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第15話 「わたしの帰還」


第15話 「わたしの帰還」



美月―――


寝室のベッドの上で、わたしは、枕に顔をうずめて小さく震えている。


(怖い…怖い…怖い…次に、消されるのは、わたし…?)


黒くて冷たい恐怖が、わたしの心を支配する。

このまま、この安全な部屋の中で、ずっと隠れていたい。

もう、何も見たくない。

何も聞きたくない。


その時だった。

リビングの方から、陽翔の大きな声が聞こえてきた。


『でも、俺には、お前が必要なんだ!最後まで、そばに、いてくれないか…?』


(…陽翔?)


その、あまりにも、必死で情けない愛の告白。

わたしは、思わず枕から顔を上げた。


(…馬鹿な男)


わたしは、心の中で悪態をつく。

でも、不思議と、さっきまでの恐怖はどこかに消えていた。

代わりに、わたしの心の中に、別の熱い感情が湧き上がってくる。


(本当に、しょうがないんだから。あなたは、わたしがいないと何もできないくせに…)


そうだ。

わたしは、こんな部屋の隅で震えている場合じゃない。

あいつらは、みんな、弱い。

紬希も、ひなたも、そして陽翔も。

感情に流されて、すぐに泣いて立ち止まる。

この、壊れかけた家族ごっこを、支えられるのはわたししかいないじゃない。

わたしが、しっかりしなくちゃ、この家は本当に終わってしまう。


(…ふん。…仕方ないわね)


わたしは、ゆっくりと体を起こす。

恐怖で震えていた手足に、力が戻ってくる。

わたしは、クローゼットの横にある姿見鏡の前に立つ。

そこに映っているのは、まだ少しだけ怯えた瞳の、弱いわたし。

わたしは、鏡の中の自分を、キッと、睨みつけた。


(しっかりしなさい、岡谷美月(おかやみづき)。あなたは、こんなところで終わる女じゃないでしょう?)


わたしは、薄いピンク色の口紅を、いつもより少しだけ濃く塗り直す。

それは、弱い自分を塗りつぶすための仮面。

戦場に向かうための、儀式。


「よしっ」


わたしは、寝室のドアをゆっくりと開けた。

もう、迷いも恐怖もない。

わたしは、わたしの戦場に戻るのだ。

あの、弱くて愛おしい、愚か者たちを支配するために。


リビングでは、まだ、感動の再会みたいな、湿っぽい空気が流れている。

床に座り込んだまま抱き合っている、陽翔と紬希。

その隣で、もらい泣きしている、ひなた。


(本当に、馬鹿みたい)


わたしは、一切、彼らに視線を合わせない。

ただ、まっすぐにキッチンへと向かう。

そして、電気ケトルのスイッチを入れると、戸棚からコーヒー豆を取り出し、ミルで、豆を挽き始める。


ガリガリガリ…


静かなキッチンに、心地よい音が響く。三人が、その音にハッとして、こちらを見ているのが、気配で分かる。

でも、わたしは気にしない。

豆を挽き終えると、今度は、お湯を注ぐ。

一滴、一滴、ゆっくりと丁寧にコーヒーをドリップしていくと、部屋中に香ばしくて苦い、大人の香りが広がっていく。それは、紬希が作った、甘い卵焼きの匂いを、上書きしていくようだった。

わたしは、淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。

そして、そのカップを持って、リビングの一番日当たりの良い、一人掛けのソファに深く腰を下ろした。

いつものように足を組んで、優雅にコーヒーを一口飲む。


「…ふぅ…」


わたしは、満足げに息をつく。

まるで、この空間にはわたし一人しかいないみたいに。

その、あまりにもマイペースで堂々とした態度に、陽翔がおそるおそる声をかけてくる。


「…み、美月…? 」


わたしは、初めて彼らの方を見た。

でも、その瞳には、何の感情も浮かんでいない冷たい瞳で。


「…あら。…何か、お祭りでも、あったのかしら?」


わたしは、少し首を傾げて、わざとらしく問いかける。


「…あなたたち、床に座り込んで、いつまでそんなみっともないことしてるつもり?

…ひなた。あなた、涙と鼻水で、顔が、ぐちゃぐちゃよ。醜いわ

…紬希。あなたも。そんな、床に這いつくばったままで『戦う』つもりなの?」


その、あまりにも辛辣で的確な言葉のナイフが、一人一人に、突き刺さる。

三人が、言葉を失っているのを確認して、わたしは、最後に陽翔を見た。


「…陽翔。いつまで感傷に浸ってるつもり? 早く、次の選択を始めさせなさいな」


わたしは、そう言うと、ふっと妖艶に微笑んだ。


「それとも、わたしが悪魔を呼び出してあげましょうか?」


その、不敵な笑みを浮かべた瞬間。


―――世界が止まった。


美月だけを残して……



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