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2043 ーリテラ・ノヴァの予言ー  作者: 砂東 塩
Chapter1 リテラ・ノヴァ
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#4 AIコモンズ

 コモンズ・カフェは予想通り空いていた。佐伯部長の姿も9階メンバーも見当たらず、少々残念に思いながら、カウンター越しに店長に「こんにちは」と声をかけた。


「あ、いらっしゃい。本宮さん。今日から新メニューのトマトそぼろ丼が入りましたよ」


「じゃあ、それにします」


 タッチパネルで『トマトそぼろ丼』、『DRIスタッフ』と選択し、脇にある決済端末に視線をやる。奥で一瞬小さな赤い光が灯り『シャリン』と音が鳴った。


 DRI職員専用の虹彩認証決済は、従業員割引が適用され、表示されている金額の2割引き。入口脇にあるコーヒーベンダーも割引対象で、私は席につく前にコーヒーを淹れ、湯気の立つカップを手に窓向きのカウンター席に腰を下ろした。


「本宮さん、お待たせしました」


 気安く声をかけてきたのは、あご髭がトレードマークの、コモンズ・カフェの店長。


「全然待ってませんよ。どの店より早いです」


「まあ、うちは仕込みが9割ですからね」


 彼はそう言ってカウンター奥に戻っていく。


 7階フロアを借りているのはDRIだが、カフェを運営しているのは障がい者就労支援をしているNPO法人「ひかり」。


 郊外にある「ひかり工房」で下準備された食品を、府内各所にある店舗で最終調理を行って提供している。NPO法人「ひかり」は、リテラ・ノヴァと同じような、AI関連の助成金を受け取っているらしい。


 政府がAI政策を大きく方針転換し、経済成長を目的としたAI利用から、雇用喪失や経済格差といった社会問題解決に活用する方向へと転換したのは2030年代後半。流通AIフリーズがきっかけだ。


 DRIは「デジタルコモンズ構築事業助成金」の支給を受けているし、AIコモンズ実証モデル事業として認可されることでAI税も免除となる。こういった政策転換の影響で、2040年代に入って「コモンズ再構築」の動きが日本各地で盛り上がりを見せた。DRIはその先駆けと言っていい。そして、NPO法人「ひかり」のような、AIコモンズを介した横の繋がりは佐伯部長が地道に築いてきたものだ。


 憧れても、憧れても、佐伯部長のようにはなれないと思う。そもそも、弁護士になれるような頭脳はない。ただ、佐伯部長の理念と情熱くらいは、自分も胸に持っていたいと思う。


 私が佐伯部長の姿を初めて見たのは、リテラ・ノヴァの公式アカウントに投稿された、サイト開設の挨拶動画だった。そこには、眼鏡をかけ、キリッとした眼差しでリテラ・ノヴァについて話す女性がいた。


『――私たちはこのAI翻案図書館「リテラ・ノヴァ」によって、新たな文学を提供します。そして、ここで生み出された新たな文学が、人々の共有財産として広く普及することを願っています。

 多くのコンテンツが飽和状態にある現代、活字離れを危惧する声は徐々に小さくなっていますが、文字を理解し、文章に込められた意図を読み解く能力は活字に触れることでしか育まれません。

 2030年代には地方の本屋は消滅したと言われるほどにまで減少。それだけでなく、公営図書館も次々と合併・閉鎖していっているのが現実です。

 電子書籍はありますが、経済格差が顕著になったこの時代、書籍にお金をかけられない世帯は想像以上に多い。

 これらの問題の解決策として、DRIが提案するのがAI翻案図書館です。誰もが無料でアクセスでき、文学に公平に触れられる場所。

 翻案という形をとったのは、著作権フリーのネット図書館サイトはすでに存在するという理由もありますし、もうひとつ、読者と著作物の間の時代差を解消する目的もあります。

 著作権が消滅するのは著作者の没後70年。70年前というと、1970年代です。そして、著作権フリーの作品の多くはそれよりもっと古い時代のもの。現代とは言葉遣いも、好まれるジャンルも異なります。そういった時代差を埋め、より現代人に馴染む形で翻案することで、文字で物語を読むという体験へのハードルを下げられたらと考えたのです――』


 この動画は、未だに私のスマートフォンに保存されている。佐伯部長の語ったリテラ・ノヴァの理念に共感し、彼女に憧れ、そして私は今DRIでキュレーターをしている。


「理久さん、何食べてるんですか?」


 横から顔をのぞき込んできたのは蒼君。コーヒーカップを手にした彼は、当たり前のように私の隣に座る。


「トマトそぼろ丼。ちょっとピリ辛でおいしいよ。蒼君はご飯? コーヒーだけ?」


「脳が溶けそうなので、コーヒー飲みに来ました」


 蒼君はそう言ってコーヒーをすする。いつも通り表情は乏しく淡々とした口調だが、目元がちょっと疲れているようだった。


「AI翻案ブーム落ち着いてきたけど、9階はまだ忙しい?」


「そっちは問題ありません。翻案ミュージックのほうにちょっとバグが見つかって、それで徹夜で直してたんです。エントランスロビーでの企画展示が終わったら、コネクト・アベニューに貸し出すことになってるので、今のうちにできるだけいい感じに仕上げておきたくて。

 あっ、そうだ。コネクト・アベニューでやるなら、西京っぽいイメージ映像と音楽になるようにしたらいいんじゃないかと思うんですけど」


「いい感じの画像データと音源が欲しいってこと?」


「はい。僕もあたってみますけど、コンテンツ・キュレーション部の人脈を頼った方がいいのは明らかなので。ひとまず、うちの合田部長から佐伯部長に話すってことでしたから、その後に理久さんたちのところに話が行くと思います」


「わかった。いざとなったらうちの部署総出で西京の景色撮ってくるね」


 私の言葉に、蒼君はフッと笑みを浮かべる。が、ヴーッという振動音でその笑みは消えた。


「新田さんだ。そろそろ戻りますね。帰る前に打ち合わせておかないといけないことあるので」


「あっ、徹夜明けってことは昨日夜勤だったんじゃない。だったらもう帰ってる時間でしょ」


「夜勤じゃなくて勝手に残っただけです。それに、仮眠もとったので」


 蒼君はひとつあくびをすると、飲みかけのコーヒーを手に戻っていった。ものの5分もいただろうか。彼の姿が見えなくなった後で、例の「#泥棒図書館」の投稿のことを聞けなかったのに気づいた。


「ま、いっか」


 わざわざ聞くまでもなく、あの投稿はリテラ・ノヴァのものではない。ただ、「雑な文体模倣ですね」と、蒼君にいつもの口調で言ってほしかっただけだ。


 いつの間にかカフェの客は私だけになり、ふと思い立って流通AIフリーズの記事をスマホで開いた。硬派とされる東経新聞社が提供するもので、専門的な分析もなされている。


『今から8年前、東都の生活基盤を支えていた統合ロジスティクスAI「メトロ・ロジ」が突如として機能停止した。いわゆる、東都スマートロジスティクス大混乱事件(通称:流通AIフリーズ)だ。

 当時、AI社会実装モデルの最先端として超効率的な流通網を誇っていたメトロ・ロジ。その完璧な管理システムが狂い始めたのは、2035年5月28日午前8時7分。東都近郊で発生した震度5弱の地震がきっかけだった。

 最初、地震の影響で通信インフラが瞬間的に乱れた。そこへ、メトロ・ロジの学習データに潜んでいた特定の気象条件下でのルート最適化に関する微細なバイアスが作用した。メトロ・ロジはこれらの複合要因を「未曾有の効率低下事態」と認識し、最適化を図る。そして、過剰かつ矛盾した緊急ルート変更指示を大量に生成し始めたのだ。

 間をおかず東都は混乱に陥った。自動配送トラックは身動きが取れなくなり、配送ドローンはフリーズ。そして午前8時23分、メトロ・ロジは自ら「最適化の停止=機能停止」という結論を下して沈黙する。

 5月31日まで、4日間に渡って東都都市圏の物流は完全停止。交通網が麻痺したことで帰宅困難者が溢れ、コンビニの棚からは商品が消え、医薬品の配送も止まった。死傷者こそ出なかったものの、最終的に数千億円規模の経済的損失が発生。

 この事件が浮き彫りにしたのは、AIに依存した生活がいかに脆弱かということだ。また、AIのブラックボックス性と予測不能な判断ロジックが、人間にとって脅威であることを再確認させた。

 そして芽生えたのが、「AIをこのまま放置すれば、社会は根底から揺らぐ」という危機感である。これによりAI社会安定化法が制定され、首都機能分散が加速したが――』


 記事を読みながら違和感を覚えたのは、まるで当時の東都民が偏りなくAIの恩恵を享受していたかのように読めることだ。


 私は高校の修学旅行で東都を訪れた時のことを思い返していた。担任は、電車移動中に窓外を指さしながらこんな話をしたはずだ。


『この景色の差は行き過ぎた資本主義が生み出したものだ。見ての通り、東都21区と周辺地区では、タイムスリップしたのではないかと思うほど景色が違う。

 少子高齢化と人口減少によって都市部に人が集まって、2030年代初頭にはすでに飽和状態だった。地価も家賃も高騰した。一方で、過密状態の交通・流通を捌くために、人口汎用知能の社会実装が政府主導で推し進められた。それで、こんなふうにAI格差が広がったんだ。

 周辺地域では老朽化したインフラの修繕・更新工事も追いつかない。西京はまだ東都ほどじゃないが、今後は他人事でなくなるかもなぁ』


 高校卒業後に家を出て、実家に帰省するたび「他人事ではなくなるかもなぁ」という担任の嗄れ声を時々思い出す。首都機能分散でデジタル関連省庁が西京府に移され、東都の姿は「他人事」ではなくなったのだ。


 2033年から2041年の間に、関西にある堂坂府と西京府に移転された首都機能は全体の約7割に及ぶ。そして今では西京府でもAI格差が拡大している。


 私の生活圏である西京駅付近と、実家のある山裾の茶楠町とでは、AI導入にも物理的社会インフラにも大きな格差が存在する。それでも、茶楠町はAI協働型公共福祉サービス実証地区に指定されているためマシな方だった。茶楠町と峠を隔てた堂坂府の室岩町は、都市部なら1日で配送される商品が、1週間経っても届かないなんてこともあるらしい。効率化の結果の歪みだ。


 世間一般では、AIタクシーやAIバス、自動配送ドローンなどによる無人配送、自動運転車など、AI進化で人は必要なくなったと言われるが、それらはすべて必要な整備がされてこそ成り立つサービス。室岩町のようにインフラ修理もまともに進んでいない地区では、自動配送などできるはずがない。


 日本国民全員が享受できるAIサービスは、物理サービスではなく、ネットを介したものだ。田舎の大変さを知っているからこそ、私は文学コモンズを掲げるDRIに共感した。


 勝手な憶測だけれど、蒼君が高額オファーを蹴ってDRIに入社したのも、私と同じ理由なのではないかと思っている。彼も、実家は地方の田舎のはずだから。



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