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第20話 「太陽の力」


第20話 「太陽の力」



美月―――


ガチャリとドアが開くと、陽翔が好きな歌が玄関まで聞こえて来る。


(…なるほどね)


わたしは、陽翔がひなたの抱擁を制止するのを冷静に観察する。

ひなたの、傷ついた子犬のような瞳。

陽翔の、罪悪感に歪む横顔。


(ふふっ。効いてる、効いてるわ。

わたしが、旅行中にあなたに植え付けた甘い『呪い』が)


リビングに入ると、床がピカピカに磨かれている。


(くだらない歓迎の準備ね。どうせ、これもひなたでしょ?...分かりやすい女)


「美月さん、陽翔さん、おかえりなさい」


紬希の声がキッチンから聞こえたけれど、あえて聞こえないフリをする。

そして、ソファに深く腰を下ろすと、足を組んでこれから始まるであろう滑稽な光景を楽しみに待つ。


キッチンの方からは、とんとん、と何かを刻む音がしている。


(……紬希も、戦場に戻ってきたようね。

でも、もう、遅いわ。今の、陽翔の心は、わたしとの『約束』と、あなたたちへの『罪悪感』でグチャグチャなんだもの。そんな時に、どんなに尽くしたって、彼の心には何も響かないわよ)


わたしは、静かに立ち上がる。

そして、キッチンにいる紬希と、リビングでしょんぼりしているひなたに聞こえるように、ソファに座っている陽翔に向かって告げる。


「陽翔」


「...…ん?」


「疲れたでしょう? 少し休んだら?

.…わたしの、ヒザを貸してあげるわ」


わたしは、そう言うと、陽翔の隣りに座り直し、自分の膝をポンポンと叩いて見せる。

それは、他の二人には絶対にできない、絶対的な自信に満ちた、女王からの命令。

陽翔は、一瞬戸惑いの表情を浮かべる。

この生活を始めてから、こうしたイチャイチャするような行為は、抜け駆けみたいで誰もしてこなかったから。

紬希とひなたの、視線が陽翔に突き刺さるのが分かる。

でも、彼は逆らわなかった。

いえ、逆らえなかった。

今の彼には、わたしの甘い誘惑が、何よりも魅力的に見えたはずだから。


「……ありがとう」


陽翔が、おそるおそるわたしの膝に頭を乗せる。

わたしは、そんな彼の髪を、優しく撫でてあげる。

そして、驚いた顔をしている、紬希とひなたを見ながら、わたしは勝利の笑みを浮かべる。


(どうかしら? 二人とも。これが『格の違い』というものよ)



紬希―――


じゅううううう…。


キッチンに、私が愛情を込めてこね上げた、ハンバーグが焼ける美味しそうな音が響き始める。

世界で一番優しくて、そして、誰にも真似できない、暖かい愛の匂いが満ちていく。

でも、リビングの空気は、氷みたいに冷たかった。

さっきまで、あんなに太陽みたいに輝いていたひなたさんが、ダイニングテーブルに座ってしょんぼりと俯いている。

気が付くと、大音量だった音楽は、いつの間にか止められていた。


(……玄関で、何か悲しいことがあったんですね)


そして、これ見よがしに、美月さんが陽翔さんを膝枕しだした。

私は、凄く驚いたけれど、悪い予想が当たったのだと思った。


(…ああ、やっぱり)


私は、フライパンの上で、じゅうじゅうと肉汁を滴らせるハンバーグから、目を離さない。

でも、私の心は、リビングの光景に釘付けだった。


(陽翔さんを独り占めして…勝ち誇ったような、あの顔…)


胸の奥が、ジリジリと焦げるように熱い。

嫉妬で、狂ってしまいそうになる。


(今すぐ駆け寄って、陽翔さんを取り返したい。『その人は、だめ!』って、子供みたいに泣き叫びたい)


でも、私は動かない。

動けないんじゃない。

動かないんだ。

だって、ここは私の戦場だから。


(いいですよ、美月さん)


私は、心の中で呟く。


(今は、存分にあなたの勝利に酔いしれていればいいんです。あなたの、刹那的な『毒』で、陽翔さんの心を、一時的に満たしてあげてください)


私は、完璧な焼き加減になったハンバーグを、フライパンからお皿に移した。

そして、その上に特製のデミグラスソースを、トロリとかける。

湯気と共に、暴力的なまでに食欲をそそる愛の匂いが、リビングへと流れ込んでいく。


(でも、見ててください)


私は、そのお皿を持って、ゆっくりとリビングへと歩き出した。

その時、私は、わざと美月さんと陽翔さんがいるソファのすぐ横を通る。

私が、一歩足を踏み出すたびに、藤色のロングワンピースの深いスリットから、白い足が、チラり、チラり、と覗く。

美月さんの眉が、ピクリと動くのが分かった。

陽翔さんの視線が、一瞬だけ私の足に注がれるのを感じた。


(ふふっ♡)


私は、心の中で小さく微笑む。

そして、美月さんの膝の上で、どこか虚ろな目をしている陽翔さんの目の前のテーブルにハンバーグを置いた。


「陽翔さん。できましたよ」


私の、あまりにもいつも通りで穏やかな声に、陽翔さんが、ハッ、と我に返る。


「あなたの、だーいすきなハンバーグです。…お母様の、思い出の味、ちゃんと再現できたんですよ?」


私は、にこっ、と優しく慈愛に満ちた笑顔で陽翔さんに微笑みかけた。


(さあ、どうしますか?陽翔さん。美月さんの膝の上で、私のハンバーグを食べるんですか?それとも、偽りの安らぎを振り払って、ちゃんと座り直しますか?)


私は、そばに立って待っている。

陽翔さんの『お家』として。

いつでも、あなたが帰ってこられる、温かい食卓を用意して。



ひなた―――


目の前で繰り広げられる、美月ちゃんと紬希ちゃんの、静かで激しい戦い。

美月ちゃんの女王のような膝枕と、紬希ちゃんの愛と執念が詰まったハンバーグ。

陽翔くんの心が、二人の間で、激しく揺れ動いているのが、痛いほど分かる。


(…っ!だめだ!このままじゃ、陽翔くんは、どちらも選べなくて身動きが取れなくなっちゃう!)


わたしは、ダイニングテーブルに座ったまま、ぐっと拳を握りしめた。

そして、さっきまで、陽翔くんに冷たくされて泣きそうだったけど、もう、そんなことはどうでも良くなっていた。


(今は、陽翔くんを助けてあげるのが、わたしの役割だ!)


わたしは、勢いよく立ち上がる!

そして、大股で歩き、颯爽とソファの前に立った。


「もー!わたし、お腹すいたよ!」


わたしは、少しだけ不機嫌な顔で、二人にそう言った。

その、意外な声に、美月ちゃんと紬希ちゃん、そして陽翔くんの視線が、一瞬でわたしに集まる。


「ねぇ、だーりん。美月ちゃんの膝枕は、柔らかくて気持ちいいかもしれないけど、陽翔くんの大好きなハンバーグ冷めちゃうよ?」


わたしは、そう言って、陽翔くんの頭を力いっぱい、ぐいっと引っ張って、美月ちゃんの膝から引き離した。


「……いらない」


「もう!わがまま言わないで!子供じゃないんだから!」


陽翔くんは、わたしの突然の行動に、目を丸くしている。

わたしは、そんな陽翔くんの手を引っ張り、キッチンのダイニングテーブルの椅子へと押し付けた。


「はい!ちゃんと座って!

そして、ちゃんと紬希ちゃんのハンバーグを残さず食べるの!紬希ちゃんが、陽翔くんの為に、一生懸命作ったんだからね!」


わたしは、陽翔くんの目の前にリビングから持ってきたハンバーグの皿を置くと、紬希ちゃんをパッと見てウインクした。


「ねっ、紬希ちゃん!わたし、完璧なアシストでしょ?」


そして、冷蔵庫から特製ミックスジュースを取り出すと、陽翔くんの前にドンッ!と勢い良く置いた。


「このミックスジュースも、全部飲み干してね!そうしないと、わたしが許さないんだから!」


美月ちゃんの『支配』でも、紬希ちゃんの『愛情』でもない、わたしは、明るい『太陽の力』で、この場の重たい空気を一気に明るく照らしてあげる。


(これが、わたしの太陽としての戦い方だよ!)


そこで、わたしのお腹が、グゥゥッ、と鳴った。

恥ずかしかったけど、それを聞いた陽翔くんが、いつもの笑顔で笑ってくれた。


「ははっ。さぁ、みんなも早く席に着いて、一緒に食べよう」


その笑顔を見て、わたしも急いで席に着くのだった。

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