第13話 「明かりの消えた家」
第13話 「明かりの消えた家」
静かな朝食を終えた後、キッチンで呆然としている紬希を見つけた。
目は赤く腫れ、泣いていた事が分かったが、今は虚ろな目をしていて、俺が抱きしめても、反応が無かった。
俺には、紬希がどれだけ辛かったのか、想像する事しか出来ないけれど、それ以上に辛かったんだと思う。
俺は、何が起こったのかを全員に説明する為に、ダイニングテーブルに集まるように促した。
テーブルの上の食器は、ひなたが片付けたので何も乗っていなかった。
まだ手を付けてない、紬希の分の食器さえも。
しかし、俺はそれに触れるよりも、まずは起こった事を説明する事が大事だと思い、話始めた。
(この感じ...そういえば1週間前もこうして集まったな)
俺は、悪魔と契約した初日の朝、紬希の作ってくれた朝食を食べながら、みんなに契約の内容を説明した事を、一瞬だけ思い出していた。
(あれが、全員で出来た最後の食事だったな)
それ以降、ずっと選択肢に邪魔されていて、選ばれなかった2人は、俺と誰かの食事が終わった後に、静かに食事をする、そんな日々が当たり前になっていた。
しかし、今日の選択は、残されるのは1人。
もし、これが続くなら、一人で摂る食事がずっと続く事になる。
考えれば考えるほど、悪魔と言うのは、想像以上に残酷で理不尽な存在なんだと痛感させられる。
そして、これからどんな恐ろしい選択を強いられるのか、怖くなってきた。
俺は、みんなの顔を見渡して、震える声で、ありのままを伝えた。
「選択があったのはみんな分かってると思うんだけど……選択肢に、紬希の名前が無かったんだ……」
気付けば、手が勝手に動いて、テーブルをドンッ!と叩いていた。
その音が、静かな部屋の空気を震わせる。
俺は、悪魔の卑怯なやり口に、怒りが抑えきれずにいた。
紬希―――
キッチンに差し込む朝日が、眩しい。
(…あれ…? わたし、どうして、こんなところに、座ってるんだろう…?)
目の前に陽翔さんがいる。
陽翔さんが、何か、すごく悲しい顔で、私のことを、ぎゅーって、してくれてる。
陽翔さんの腕の中は、あったかいなぁ…。
(でも、どうして陽翔さん、辛そうなんだろう?)
陽翔さんが、私の手を引いてダイニングテーブルまで連れて行ってくれる。
ひなたさんも、美月さんも、そこに、座ってた。
みんな、なんだかすごく、暗い顔をしてる。
(そういえば、朝ごはん、どうなったんだっけ?...あ、そっか。卵焼き作ったんだ。陽翔さんの、だーいすきな、甘い、甘い、卵焼き)
陽翔さんが、何か、お話ししてる。
むずかしい言葉で、何か、一生懸命説明してる。
でも、その言葉は、ぜんぜん私の頭の中には入ってこなかった。
まるで、遠い知らない国の言葉みたいに、ただ右から左へと通り抜けていく。
ドンッ!
陽翔さんが、テーブルを強く叩いた。
おっきな音がして、ひなたさんと美月さんが、びくっ、て、体を震わせた。
でも、私は、何も感じなかった。
ただ、陽翔さんの手が、痛そうだなあって、ぼんやり思っただけ。
(…あ…)
その時、私はやっと気づいた。
(…そっか。私の、お家は…もう、明かりが、消えちゃったんだ…)
心の中に、ぽっかりと大きな、穴が空いている。
そこは、真っ暗で冷たくて、何もない。
悲しいとか、辛いとか、悔しいとか、そういう物は、もう、何も残ってなかった。
ただ、空っぽの、がらんどうの空洞があるだけ。
だから、陽翔さんが怒ってても、何も感じない。
ひなたさんが泣いてても、何も感じない。
美月さんが、どんなに綺麗な顔で睨んできても、もう、何も感じない。
だって、私はもう『お家』じゃなくなっちゃったから。
陽翔くんの帰る場所に、なれなかったから。
私は、ただの誰も住んでない、明かりの消えた、空っぽの家だから。
(…ああ、お腹、空いたな…)
私は、そんなことを思った。
テーブルの上を見ても、残っているはずの私の分の卵焼きは、どこにも見当たらなかった。
ひなた―――
陽翔くんがテーブルを叩く大きな音で、わたしの肩が、びくって、跳ねる。
でも、隣に座ってる、紬希ちゃんは、全然動かなかった。
ただ、ぼーっと、どこか遠くを見ている。
(…つむぎ、ちゃん…?)
わたしは、心配になって、紬希ちゃんの顔を、そっと、覗き込んだ。
でも、その、綺麗な瞳は、何も映していなかった。
陽翔くんが、あんなに苦しんでるのに。その瞳は、ガラス玉みたいにからっぽで、何も感じていないみたいだった。
「…紬希ちゃん…? 大丈夫…?」
わたしが、おそるおそる声をかけても、返事はない。
ただ、かすかに唇が動いただけだった。
(え?...まさか…うそ…でしょ…?)
わたしは、その時、頭に浮かんだ内容に、血の気が引いていくのを感じた。
それは、さっきわたしが言った、あの言葉。
「これからは、わたしが、陽翔くんのお腹も心も、いーっぱいにしてあげるんだからね!」
っていう、あの宣戦布告。
あれは、確かに本気だった。
でも、それは、あくまで「正々堂々、勝負しようね!」っていう、ライバルとしての言葉だったのに。
まさか、こんな形で、紬希ちゃんの心を壊しちゃうなんて…。
(わたしの…せいなの…?わたしが、あんなこと、言ったから…紬希ちゃんは…)
違う違う。
これは、悪魔のせいだ。
紬希ちゃんを、選択肢から消した、あの悪魔が全部悪いんだ。
わたしは、悪くない!
そう、思おうとしても、罪悪感が黒い泥みたいに、心の中に広がっていく。
わたしは、怖くなった。
悪魔の、理不尽なルール。
陽翔くんの、絶望した顔。
そして、わたしの、たった一言で、壊れてしまったかもしれない、紬希ちゃんの、心。
全部が、怖くて、どうしたらいいのか分からなくて…。
(わたし、どうしよう…陽翔くん…)
わたしは、ただ、テーブルの下で自分の拳を、ぎゅっと、握りしめることしかできなかった。
太陽になる、なんて誓ったのに。
わたしが、したことは、仲間一人救えないどころか、その背中を崖の上から押してしまっただけだったなんて。
そんなの、太陽なんかじゃない。
ただの、残酷な子供だ。
わたしは、自分の無力さに唇を噛みしめることしかできなかった。
美月―――
わたしは、目の前の光景が信じられない。
紬希が、心が壊れてしまったように、虚ろな目で座っている。
ひなたが、自分が紬希を壊してしまったんだって、罪悪感で泣いている。
そして、陽翔がどうしようもない怒りと絶望で震えている。
(…なによ、これ…ただの、朝食だったじゃない…)
悪魔の、理不尽な気まぐれ。
たったそれだけで、わたしたちの脆い日常が、こんなにも簡単に壊れてしまうなんて。
(…馬鹿みたい)
わたしは、二人を出し抜くチャンスだなんて、思えない。
だって、目の前にいるのは、もう戦う意思さえ失ってしまった、ただの「被害者」だから。
こんな、壊れかけた人たちを蹴落として、陽翔を手に入れたって、何の意味もない。
そんなの、勝利なんかじゃない。
でも、じゃあ二人を慰めて励まして立たせてあげようなんて、そんなお人好しなことも思えない。
わたしは、聖母なんかじゃない。
どうして、わたしがあんたたちの面倒まで見てあげなきゃいけないのよ。
(…ああ…もう、どうでもいいわ)
わたしは、静かに立ち上がる。
そして、誰にも何も言わずに、寝室に戻る。
ドアを、バタンッ、と閉めて鍵をかける。
ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめる。
(怖い怖い怖い怖い...)
次に、名前を消されるのは、わたしかもしれない。
次に、心が壊れるのは、わたしかもしれない。
陽翔は、わたしを守ってくれないかもしれない。
この家は、もう安全な場所じゃない。
わたしは、怖くて震えることしかできなかった。
今は、クールな女王でも、狡猾な悪女でもない。
ただの、明日に怯える、ちっぽけで臆病な、一人の女の子だ。




