#6 1970年代レトロ調アニメ
「1987年に公開された長編アニメ映画『カラバン森の火狼』のワンシーンに、これとほぼ同じシーンが登場します。違なる点は、妖精たちが泉に飛び込んだあと行き着くのはこのような虹色の場所ではなく、炎の燃え盛る火狼の国ということ。あとは妖精たちの数や動きも違いますが、妖精の森のデザインはほぼそのままといっていいほどです」
佐伯部長はそう説明すると、モニターにグラフを表示した。『アニメ生成アプリ利用者数推移』と題された折れ線グラフ。2020年代から緩やかに増加していたのが、2041年を境に一気に跳ね上がっている。
「動画生成アプリは数多く存在しますが、近年驚異的な勢いで普及しているのがアニメーション生成アプリです。その背景としては、1970年代のアニメの著作権が切れ始めたことにあります。1970年代というと、日本ではテレビでのアニメ視聴が娯楽として定着し、名作アニメが数多く生み出された時代です。それにより、そういったアニメを学習データとして使用したアプリが広く市場に出回るようになったのです」
「佐伯部長。私はそこらへんの話は疎いのですが、書籍は著者の没後70年ですよね。テレビアニメや映像関係はどうなってるんですか?」
質問したのはカウンセリング・サポート部の蓮見部長。
「テレビアニメは放映後70年、映画も公開後に70年となっています。今後、1970年代に人気を博したアニメが続々とパブリックドメインとなると予想されますが、アニメ関係の著作権は、原作者が別にいたり、制作を外注して権利者が多く存在する場合があって複雑なんです。テレビ局や制作スタジオが著作権者となってる場合はシンプルなんだけど、そういうものばかりじゃないですから」
「では、著作権切れになっていないアニメを学習データに使用しているものがあるということですか?」
「おそらく、意図的にそうしているんでしょう」
「スサノスタジオが訴訟を起こす気配は?」
「今のところなさそうです。AIアニメの生成が流行したことで『1970年代レトロ調アニメブーム』が広がっていて、それが視聴に繋がっているから。
作品を知らない今の世代には、昔のアニメの単純化されたキャラクター造形や、ベタ塗りのようなくっきりした彩色が新しく感じられるらしいし、当時を知っている世代は懐かしさを覚える。要するに、AIアニメブームによって、アニメ業界は必ずしも損害を被っているわけではないということなんです」
「でも、反発してるのもアニメ業界ですよね」と糸井部長が発言した。それに便乗するように、蒼君が続ける。
「アニメスタジオはブームに肯定的だけど、クリエイターが反発している感じですか?」
佐伯部長は「まあ、そうね」と首肯した。
「おおむね間違ってはないわ。大手制作スタジオに所属のクリエイターは、基本的に静観してるようです。すでに制作過程大部分にAIが導入されているし、一般人向けのアニメ生成アプリなんて子どものおもちゃみたいなものでしょうから。
AI翻案への反発は、小さな制作スタジオや、個人でアニメ制作をしてる人が中心になっているようです。そういったスタジオや個人は、映画のような長編アニメではなく主に短編アニメを制作してる。アニメ生成アプリの中には、完成度はおいといて、短いプロンプトでも15分程度の物語を破綻なく完成させられるものもあるらしいから、短編アニメ市場にAIショートアニメが氾濫するのは驚異でしょうね」
佐伯部長の言葉に合田部長は腕組みをし、悩ましげに眉を寄せた。
「子ども向けテレビアニメは30分放送で、10分程度のを2本というのが定番でしたから、そういうのが学習ベースになってるのかもしれないですね。しかし、これはDRIとして関与できる問題ではないのでは?
我々が扱っているのは基本的にテキストデータのみです。翻案ミュージックのような試みもしていますが、それは文学コモンズを広めるための手段であって、アニメーションを学習データに使うことはまずありません」
「合田部長の言うことはもっともですが、テキスト・画像・動画の線引きなく、無許可学習はAI黎明期から問題視されてきました。リテラ・ノヴァが直接動画を扱っていないとはいえ、決して無関係ではありません。
先ほども言ったとおり、クリエイティブ分野における反AIの動きは、著作権保護期間の延長、あるいは永久保護といった方向に向かう可能性があるのです。それは、コモンズの縮小に直結します。もし著作権の永久保護が法的に認められてしまえば、文学だけでなく、あらゆる創作物に触れる機会が著しく減少することに他なりません」
佐伯部長の言葉で、私は生まれ育った茶楠町の図書館が閉館したときのことを思い出した。
両親が死んで祖父母に引き取られたときから茶楠町に本屋はなかったし、中学校も高校も蔵書が充実しているとは言い難かった。本好きだった私に、「青天文庫」という、パブリックドメインの作品を集めたネットサイトを教えてくれたのは閉館した図書館の司書さんだ。
『海外作品の翻訳もあるし、現代語訳機能もあるから』
そんなふうに声をかけてくれたのは、閉館前の最後の日に本を返しに行ったとき。
もし青天文庫に出会わなかったら、もしあの司書が声をかけてくれなかったら。私はきっと、今ここにはいない。著作権永久保護が認められるということは、青天文庫が消滅するということだ。そして、もちろんリテラ・ノヴァも翻案元となるデータがなくなれば存在できなくなる。
会議室がいっそう重い空気に包まれる中、佐伯部長のアルトボイスが響いた。
「DRIは、厳しい倫理観をもって事業に臨まねばなりません。それは、あらゆるクリエイティブ活動を行う他の業界全体への配慮も含まれます。
そして、これは個人的な意見ですが、1970年代レトロ調アニメには違和感を覚えます。過去の文脈や、制作者の血と汗がこもった表現を、AIが形式的に再構成することへの、ある種の不快感と言いましょうか。
この違和感を覚えたとき、ネット上でAI翻案を批判する人々の抱える違和感をようやく理解できた気がしました。我々は、先人への敬意と尊重を忘れてはいけません。そのうえで、『これは新たな文学だ』と胸を張れるものを翻案として提供しなければならない。
文学の表層をなでるだけのものではいけないのです」
佐伯の視線が自分に向けられているのに気づき、私は心臓がキュッと縮んだような気がした。今の最後の一言は、きっとハヤト文体を指したものだ。
「では、コンテンツ・キュレーション部門でまとめたネット上のAI翻案批判について発表してもらえるかしら?」
「はい」
私は市原が集約してくれていたデータをモニターに映し、準備していた通りに発表する。内容は、AI翻案への否定的な意見はAIアニメ批判がベースとなっており、一部では現役作家の平井颯人の文体をAIで摸倣することへの批判も存在している――というもの。
「リテラ・ノヴァによって生成されたハヤト文体は、実際の平井颯人先生の文体とは完全には一致しません。それについては、ここにいらっしゃる方はご存知と思います。しかし、この点についてDRIとして公の場で指摘することは適切ではないだろうというのがコンテンツ・キュレーション部の見解です。作家さん本人が否定されていませんので。
また、AIアニメ批判に起因するAI翻案批判については、ユーザーがAI翻案を元にした画像・動画生成の際には第三者の著作権を侵害することがないよう注意喚起すべきかと思います。以上です」
発表を終えると、佐伯部長はコンテンツ・キュレーション部の提案が表示されたモニターをしばらく眺めていた。そして、その視線が合田部長に移動した瞬間、当の合田部長も、他の参加者も佐伯部長の次の言葉を予想できたようだった。
「AI倫理に関する問題は、我々DRIが負う使命のようなものです。翻案契約作家の判断や、ユーザーの道徳観に委ねることなく、これまで以上に節度を持ったAIの運用が不可欠と判断します。AI開発・アルゴリズム研究部に、アルゴリズムの検証と見直しを要請します」
AIチームへのアルゴリズム検証と見直し要請は毎度のことだ。それはシステム開発を行うAIチームが負うべき当然の業務とはいえ、AI倫理という掴みどころのない理由で口酸っぱく見直しを要求する佐伯部長に対し、9階メンバーからの不満がまったくないわけではなかった。私と同期の一樹君や、彼と仲の良い本田君が、コモンズ・カフェで愚痴をこぼしているのを何度か聞いたことがある。
AIチームを束ねる合田部長は、苦痛に耐えるように眉間をもみほぐした。