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第12話 「戦場に私はいなかった」


第12話 「戦場に私はいなかった」



俺が、自分と美月の分の2杯のコーヒーを淹れ、卵焼きの香りに誘われるようにテーブルへ向かおうとしたその時だった。

全てが止まり、何も聞こえなくなる感覚。


「だよな…」


これまでの1週間、ことごとく朝食を摂る相手を決めさせられてきたから予想してた通りで驚く事もない。

俺は、朝食に卵焼きが出る日は、紬希と摂る事に決めているから、今朝の選択は余裕だなと思っていた。


その選択肢が出るまでは……。


目の前に、いつものように赤黒く滲んだ“血文字”が浮かび上がる。


【心して選べ】

A. ひなたと朝食を摂る

B. 美月と朝食を摂る

C. ひなたと美月と朝食を摂る


※選択しなければ、全員が消える


そして、砂時計が、ふっ、と宙に現れ、逆さまにひっくり返る。

中に入った血のように赤い砂が、ゆっくりと、落ち始める。


「……え?」


俺は、思わず声を漏らした。

選択肢を見つめる。

何度も、何度も、目をこすって確認する。

でも、どこにも──

紬希の名前は、ない。


(なんで…?)


さっきまで、キッチンで卵焼きを焼いていた。

笑顔で「おはようございます」と言ってくれた。

「今日の卵焼きは、昨日よりもっと甘いですよ」って、言ってくれた。

なのに──

選択肢には、ない。


(……これは、どういうことだ?)


陽翔の胸に、冷たい恐怖が広がっていく。


「おい、悪魔!話が違うぞ!選択は3人の中から選ぶのがルールじゃないのか!」


俺は、どこかで見ているであろう悪魔に聞こえるように、虚空に向かって怒鳴る。

すると、再び血文字が浮かび上がって来た。


※【最後】の選択で選ぶのは3人の中から1人だけ


「っ!最後じゃないから何しても良いってことかよ!くそっ………紬希」


さっきの、紬希のとびっきりの笑顔を思い浮かべるが、砂時計の砂が半分を切っている事に気付いて焦る。

自分の分のコーヒーを一気飲みし、選ぶならこれしかないと、震える手を伸ばす。


C. ひなたと美月と朝食を摂る


──選んだ瞬間、世界が動き出した。


紬希の姿は、そこにいるはずなのに、もう存在すら感じられない。

テーブルの上には、ご飯と味噌汁、そして、綺麗に盛り付けられた黄金色の卵焼きが人数分残されていた。

しかし、紬希の椅子には誰も座っていない。


(なんで紬希だけ?1人だけを選べば良かったか?いや、でも……2人と過ごせるなら……でも、どうして?悪魔め!くそっ……なんで紬希なんだ…)


どれだけ考えても答えの出ない事に顔をしかめる。

俺は、無意識のうちに、選ばれなかった孤独な紬希の事を思って、小さくて誰にも届かない言葉を発していた。


「……ごめん、紬希」


美月―――


世界が、再び動き出す。

今、そこにいたはずの紬希が、突然目の前から消えた。

テーブルの上には、彼女が作ったはずの、黄金色の卵焼きだけが湯気を立てていた。


(紬希…?)


隣では、ひなたが青ざめた顔で紬希の空っぽの席を見つめている。

陽翔は、唇を噛み締め、その顔には深い絶望の色が浮かんでいる。

わたしは、瞬時に状況を理解した。

これは、いつもの選択とは違う。

悪魔の、悪趣味な、新しいゲームが始まったのだと


(…最悪の、朝ね)


でも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

わたしは、ゆっくりと立ち上がる。

そして、まず、陽翔の空のコーヒーカップを手に取った。


「…あなた。コーヒーのおかわり、淹れてくるわ」


「…あ…ああ…」


わたしは、キッチンに向かう。

そして、紬希がさっきまで立っていた場所に立つ。

そこには、まだ、彼女の優しい匂いが残っているような気がした。

わたしは、コーヒーを淹れながら、わざと明るい声でひなたに話しかける。


「ひなた、あなたも何か飲む? ココアもあるわよ」


ひなたは、まだ動揺していて、聞いてもいない。

わたしは、ため息を一つついた。


(…しょうがないわね、この子は)


わたしは、コーヒーを二つとココアを一つトレーに乗せてテーブルに戻る。

そして、ひなたの前にココアの入ったマグカップを、ことり、と置いた。


「…飲みなさい。…体が、暖まるわよ」


「美月ちゃん……」


そして、わたしは自分の席には座らない。

わたしは、紬希の空っぽの席に、静かに腰を下ろした。

陽翔と、ひなたが、息を呑むのが分かった。

わたしは、目の前にある、紬希が作った黄金色の卵焼きを、じっと、見つめる。

そして、箸を手に取ると、その一切れを口に運んだ。


(…甘いわね…まるで、あの子みたいに、甘くて不器用で、でも、どうしようもなく優しい味…)


わたしは、ゆっくりとそれを咀嚼する。

そして、顔を上げて、固まっている二人に告げる。


「…何をしているの? 二人とも」


「…美月…?」


「…食べなさい」


その声は、冷たい。

でも、絶対に逆らえない、強い意志が込められていた。


「…これが、あの子が今朝、わたしたちのために遺してくれた『想い』よ。それを無駄にするつもり? …食べないなんていうのは、あの子に対する、最大の侮辱だわ」


わたしは、そう言うと、また一口卵焼きを口に運ぶ。

陽翔と、ひなたは、顔を見合わせる。

そして、二人もおそるおそる箸を手に取った。


「いただきます」


「いただきます」


わたしは、泣かない。

同情もしない。

ただ、紬希に、敬意を払う。

そして、この異常な状況の中で、沈みかけたこの家の空気を、わたしが支配する。

それが、わたしの戦い方。



ひなた―――


紬希ちゃんが、いない。

なんで? どうして?

さっきまで、あんなに優しく笑ってたのに。


(選択が、あったんだ…)


それは、すぐに分かった。

でも、おかしい。

わたしは、ここにいる。

そして、隣には、美月ちゃんもいる。

陽翔くんは、苦しそうな顔で立ち尽くしてる。


(え…? じゃあ、陽翔くんは、わたしと美月ちゃんの、二人を選んでくれたの? そんなこと...できるの? じゃあ...どうして、朝食を作ってくれた紬希ちゃんを、選ばなかったの?)


頭の中が、ぐちゃぐちゃで、分からない。

分からないけど、一つだけ分かること。

それは、紬希ちゃんが、いないって事。

その事で、陽翔くんが、すごく苦しんでる。


涙が溢れてきて、陽翔くんの顔も、卵焼きも、全部ぐにゃぐにゃに滲んで見える。

訳が分からない。

もう、だめだ。


(わたし壊れちゃう)


その時だった。

美月ちゃんが、わたしの前に、ことり、と、温かいココアを置いてくれたんだ。


「…飲みなさい。…体が、暖まるわよ」


その、いつもと変わらない冷たい声で、わたしは、ハッとした。

そうだ。

そうだよね。

わたし、何をしてるんだろう。

ここで、泣いてるだけじゃ、何も変わらない。

悪魔の、思う壺だ。

紬希ちゃんが、一番、悲しむだけだ。


わたしは、涙を、ぐいって拭う。

そして、箸を手に取った。

美月ちゃんは、紬希ちゃんの席に座り、彼女の卵焼きを一口食べた。

そして、わたしと陽翔くんに言ったんだ。

「食べなさい」って。


わたしも、紬希ちゃんがわたしたちのために、心を込めて作ってくれた、卵焼きを口に運ぶ。


(…おいしいよ、紬希ちゃん)


涙が、また溢れてくる。

でも、今度の涙は、さっきまでの冷たい涙じゃない。

温かくて、しょっぱい涙。

この卵焼きの味を、絶対に忘れない。


でもね、紬希ちゃん。

わたし、ただ悲しんでるだけじゃないんだよ。

わたしは、太陽になるって決めたんだから。

そして、この地獄のゲームで、絶対に生き残るって決めたんだから。


わたしは、顔を上げて陽翔くんに、にぱーって笑いかけた。

まだ、涙でぐしゃぐちゃのひどい顔だったかもしれないけど。

でも、誰にも負けないくらい強い笑顔で。


「陽翔くん! わたし、おかわり、ほしいな! 紬希ちゃんの、この、美味しい卵焼きの味、わたしがちゃんと覚えててあげるんだから! これからは、わたしが陽翔くんのお腹も心も、いーっぱいにしてあげるんだからね!」


それは、紬希ちゃんと美月ちゃんへの宣戦布告であり、そして、陽翔くんへの、新しい愛の誓い。


わたしは、もう泣かない。

泣いてる暇なんて、ないんだから。



紬希―――



『朝ごはんに、しましょう?』


私が、そう言って、にこり、と微笑んだ、その瞬間だった。


世界から、温度が消えた。

さっきまで、すぐ目の前にあった、温かい、湯気の立つ朝食の風景が、まるで、一枚の、絵みたいに見える。


(あ…)


そして、次の瞬間、私以外の時間だけが再び動き出した。

でも、私の時間だけは、凍りついたまま。

テーブルの上の卵焼きに手を伸ばそうとしても、するりと通り抜けてしまう。

もう、私には、この愛しい日常に触れることさえできない。

キッチンにある、ダイニングテーブル。そこに、陽翔さんと、ひなたさんと、美月さんが、座っている。

私の、席だけが、ぽつん、と空いていた。


(なんで? なんで、私だけ…? 陽翔くんは、二人を、選んだの…? そんなこと、今までなかったのに…。 どうして...どうして、朝ごはんを作った、私を選んでくれなかったの?)


頭の中で、色んな考えがグルグルと回って、何も分からない。

胸の奥が、ぎりぎりと万力で締め付けられるみたいに、痛い。

その時、陽翔くんが、こちらを見た。

その顔は、絶望に歪みながら、唇が小さく動いた。


『ご、め、ん、つ、む、ぎ』


声は、聞こえないぐらい小さかった。

でも、その唇の動きだけで、痛いほど伝わってきた。

涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。

美月さんが、私の空っぽの席に座った。

そして、私が心を込めて作った、卵焼きを一口食べた。

ひなたちゃんも、泣きながら卵焼きを食べてくれてる。

そして──陽翔くんも、箸を取った。

その震える手で、私が今朝、彼のことを想っていつもより少しだけ甘くした卵焼きを、口に運ぶ。


(あ…)


その瞬間、私の心の中に、ほんのほんの少しだけ温かい光が灯った。


(よかった…陽翔くんが、食べてくれてる…私の想い、ちゃんと届いてる…)


そう、思った。

でも、次の瞬間、もっともっと深い絶望が、私を襲った。

ひなたちゃんが、顔を上げて笑った。

涙で、ぐしゃぐちゃのひどい顔なのに、太陽みたいに、強い笑顔で。

そして、その残酷な言葉が、私の耳に突き刺さった。


「これからは、わたしが陽翔くんのお腹も心も、いーっぱいにしてあげるんだからね!」


ひなたちゃんは、そう言って、私の作った卵焼きを、また一口食べた。

さっき、聞こえた『紬希ちゃんの、この美味しい卵焼きの味、わたしがちゃんと覚えててあげるんだから!』という言葉が、頭の中でこだまする。


(あ…ああ…)


その時、私はやっと理解した。

この世界の、本当の残酷さを。

私がいなくても、陽翔くんは朝ごはんを食べる。

私がいなくても、このお家は続いていく。

私が、命をかけて、守ろうとしていた『お家』という役割は…。

私の代わりなんて、いくらでもいたんだ。

ひなたちゃんの、あの、健気な言葉は、優しさなんかじゃない。

私への、死刑宣告だ。


『もう、あなたはいらないから。あなたの役目は、私が代わりにやってあげるね』


そう、言われたんだ。


(私は…もう、いらない子、なんだ…)


私は、その場にずるずると崩れ落ちた。

戦う権利を失っただけじゃない。

戦う意味さえも、失ってしまったから。

私が守るべきだった、戦場そのものが、私を必要としていなかったんだから。

目の前では、私が作った朝ごはんを、3人が食べている。

陽翔くんが、私の卵焼きをどんな顔で食べているのか?

もう、私にはそれを見る勇気さえもなかった。

私は、ただ固いキッチンの床の上で、声を殺して泣き続けた。

陽翔くんと、ひなたちゃんと、美月ちゃん。

三人だけの、新しい朝が始まっていく。


私は、今ほど、選ばれなかったのに声が聞こえる事を恨めしいと思う事はなかった。

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