第22話 「悪魔に報(むく)いる、血の選択」
第22話 「悪魔に報いる、血の選択」
【心して選べ】
A. 美月に「過去の思い出など重荷だ」と告げ、ワインを奪い取り、その場に流し捨てる
B. 紬希に「母さんの味には程遠い」と告げ、皿を投げる
C. ひなたに「本当は不味くて吐き気がする」と告げ、吐く真似をする
※選択しなければ、全員が消える
俺は、どれを選んでも誰かが傷付く血文字の三択を凝視したまま、歯を食いしばった。
(悪魔め……)
ふっ、と現れた砂時計は、俺の迷いなんか無視して無常にもひっくり返り、サラサラと赤い砂を落とし始めた。
悪魔は、俺が愛する妻たちへの「愛の否定」を口にする姿を喉を鳴らして待っているのだろう。
誰を選んでも、この地獄は深まる。
深まる、ように見える。
(だが……違う)
この三択の中で、唯一、嘘が嘘ではない言葉が隠されている。
(悪魔。お前は、俺の「罪悪感」を燃料にゲームを続けるつもりなんだろう。でも、俺が選ぶのは「愛の証明」だ!)
「……いつも、お前の思い通りになると思うなよ」
俺は、ニヤリと笑って手を伸ばした。
C. ひなた
──選んだ瞬間、世界が動き出した。
「おっと」
俺は、美月が消えて、グラスが地面に落ちそうになるのを空中で受け止め、テーブルに置いた。
選ばれたひなたは、まだ状況を理解出来ていないみたいでオロオロとしている。
俺は、ひなたの瞳を見つめてこう言った。
「ひなたの作ってくれたミックスジュース、本当は不味くて吐き気がする……オェッ」
俺は、血文字で選択した通りに言うと、わざとらしく吐く真似をして見せた。
突然の暴言に、ひなたは一瞬何を言われたのか理解出来ず、目を丸くして見つめていた。
紬希―――
「ひなたの作ってくれたミックスジュース、本当は不味くて吐き気がする……オェッ」
リビングに、陽翔さんの冷酷な言葉が響いた。
ひなたちゃんが、信じられないという顔で、目を丸くして固まっているのが見える。
私は、陽翔さんの真後ろにいるから彼の表情は見えない。
ただ、聞こえて来たのは、信じられない様なひどい言葉と、吐く真似をする音。
普通なら、ショックを受ける場面です。愛する人が、あんなに一生懸命作ったジュースを、不味いなんて言うなんて。
でも、私には、どうしてもそうは思えなかった。
(…...おかしいです)
私の視線は、陽翔さんの右手に釘付けになっていた。
そこには、さっき美月さんが消えた拍子に落ちそうになっていたワイングラスが、しっかりと握られている。
(もし、陽翔さんが、本当に自暴自棄になっていたり、ひなたちゃんを傷つけようとしていたりするなら、グラスを助けたりする余裕があるでしょうか?……それに、あの背中。「不味くて吐き気がする」と言っている人の背中じゃありません。背筋がピンと伸びて、肩は微動だにせず、足はしっかりと床を踏みしめている。まるで、何かと戦っているかのような、力強い立ち姿。陽翔さん…あなた、嘘をついてますね?私には、わかります。その言葉は、本心じゃないって。
本当に不味いなら、あんなに堂々と胸を張って言えるはずがない)
「ふふっ」
私は、透明な体で、思わず口元を緩めた。
(なんて、下手くそな演技なんでしょう。どうして、そんな嘘をつくのか、私にはわかりません。でも、その背中は言葉とは裏腹に「誰も傷つけたくない」「何も壊したくない」って、必死に叫んでいるみたい。ひなたさんは、言葉の衝撃でまだ固まっているけれど、私には見えてます。あなたの、不器用で、強くて優しい心が)
私は、そっと陽翔さんの背中に手を伸ばす。
もちろん、触れることはできないけれど。
それでも、その温かい背中の熱を感じた気がした。
(バレバレですよ、陽翔さん。私は、そんな不器用なあなたが、たまらなく愛おしいです。どうせ、これが悪魔に選ばされた選択肢なんですよね?)
私は、心を殺してまで必死に「優しい嘘」をつき通そうとしている陽翔さんを、誇らしく見つめ続けていた。
美月―――
世界が、遠のく。
わたしの指先から、ワイングラスがスルリと抜け落ちた。
(...…あっ)
わたしじゃなかった。
そう思った瞬間、陽翔が素早く動いた。彼は、宙を舞ったわたしのグラスを、間一髪キャッチしていた。
(ふんっ。相変わらず、無駄に反射神経がいいわね)
わたしは、無の世界から、その光景を冷ややかに見つめる。
選ばれたのは、ひなた。
さっきまで、勝ち誇っていたあの小娘。
(よかったじゃない。陽翔に、選んでもらえて)
嫉妬で胸が焼ける。
そう思った、次の瞬間だった。
「ひなたの作ってくれたミックスジュース、本当は不味くて吐き気がする……オェッ」
(..…….は?)
耳を疑った。
(あの、陽翔が?さっきまで、あんなに嬉しそうに飲んでいたのに、吐く真似までして、ひなたを侮辱している?)
不思議な光景に、わたしの呪いの効果かと思った。
ひなたが、目を丸くして、凍り付いているのが見える。
(…違う)
わたしは、すぐに悟った。
陽翔の、横顔を見て。
そして、この悪趣味なゲームの本質を思い出して。
(...…そういうこと。今回の選択肢は『ひなたを傷つける』を選んだのね)
だとしたら、他の選択肢は何だったの?と想像してみたけど、分からないので考えない事にする。
わたしは、唇を噛んだ。
選ばれることが、必ずしも幸せとは限らない。
陽翔は今、ひなたを傷つける役を演じさせられている。
その心は、きっと血を流しているはず。
(馬鹿な男……そんなことなら、わたしを選べばよかったのに。わたしなら、あなたの下手くそな暴言くらい、鼻で笑って受け流してあげられたのに)
わたしは、ひなたの悲しげな顔と、陽翔の横顔を交互に見る。
(…かわいそうに)
それは、ひなたへの同情か、それとも陽翔への憐憫か。
あるいは、選ばれなくてよかったと言う自分への安堵か。
(……見ていられないわね)
わたしは、目を閉じた。
この、最悪な茶番劇が、早く終わることだけを祈って。
ひなた―――
世界が動き出した瞬間、美月ちゃんと紬希ちゃんの気配が消えた。
陽翔くんが、美月ちゃんが持っていたグラスが落ちそうになるのを素早く受け止めた。
残されたのは、わたしと陽翔くんだけ。
そして、陽翔くんは、わたしを真っ直ぐに見つめて言った。
「ひなたの作ってくれたミックスジュース、本当は不味くて吐き気がする……オェッ」
その言葉と吐くしぐさが、胸の奥をズキンッ、と音を立てて痛める。
(さっきまで「美味しい」って言ってくれてたのに…「元気が出た」って笑ってくれてたのに……嘘つき)
でも、わたしの目から涙はこぼれなかった。
だって、陽翔くんの瞳が、ちっとも冷たくなかったから。
その瞳は、泣き出しそうなほど痛々しかった。
でも、わたしには、奥の方で「気づいてくれ」って叫んでいるように見えた。
「不味くて……吐き気がする……」
わたしは、その言葉を頭の中で反芻する。
(......あれ?こんなこと、前にもどこかで……)
酷い事を言われてるのに、なぜか、心の中に懐かしい感覚が湧き上がってくる。
(あっ!)
瞬間、わたしの脳裏に、ある映像がフラッシュバックした。
あれは、まだ結婚して半年くらいの頃。陽翔くんが、仕事でボロボロになって、ゾンビみたいになって帰ってきた夜のこと。
わたしの作った、自信満々の渾身の料理を食べて、陽翔くんはこう言った。
「……なんだよこれ!不味すぎて吐きそうになったよ!」
あの時、陽翔くんは笑いながらそう言ってくれた。
その後、わたしも食べてみたら、何故か作り方を間違えてたみたいで、すっごく美味しくなくて、陽翔くんと心から笑ったのを覚えてる。
(そっか……そうなんだね?陽翔くん)
わたしは、理解した。
陽翔くんは、わたしを傷つけるためにこの言葉を選んだんじゃない。
わたしとの、一番「生きてる」って感じたあの日の思い出を呼び起こすために選んでくれたんだ。
悪魔には、ただの「暴言」に聞こえるかもしれない。
でも、わたしには聞こえるよ。
「あの日のこと、忘れてないよ」っていう、陽翔くんの心の声が。
わたしの中にあった動揺が、すぅーっと消えていく。
そして、代わりに陽翔くんへの愛おしさが、胸いっぱいに広がっていく。
わたしは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、心配そうにわたしを見ている陽翔くんに向かって、太陽のように温かく微笑んだ。
「……知ってるよ」
わたしは、一歩、陽翔くんに近づく
。
「だーりん、あの日も……そう言ってたもんね?」
わたしの言葉に、陽翔くんがハッとして目を見開く。
「ひなた……気付いてくれたんだな!」
「もちろんだよ!」
陽翔くんが、わたしをギュッと抱きしめてくれる。
わたしも、それ以上にギュッと強く抱き締め返す。
すると、陽翔くんが耳元でボソッとこう言った。
「誰も傷つかない選択が出来て良かった...」
(そうか!陽翔くんは、悪魔に勝ったんだね!悪魔もきっと悔しがってるハズだよ!)
わたしは、口には出さなかったけど、もう一度、愛を込めてギュッと強く抱きしめた。




