第19話 「2つの大作戦」
第19話 「2つの大作戦」
美月―――
電車の窓に映る自分の顔を、ぼんやりと眺める。
隣では、陽翔が静かに眠っていた。
その無防備な寝顔は、二日前とは、比べ物にならないくらい穏やかだった。
(ふふっ...…わたしの勝ちね)
わたしは、心の中で微笑む。
この一泊二日で、わたしは、陽翔の心を完全に手に入れたと確信していた。
月の下で交わした「約束」という名の甘い「呪い」。
もう、あなたはわたしから逃げられない。
家の最寄りの駅に着き、わたしは陽翔を優しく起こしてあげる。
「...…ん…もう、着いたのか…?」
「ええ。さあ、帰りましょう? わたしたちの、家に」
わたしは、あえて「わたしたちの」という言葉を強調した。
陽翔は、何も言わずに頷く。
二人で並んで歩く帰り道。
もう、陽翔は罪悪感に顔を曇らせたりはしない。
その視線は、まっすぐに前を向いている。
…ううん、わたしの、少しだけ先を歩いている。
彼の心の中に、どんな変化があったのかは分からない。
でも、もう迷いはない。
その大きな背中がん、そう語っていた。
やがて見えてきた、わたしたちの家。
玄関のドアの前で、わたしは立ち止まる。
(…...さて。あの子たちは、どんな顔でわたしを、迎えてくれるのかしら?)
わたしは、これから始まる新しい「戦い」を想像して、静かに唇の端を吊り上げた。
そして、陽翔がドアを開けるのを待つ。
ただいま。
わたしの、愛しい戦場。
ひなた―――
夜が明けた。
わたしは、目が覚めると同時に、勢いよくベッドから飛び起きた!
夜はグッスリ寝たから気合いは十分。
「よしっ!」
(『太陽のラブレター作戦』は間違えて寝ちゃったから結局何もしてないけど、これから頑張って紬希ちゃんの作戦に対抗しちゃうぞ!)
と、決意を新たに隣で眠っている紬希ちゃんの寝顔をそっと見てみる。
紬希ちゃんは、今頃、陽翔くんのお母さんのハンバーグのレシピを頭の中で組み立ててるんだろうな。
でも、わたしは、まず『美月ちゃんから帰ってくる陽翔くん』を想像しなきゃいけない。
温泉旅館で、美月ちゃんに迫られて、きっと陽翔くんの心は、重くなっているはずだ。
そして、旅行で疲れて帰ってくるかもしれない。
(だから、わたしは、陽翔くんを癒してあげるんだ!)
わたしは、紬希ちゃんを起こさないようにそっと寝室を抜け出してリビングへと向かう。
そして、まず、窓をぜーんぶ開ける!
ざぁーっと、朝の冷たいけど、どこか新しい空気が部屋の中に流れ込んでくる!
ふぅーっ!っと深呼吸。
それから、リビングの棚から陽翔くんが一番好きなロックバンドのCDを探す。
「これこれ!」
わたしは、『9-FEET』と言うバンドのCDをセットして、ボリュームを大きめにして流した。
元気な音楽が、部屋いっぱいに響き渡る!
そして、音楽に合わせて、わたしもノリノリで体を揺らす。
わたしは、ノリノリのままリビングの隅から隅まで丁寧に掃除機をかけ始める。
(陽翔くんが帰ってきたら、一番に寝っ転がりたくなるくらい、ふわふわで気持ちいいカーペットにしてあげるんだ!)
わたしは、掃除機をかけながら、寝転がってる陽翔くんを想像すると楽しくなってきて、大きな声で歌い出した。
「 人が~海のように大きくなれたら~♪人が~だーりんのように優しくなれ~たら~♪」
そして、掃除機を止め、紬希ちゃんが起きてくる前にと、いそいそとキッチンに立つ。
わたしは、陽翔くんのために、特製のドリンクを作るの!
それは、陽翔くんが、前に疲れてる時に飲んでた、野菜とフルーツをいーっぱい入れた、ミックスジュース!
ジューサーに、色んなものを詰め込んで、ブィーーーンッ!と、音を立てて混ぜ合わせる。
(陽翔くんを、これで体の中から元気にしてあげるんだ!)
わたしは、ジュースをグラスに注ぎ、冷蔵庫にしまう。
「完璧!」
そうしていると、紬希ちゃんが起きてきた気配を感じて、わたしは、紬希ちゃんに向かってこう叫んだ。
「紬希ちゃーん! わたし、ぜーったいに負けないよ! わたしは、陽翔くんを信じてる! 美月ちゃんの誘惑なんか、ぜーんぶ、わたしの太陽の光で焼き払っちゃうんだからね!」
それが、わたしの太陽としての戦い方! 陽翔くんが帰ってきた時、わたしが一番の笑顔で最高の朝を用意してあげるんだ!
紬希―――
私は、寝室のベッドの上で、騒音に起こされて顔をしかめながらゆっくりと体を起こす。
ひなたさんが、窓を開けてくれたおかげで、部屋の中には、もう、新しい朝の空気が満ちていた。
(ひなたさん、もう起きてる...)
昨日は、陽翔さんの好きな漫画を読んだり映画を見るって言っていたけど、真っ先に寝たのを知っているので、代わりに早起きしたのだと思った。
昨日から、私の心の中には、静かで、でも、絶対に消えない、闘志の炎が燃えている。
(…わたしも、負けませんよ、ひなたさん!)
私は、ベッドから降りると、クローゼットへと向かった。
そして、私が今日選んだ服は…...和風の、落ち着いた藤色の清楚なロングワンピース。
でも、清楚なだけじゃない。
歩くたびに、足が、チラリ、と見える深いスリットが入っているちょっぴり大胆なデザインだ。
(美月さんみたいに、あからさまな『女』を武器にはしない。かと言って、ひなたさんみたいに、元気いっぱいの『太陽』にもなれない……でも、私には、私だけの戦い方がある)
寝室を出ると、ひなたさんの太陽みたいに眩しくて力強い宣戦布告がリビングに響き渡った。
その、あまりにもまっすぐな光に、私は思わず目を細めた。
(ふふっ、すごいな、ひなたさんは)
「私も、絶対に負けませんよ」
ひなたさんにそう言うと、リビングを通り過ぎて、キッチンへと向かった。
朝食の用意をしようと冷蔵庫を開けると、ひなたさんが作ったであろうミックスジュースが冷蔵庫の中で冷えていた。
(ありがとう、ひなたさん。
でも、これだけじゃ、陽翔さんの本当の心は癒せませんよ)
私は、エプロンをキュッと結び直すと、戸棚を開けてみる。
戸棚にも引き出しにも、私が探しているものはない。
もちろん、それはわかってる。
ここは、悪魔が用意したお家だから。
陽翔さんとの、本当の、思い出は、何一つここにはない。
(でも…)
私は、目を閉じる。
そして、頭の中で必死に思い出す。
まだ、私が生きていた、あの幸せだった頃の記憶を。
陽翔さんと結婚して、初めて陽翔くんのご実家にご挨拶に行った日。
緊張でガチガチだった私に、陽翔くんのお母様が優しく教えてくれた、陽翔くんが大好きなハンバーグの作り方を。
『紬希ちゃん、いい? ひき肉はね、こうやって愛情を込めてこねるのよ。隠し味はね…ほんの少しだけ、お味噌を入れるの。そうすると、味がグッと深くなるから。…これは、あの子が、小さい頃から、一番大好きなわたしの味付けなの』
(忘れない…絶対に、忘れるもんか!)
私は、目を開ける。
その瞳は、何の迷いもなかった。
レシピノートなんて、いらない。
私の、頭と心と舌が、陽翔くんのお母様の愛情のこもった優しい味を、完璧に覚えているから。
私は、まず、冷蔵庫から材料を取り出した。
そして、一心不乱にハンバーグをこね始める。
それが終わると、玉ねぎを切る。
とん、とん、とん、とん…。
キッチンに、決意に満ちた音が響き渡る。
(待っててくださいね、陽翔さん)
心の中で、私は呟く。
(美月さんが、どんな甘い『毒』であなたを満たしたとしても…ひなたさんが、どんな眩しい『光』であなたを照らしたとしても…あなたの魂が、本当に帰りたがる場所は、たった一つの懐かしい『お母さんの味』だけなんですから)
私は、作り上げたハンバーグの種を、フライパンの上で、ジュウウウウッ、と音を立てて焼き始めた。
キッチンに、世界で一番優しくて、そして、誰にも真似できないん愛の匂いが満ちていく。
それは、この、悪魔のお家で、私が、初めて作り出す、本物の思い出の匂いだった。
陽翔―――
玄関のドアの前に着いた。
正直、気が重い。
美月との旅行は楽しかった。
そして、俺は約束をしてしまった。
このゲームが終わったら……つまり、最後に美月を選ぶと。
あの時は確かにそう言ったけど、家が近づくにつれて2人の顔が頭をよぎる。
俺は、もちろん2人のことも愛している。
けれど、いずれは誰かを選ばなければいけないのも事実で……。
(はぁ……)
ドアを開けるのを躊躇していると、美月が俺の心を見透かしたようにニコッと笑う。
(なんで妻は3人なのに、俺の体は1つなんだよ)
これも、悪魔の思惑なんだと分かっていても腹は立つ。
俺は、仕方なくゆっくりとドアを開けた。
ガチャリ。
ドアを開けると、聞き慣れた音楽が耳に飛び込んできた。
(俺の好きな曲だ...)
「ただいまー!」
俺は、大きな音楽にかき消されないように、大きな声で言った。
すると、リビングからひなたが駆け寄って来るのが見えた。
「だーりん!おかえりー!」
抱き着いて来るのが分かってたので、手を出して制止すると、ひなたが驚いた顔をする。
(ひなた……ごめん)
「え?...だーりん?」
「ひなた、ただいま。疲れてるから、抱き着くのはやめてくれ」
「う、うん...ごめんね」
もちろん、疲れてなんていない。
むしろ、夜中にコッソリと起きて温泉に入ったから元気なくらいだ。
でも、そうでも言わないと、ひなたは抱き着いて来るだろう。
(俺は...美月と約束をしたんだ)
心を鬼にして、寂しそうな顔をしているひなたを横目にリビングに向かって歩き出す。
(俺は、残りの日々を、どう過ごせばいいんだろうか……)




