第2話 「消えた2人と朝食の行方」
第2話 「消えた2人と朝食の行方」
世界が動き出した時、ひなたはこの世界の住人じゃなくなっていた。
何度も経験しているから分かる、視覚と聴覚以外の感覚が無くなり、幽霊になった気分におちいっていた。
ひなた―――
(…あ…また…わたしじゃ、なかったんだ…)
突然、わたしの体から、すーって色が抜けていくのが分かった。
世界に、拒絶される。
そして、陽翔くんと紬希ちゃんだけに、舞台みたいにスポットライトが当たる。
胸の奥が、きゅーーーって痛い。
「わたしを選んでほしかったな」っていう、黒くて酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。
涙が出そうになる。
でもね、それと同じくらい、強く思うんだ。
(…よかった…陽翔くんは、一人じゃないんだ)
紬希ちゃんが、陽翔くんの腕にすり寄るのが見える。
陽翔くんの、困ったような、でもどこか安心したような横顔が見える。
それを見たら、さっきまでの黒い気持ちが、少しだけ薄れていく。
(紬希ちゃん、お願いね。陽翔くんのこと。わたしと、美月ちゃんの分まで、いーっぱい、笑わせてあげてね)
わたしは、大丈夫。
陽翔くんが、生きて、笑っててくれるなら、わたしは、透明人間だって、なんだって、平気だよ。
だから、わたしは、少しだけ離れた場所に立って2人を見守る。
邪魔にならないように。
そして、笑う。
涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえて。
口角を、ぐいって上げて。
陽翔くんには、見えないって分かってるけど──
「陽翔くん、わたしは、大丈夫だよ」
それが、選ばれなかった、わたしにできる、たった一つの「大好き」の伝え方だから...
美月―――
美月は、すぐに選ばれなかった事を察していた。
(…また、わたしは、選ばれなかった)
声は、届かない。
指先も、触れることはできない。
わたしは、陽翔のいる世界から、切り離された、ただの「亡霊」。
(…朝食が終わるまで、せいぜい、小一時間、といったところかしら)
朝食にかかる時間。
その後の、食器を片付ける時間。
長くても、一時間半。
それだけ、耐えれば、また、陽翔の前に、戻れる。
わたしは、隣で泣きそうな顔をしている、ひなたの肩を、そっと、叩くフリをする。
もちろん、触れられないけど。
(…泣いてる暇なんて、ないわよ、ひなた)
心の中で、語りかける。
「次よ。…次の、選択で、あいつの心を、どうやって、奪うか。今から、作戦を、立てるの」
わたしは、目を閉じる。
でも、それは、ただ、待つためじゃない。
(…陽翔は、今朝、少しだけ、顔色が悪かった。きっと、昨夜も、良く眠れていない。紬希の、あの、ベタベタした甘やかしは、今の、陽翔には、少し、重いかもしれない。ひなたの、あの、底抜けの明るさは、逆に、心を疲れさせるかもしれない。)
だったら、次に、わたしが選ばれた時に、してあげるべきことは、一つしかない。
わたしは、頭の中で、完璧な、シミュレーションを組み立て始める。
陽翔を、最高に癒してあげるための、完璧な、プランを。
次に、わたしが選ばれる、その時のために。
わたしは、この、無の世界で、静かに、牙を研いでいる。
「…覚悟、しておきなさい。紬希、ひなた。そして、陽翔。…...次に、あなたを、骨抜きにするのは、わたしなんだから」
現実―――
選択を終え、時間が動き始めると、紬希の体温だけが、俺に触れられる現実に変わっていた。
ひなたと美月は、まるで最初からそこに居なかったかのように、忽然と消えている。
でも、俺は知っている。
彼女たちは、今もこの部屋にいる。
見えないだけで、確かに“そこ”にいる。
それが、悪魔との契約だから。
紬希は、俺の僅かな震えに気づいたのか、腕に力を込めて、さらにぎゅっと抱きしめてくる。
「陽翔さん…? どうしました? ぼーっとして…」
その声は、いつも通りの甘えた声。
彼女も“知っている”。
ひなたと美月が、そこにいる事を。
だからこそ、紬希は、何も言わない。
何も触れない。
ただ、俺の心を包み込むように、明るく振る舞ってくれる。
「ふふっ♡ 今日の陽翔さんは、紬希に、甘えん坊さんですね?」
俺の頬に、ちゅっ、と可愛らしい音を立ててキスをする。
そして、耳元で囁く。
その優しい声が、俺の心をぎゅっと掴んだ。
「大丈夫ですよ、陽翔さん。二人の痛みも、陽翔さんの痛みも、ぜんぶ、ぜんぶ、私が受け止めますから。だから、今は、私のことだけを見ててください。二人が、嫉妬で、狂ってしまいそうになるくらい、私を、いっぱいいっぱい愛してください」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
ただ、紬希の黒髪にそっと手を添えて、目を閉じる。
見えないはずのひなたが、少し離れた場所で、笑顔を作っている気がする。
見えないはずの美月が、静かに目を閉じて、何かを考えてこっちを見ている気がする。
そして、見えない悪魔も、きっとこの光景を見ていると思うと虫酸が走りそうになる。
でも、この限られた時間を無駄にしたくはないと思い直す。
紬希は、俺の手を取ってテーブルへと導くと、そこには、卵焼き、味噌汁、焼き鮭、白いご飯──紬希の“愛”が詰まった朝食が並んでいた。
「さっ! 陽翔さん! 冷めちゃう前に、朝ごはん、食べましょう?今日の、卵焼きは、昨日よりも、もっと、もっと、陽翔さんへの『大好き』を、いっぱい、込めちゃったんですからねっ♡」
「いただきます」
俺は、箸を手に取り、卵焼きを口に運ぶ。
甘くて、優しくて、少しだけ泣きそうになる味だった。
「……いつもありがとう、紬希」
その言葉に、紬希はにこーっと笑った。
でも、その瞳の奥には、選ばれなかった二人への深い慈しみと、俺を支える覚悟の光が、確かに宿っていた。
そして、まだ朝は続いていく。
甘くて、苦くて、残酷な朝が。




