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第21話 「食卓と言う名の、新しい戦場」


第21話 「食卓という名の、新しい戦場」



美月―――


(…本当にやかましい女ね、ひなたは)


わたしは、ソファに深く腰掛けたまま、腕を組んで目の前のドタバタ劇を冷ややかに眺めていた。

わたしの、完璧な膝枕の時間を台無しにされて、腹立たしい事この上ない。


(でも…)


わたしは、チラりと陽翔の顔を盗み見る。

彼の顔には、さっきまでの罪悪感に歪んだ表情はもうない。

ひなたの、強引さに呆れながらも、どこか救われたような穏やかな笑みが浮かんでいる。


(まあ、いいわ。今は、あなたに花を持たせてあげる)


わたしは、ゆっくり立ち上がると、何事もなかったかのようにダイニングテーブルの自分の席についた。


「 美月ちゃん遅い!紬希ちゃんのハンバーグ冷めちゃうよ!」


ひなたが、頬を膨らませてこっちを見ている。


(こうして、悪魔に邪魔されずに全員が揃う食卓は、あと何回あるのかしらね...)


わたしは、ふん、と鼻を鳴らして箸を手に取った。


「いただきます」


目の前には、紬希が作った完璧なハンバーグが美味しそうに湯気を立てている。

デミグラスソースの匂いが、食欲をそそる。


(『お母さんの味』ですって? 笑わせてくれるわ)


わたしは、ハンバーグを箸で切り分け、口に運ぶ。


(……美味しい。悔しいけれど、美味しいわ)


でも、わたしは表情には出さない。

そして、陽翔に話しかける。

紬希にも、ひなたにも、聞こえるように。


「陽翔」


「ん?」


「この、ハンバーグも美味しいけれど、わたしはやっぱり、あなたが昔作ってくれた、あの不格好なカルボナーラの方が、好きかしら」


「………え?」


陽翔が、きょとん、とした顔でわたしを見る。


「覚えてないの? あなたが、初めてわたしのために作ってくれたパスタのこと。

生クリームを入れすぎて、べちゃべちゃで、その上、胡椒を振りすぎて辛くて…とても食べられたものじゃなかったけど...」


わたしは、そこで一度言葉を切る。

そして、最高の蠱惑的な笑みを浮かべて続ける。


「でも、わたしは、アレが今まで食べたどんなご馳走よりも好きだわ。…ねぇ、陽翔。今度、また作ってくれない?」


わたしは、少しだけ首を傾けて、陽翔の瞳を覗き込む。

それは、ひなたの元気なおねだりでも、紬希の健気なお願いでもない。

わたしだけにしかできない、大人の女の「甘え」。

陽翔は、自分の失態を思い出して顔を真っ赤にして箸を落としそうになっている。

2人が、悔しそうな顔でわたしを睨んでいるのが視界の端に映る。


(ふふっ)


わたしは、心の中でほくそ笑む。


(戦場は変わったのよ、二人とも。ここからは、ただ尽くすだけじゃない。過去の思い出も全て武器にして、陽翔の心を奪い合う、新しいゲームの始まりよ)


わたしは、スっと立ち上がり、キッチンにあるワインセラーからワインを取り出し、席に戻る。

そして、優雅にワイングラスに注ぐと少しだけ喉を潤す。


わたしは、食卓という名の新しい戦場で、静かに反撃の狼煙を上げたのだった。



紬希―――


美月さんの、甘い過去の思い出話。

「また、作ってくれない?」という、蠱惑的なおねだり。

陽翔さんは、顔を真っ赤にして箸が止まっている。

心ここにあらず、といった感じで。


(…だめ)


私は、直感した。


(このままじゃ、陽翔さんの心が、過去に連れて行かれちゃう。私が、一生懸命作ったこのハンバーグが冷めちゃう前になんとかしないと!)


私は、ガタッ、と音を立てて勢い良く椅子から立ち上がった。

陽翔さんも、美月さんも、驚いて私を見る。

私は、何も言わずに、陽翔さんのそばへ移動する。

そして、陽翔さんの目の前にある、まだ、ほとんど手つかずのハンバーグにナイフを入れた。


「え……?」


肉汁が、じゅわっと溢れ出し、湯気とともに濃厚な香りが立ち昇る。

私は、その一番おいしそうな中心部分を大きめに切り分けると、フォークで刺して陽翔さんの口元へと差し出した。


「陽翔...さん」


私の声は、少しだけ震えていたかもしれない。

でも、その瞳は、絶対に逃がさないという強い意志で、陽翔さんを射抜く。


「過去の思い出に浸るのもいいですけど、まずは、目の前の『今』を味わってください」


陽翔さんが、呆気にとられている隙に、陽翔くんの唇にハンバーグを、こつん、と押し当てた。


「はい、あーん♡」


「…え、ちょ、紬希!?」


「んっ! 早くしないと、肉汁が落ちちゃいますよ! はいっ!」


「あっ、んっ!」


半ば強引に、でも、愛情たっぷりに口の中に押し込む。

陽翔さんは、慌ててそれを咀嚼する。

口いっぱいに広がる、お肉の旨味と、懐かしいお味噌の隠し味。

そして、私が込めた、あふれんばかりの『大好き』の味。

陽翔さんの目が、ぱちくり、と見開かれる。


「……母さんの…味だ。

おいひい!おいひいよ紬希!」


それは、美月さんの呪いが解けた瞬間だった。

私は、満足げに微笑んで、対抗するかのように美月さんの方を振り返った。


「…ふふっ♡思い出のパスタも素敵ですけど…やっぱり、お腹を満たしてくれるのは、今、ここにある『お母さんの味』ですよね? 美月さん?」



ひなた―――


目の前で繰り広げられる、紬希ちゃんの愛の強行突破。

陽翔くんの、口いっぱいに頬張られたハンバーグ。

モグモグしてる陽翔くんは、リスみたいで可愛い。


(……ずるい!紬希ちゃんばっかり、陽翔くんに「あーん」して!)


わたしは、それをじっと座って見てるなんて事はできなかった。


(美月ちゃんが、過去の思い出で攻めるなら...紬希ちゃんが、お母さんの味で攻めるなら……わたしは、今、この瞬間を生きるエネルギーを注ぎ込むっ!)


わたしも、椅子をガタッと鳴らして立ち上がると、紬希ちゃんと陽翔くんの間に、忍者の様に素早く潜り込んだ!


「もーっ!紬希ちゃんだけズルイよ!」


そして、わたしは陽翔くんの目の前に、さっきドンッと置いた特製ミックスジュースを、今度は手に取って陽翔くんの口元にグイッと差し出した。


「ほらほら、だーりん!ハンバーグ食べたら喉乾くでしょ?お肉の後は、サッパリとビタミンチャージだよ!」


陽翔くんは、まだ口の中のハンバーグをゴックンしたばかりで、目を白黒させている。


「んぐっ…ひ、ひなた…?」


「はい、飲んで飲んで!これはね、ただのジュースじゃないんだよ?わたしの『元気』と『大好き』を、これでもかー!ってくらいミキサーで混ぜた、特製『ひなたサンシャインエナジー』なんだから!」


わたしは、陽翔くんの返事も待たずに、グラスの縁を陽翔くんの唇に当てて、少しずつ傾ける。


「美月ちゃんの飲んでるワインみたいな『大人の味』じゃないし、紬希ちゃんのハンバーグみたいな『懐かしい味』でもないけど…これを飲んだら、明日も明後日も、ずーっと先まで頑張れるパワーが湧いてくるんだよ!」


ゴクゴクと陽翔くんがジュースを飲む音がする。

野菜とフルーツの甘酸っぱい香りがフワッと香って来る。


「ぷはーっ…!ゲホゲホッ……ジュースで溺れるかと思った...」


目を白黒させながらグラスが空になると、陽翔くんが大きく息を吐いた。

その顔は、少し紅潮して生き生きとして見える。


「……それにしても、このジュースうまいな!なんか、元気になった気がするよ!」


その言葉を聞いて、わたしは二人に勝ち誇った顔で、にぱーっと笑って見せた。


「でしょー!過去も大事、お母さんも大事!でもね、だーりんを一番元気にできるのは、『太陽の恵み』なんだからね!」


わたしは、空になったグラスを高々と掲げて、高らかに宣言した。

これで、お腹も心もエネルギーも満タン!


(さあ、ここからが本当の勝負だよ、二人とも!)



陽翔―――


「……それにしても、このジュースうまいな! なんか、元気になった気がするよ!」


俺の言葉に、ひなたが、にぱーっと勝ち誇った笑顔を見せる。

口の中には、まだジュースの甘酸っぱい余韻が残っている。

目の前には、俺を愛してくれる二人の笑顔。

そして、少し不機嫌そうだけど、美しい美月がいる。


(…………幸せだな)


ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。

悪魔のゲームの最中だというのに。

俺は、みんなの愛に包まれて、馬鹿みたいに満たされている。


(この時間が、ずっと続けばいいのに……)


俺が、叶わない願いを願ったその瞬間だった。


―――フッ。


世界から、音が消えた。

ひなたの「でしょー!」という明るい声の残響が、プツンと切断された。

美月が、ワイングラスをテーブルに置こうとした動作が、途中で止まっている。

紬希の、エプロンの紐の揺れさえも、凍りついている。


(……え?)


俺は、息を呑もうとした。

だが、空気さえもが重く、肺に入ってこない。

さっきまでの、ハンバーグの温かさも、ジュースの爽やかさも、一瞬で冷たい泥のような感覚に変わっていく。


(くそっ!幸せを感じる事さえ許されないのか……!)


俺の意思とは無関係に、視線が強制的に空間の一点に吸い寄せられる。

楽しげな食卓の風景の上に。

愛する妻たちの笑顔の上に。

あの、見たくなかった色が、どろりと滲み出してくる。

それは、見たくもない、赤黒い血文字だった...。



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