捨てた冷酷で卑怯な女だってことを。
(……怖い)
震えが、止まらない。
自分でついた嘘が、今、わたしの首を真綿で首を締めるようにジワジワと締め付けている。
(それに……わたしの『呪い』も、もう、効かないのかもしれない)
わたしは、唇を噛む。
あの旅行の夜、わたしは陽翔に「約束」という名の呪いをかけた。
「わたしだけを見ろ」と。
そうすれば、救ってあげると。
でも、陽翔は今日、ひなたを選んだ。
そして、ひなたという「太陽」によって、救われてしまった。
わたしの「夜」がなくても、彼は光を見つけてしまった。
(代償まで払ったって言うのに!)
一番大切なものを、捨ててまで手に入れたはずの『勝利』が、指の隙間からこぼれ落ちていく喪失感がする。
わたしは、自分が滑稽で、惨めでたまらなくなる。
陽翔を支配しているつもりで、実は、一番追い詰められているのはわたしの方だったなんて。
(…...…いいえ)
わたしは、顔を上げて窓を見る。
そして、窓ガラスに映る、青ざめた自分の顔を睨みつける。
(ここで諦めたら、本当に、ただの『思い出を捨てた女』で終わってしまう)
過去が無いなら、今のわたしで彼の全部を埋め尽くして、過去を振り返る暇なんて与えなければいい。
嘘でも、演技でもいい。
陽翔が「ダンス」と言ったら、それが世界で一番素敵なものだったかのように、振る舞い続けるしかない。
(……見てなさい、陽翔。あなたの信頼も、過去も、全部……わたしの『嘘』で、塗り替えてあげる。それが、思い出を捨てた、わたしの……最後の、誠意よ)
わたしは、冷めたハーブティーを一気に飲み干した。
苦い味が、口の中に広がる。
それは、わたしが背負った、罪と覚悟の味だった。
陽翔―――
「……ん……ぐっ……!?」
目が覚めた瞬間、俺は世界の終わりかと思うほどの「圧迫感」と、それとは裏腹な極上の「柔らかさ」に包まれていた。
(息が、できない...?!)
「ん……むにゃ……陽翔さぁん……」
視界は、白くてきめ細かい肌色一色。
鼻と口が、とてつもない質量を持った温かくて甘い匂いのする「何か」で、俺の顔面を包み込むようにして密着していて、完全に塞がれていた。
それが、紬希の豊満な胸だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
(柔らかい!……でも、このままだと俺は……)
俺は、薄れゆく意識の中で、天国と地獄を同時に味わっていた。
脱出しようと体を動かそうとするが、なぜか動かない。
「……んぅ……ハンバーグぅ……むにゃむにゃ……」
ひなただ。
俺の両足を、抱き枕みたいにガッチリとホールドして、スヤスヤと寝息を立てている。
俺の足は、完全にロックされていた。
(え?右腕も……動かない……!)
右を見ると、美月が俺の右腕を自分の胸に抱え込み、頬をすり寄せていた。
普段はあんなにクールなのに、寝ている時だけは、独占欲丸出しで離そうとしない。
「……ん……行かないで……」
(み、みんな……起きてくれ! 俺は、このままだとっ……!)
俺は、最後の力を振り絞って、残った左手で紬希をペチペチと叩いた。
「んっ……? ……あ……??」
紬希が、ゆっくりと目を開ける。
そして、自分の胸が俺の顔面を完全に覆っていることに気づき、パッと顔を赤らめた。
「はっ……! 陽翔さん!? す、すみません! 私、また……!!」
紬希が、慌てて身を起こすと、目の前の豊かな双丘が、たゆん、たゆん、と重力を無視するかのように揺れる。
俺は、ようやく酸素が供給され「ぷはっ!」と大きく息を吸い込んだ。
「はぁ、はぁ……! し、死ぬかと思った……」
「ご、ごめんなさい! 私、陽翔さんの匂いが落ち着くからって、つい……抱き枕みたいにしちゃって……!」
紬希が、申し訳なさそうに身を縮めるが、その動作さえも扇情的に見える。
騒ぎを聞きつけて、足元のひなたも目を覚ました。
「ん~? なになに~? 朝から紬希ちゃんだけズルいよ~!」
ひなたが、のそのそと這い上がってきて、俺のお腹の上に乗っかる。
「ぐえっ……ひ、ひなた、重い……」
「えへへ~! だーりん、おはよっ! 今日も一番乗りはひなたでしたー!」
「……うるさいわね、朝から」
右腕の拘束が解け、美月もけだるげに目を覚ます。
不機嫌そうな顔をしているが、その手は、まだ俺のパジャマの袖を掴んだままだ。
「……あら。陽翔、顔が赤いわよ? そんなに紬希の胸が良かったのかしら」
「ち、違う! 苦しかったんだよ!」
「ふふっ。嘘おっしゃい。……でも、4人で寝るには、やっぱり狭いわね」
美月が、ため息をつきながらも、少しだけ俺に体を寄せてくる。
紬希の柔らかさ、ひなたの体温、美月の香り。
ベッドの上で、3人の愛する妻たちと肌を合わせる朝。
窒息しそうだったけれど、この騒がしくて温かい時間が、俺はどうしようもなく好きだった。
(このまま、何も起こらなければいいのに)
俺が、そう心の中で呟いた、その瞬間だった。
―――世界から、音が消えた。
ひなたの笑い声も、衣擦れの音も、時計の秒針の音さえも。
温かかった体温が、急激に冷えていく。
(……来たか)
俺は、覚悟を決めて立ち上がる。
「朝ぐらいゆっくりさせろよな」
すると、間もなくして、目の前に不吉な赤黒い“血文字”が浮かび上がって来た。
【心して選べ】
A. 【五感を閉ざした孤独な王】
B. 【魂なき三体の愛玩人形】
C. 【欠けた四つの歯車】
※選択しなければ、全員が消える
砂時計がひっくり返り、赤い砂が落ち始める。
抽象的で曖昧な選択肢だが、説明はない。
(……俺を試しているのか?)
俺は、震える視線で選択肢を睨みつけ考える。
A. 【五感を閉ざした孤独な王】
「王」とは、この家の主である俺のことだろう。
「五感を閉ざした」って事は、つまり、俺が目も見えず、耳も聞こえず、何も感じない廃人になるということか。
だとすると、俺一人が犠牲になれば、3人は無傷で済むかもしれない。
(……いや、これは罠だ。もし俺が五感を失ったら、その間にこの『血文字』が出たら誰が読む? 誰が選択をする? 俺が機能停止すれば、それは全員のゲームオーバーを意味するじゃないか!)
B. 【魂なき三体の愛玩人形】
「三体」とは、紬希、ひなた、美月のことだな。
「人形」とは、意思も言葉も奪われ、ただそこにいるだけのモノにされると言うことか?
(……それなら論外だ。みんなの心を奪ってまで、俺だけが満足する世界なんて、地獄以下だ)
C. 【欠けた四つの歯車】
「四つ」とは、俺たち家族全員の事だな。
「欠けた歯車」とは、何かが足りなくなる、もしくは何かを失う。
でも、歯車は欠けていても、噛み合えば回るよな。
(……これなら、全員が何かを失ったとしても、互いに補い合えば一日を乗り越えられるはずだ!)
「……みんな、俺を信じてくれ」
聞こえていないと分かっていても、俺はそう呟かずにはいられなかった。
そして、俺は迷わず指を伸ばした。
C. 【欠けた四つの歯車】
──選んだ瞬間、世界が動き出した。
俺は、隣にいる美月の方を見ようとした。
だが。
(……え?)
何も、見えない。
さっきまで差し込んでいた朝の日差しも、美月の銀髪も。
ずっと目を瞑ったままかのように、どれだけ目を見開いても真っ暗闇に包まれていた。
「……み、美月? 紬希? ひなた?」
俺は、暗闇の中で手を伸ばす。
すると、あちこちから、パニックになったような物音が聞こえてきた。
ガタンッ!
ドサッ!
「……っ!? て、手が……動きません……!」
紬希の、悲痛な声。
「あれっ? ……足が……足に力が入んないよぉ……!」
ひなたの、怯えた声。
そして、美月は何も言わない。
「…………」
さっきまで美月がいた場所に手を伸ばすと、サラッとした髪に触れる。
(美月はそこにいるのに声を出さない……そうか!これが『欠けた歯車』か!俺は、視覚を失った。紬希は、両手の自由を。ひなたは、両足の自由を。そして美月は……たぶん、声を失ったんだ)
紬希―――
「……ん……ぐっ……!?」
苦しそうな唸り声と、何かがバタバタと暴れる気配で、私は浅い眠りから目を覚ました。
「んぅ……?」
目を開けると、視界いっぱいに広がるのは、愛しい陽翔さんの髪の毛。
そして、私の胸元で、陽翔さんが必死に何かを訴えている。
「……ん……むにゃ……陽翔さぁん……」
私は、寝ぼけまなこで陽翔さんの匂いを嗅ぐ。
陽翔さんの匂いがすると落ち着く。
大好きな匂い。
陽翔さんは、まるで、大きな抱き枕みたい。
すると、陽翔さんがぺちぺと私の腕を叩く。
「んっ……? ……あ……??」
私が、ゆっくりと、そしてしっかりと目を開けると、陽翔さんの顔が胸の谷間にが完全に埋まっている事に気づき、パッと顔を赤らめた。
「はっ……! 陽翔さん!? す、すみません! 私、また……!!」
私が、慌てて身を起こすと、私の大きなお胸が、たゆん、たゆん、と重力を無視するかのように揺れる。
「……っぷはっ!!」
陽翔さんが、私の胸の中から、勢いよく顔を出して、荒い息をついた。
「はぁ、はぁ……! し、死ぬかと思った……」
陽翔さんは、顔を真っ赤にして空気をむさぼっている。
「ご、ごめんなさい! 私、陽翔さんの匂いが落ち着くからって、つい……抱き枕みたいにしちゃって……!」
そんなやり取りをしていると、足元からひなたさんが「むにゃむにゃ…」と起き出してきて、美月さんも「うるさいわね…」と不機嫌そうに目を覚ます。
ベッドの上で、4人が身を寄せ合って迎える朝。
陽翔さんは大変そうだけど、私にとっては、何よりも愛おしくて幸せな時間。
(ふふっ。今日も良いお天気になりそう♪)
カーテンの隙間から差し込む光を見て、私はそう思った。
洗濯物を干して、朝ごはんを作る。
そんな当たり前の幸せが、今日も続くんだと信じていた。
──その瞬間だった。
(……あれ?)
立ち上がろうとして、手をつこうとした、その時。
手が、動かない。
まるで、私の腕だけが、重たい鉛になっったみたいにピクリともしない。
(...え? なんで?? 痺れちゃったのかな…?)
私は、焦って何度も何度も腕に力を込めようとした。
でも、指先ひとつ動かない。
まるで、自分の体じゃないみたいだった。
(怖い…なに、これ…)
心臓が、早鐘を打つ。
(これ...ただの痺れじゃない?!)
私の両腕が、完全に機能を失っている。
その時だった。
「……み、美月? 紬希? ひなた?」
隣りで、陽翔さんが怯えたような声を上げた。
見ると、陽翔さんがベッドに立ち上がったまま、虚空に向かって両手を泳がせている。
その瞳は、開いているのに、どこにも焦点が合っていない。
(陽翔さん…? 目が…?)
ドサッ!
足元の方で、鈍い音がした。
ひなたさんが、ベッドから降りようとして、そのまま床に崩れ落ちていた。
「あれっ? ……足が……足に力が入んないよぉ……!」
ひなたさんが、泣きそうな声で叫びながら、動かない自分の足を叩いている。
そして、美月さんは、ベッドの上で青ざめた顔をして、口をパクパクさせているけれど、声が出ていない。
(あ……)
一瞬で、理解した。
また、悪魔だ。
悪魔が、私たちの「当たり前」を奪ったんだ。
私は、腕が動かない恐怖で、叫び出しそうになった。
「くそっ……見えない……!」
陽翔さんが、ベッドの上で焦ったように歩こうとして足をもつれさせた。
バランスを崩して、壁の方に倒れ込んでいく。
私は、とっさに叫んだ。
「 陽翔さんっ!危ないっ!!」
私は、壁を背に足の力だけで立ち上がる。
手は、動かない。
支えてあげることも、腕を引いてあげることもできない。
(それなら…!)
考えるより、体が勝手に動いていた。
(私がクッションになって、陽翔さんを守るしかない!)
私は、よろめきながら、陽翔さんと壁の間に、スッと割り込んだ。
そして、動かない両腕をだらりとさせたまま、胸を張って仁王立ちになる。
ポヨンッ!
倒れ込んできた陽翔さんの顔が、私の胸の谷間に勢いよく埋まる。
衝撃で、少し息が詰まったけれど、私は足を踏ん張って、陽翔さんの体重をその身一つで受け止めた。
「っ!? …うわっ!?またっ?!」
陽翔さんが、驚いて声を上げる。
何かにぶつかる痛みを覚悟していたはずなのに、ぶつかったのは、温かくて、とてつもなく柔らかい感触。
陽翔さんは、顔を埋めたまま、その感触を確かめるように、少しだけ頬をすり寄せた。
「…この柔らかさ。この、甘い匂い…」
陽翔さんの口元が、私の胸の谷間で動く。
「…...紬希か?」
その言葉に、私は腕が動かない恐怖も忘れて、耳まで真っ赤になるのを感じた。
こんな、絶望的な状況なのに。
腕が動かなくて、大変なことになってるのに。
陽翔さんが、私の「お胸」の感触だけで、私だとわかってくれたことが、どうしようもなく恥ずかしくて嬉しかった。
「…は、はい。紬希です!」
私は、動かない腕の代わりに胸を縦に振ると、陽翔さんの頭も縦に揺れる。
「手が動かなくなってしまって…これくらいしかできなくて…すみません…」
「いや…助かった。…すごく、安心する」
陽翔さんの力が抜けて、私の胸に体重を預けてくる。
目が見えなくても、手が動かなくても、この温もりと柔らかさだけは、嘘をつかない。
私は、陽翔さんの匂いに包まれながら、心の中で誓った。
(私が、あなたの目になり、みんなを絶対に守り抜いてみせます)




