#2 反AI
ハヤト文体を使った批判投稿は、比喩を使ってはいるが、頭をひねらなくても意図を解釈できる程度のものだった。
タグにある「泥棒図書館」は、リテラ・ノヴァが他人の著作物を学習データとして用いていることを指している。「墓石」という言葉は、没後70年以上経った著作権切れ作品群のことだろう。「顔のない司書」はおそらく「AI」。そして、「生者の墓石」はハヤトのようにDRIの理念に共感して、自ら著作権の一部を放棄した作家の作品。
この投稿が目にとまったのは文字数オーバーのせいだけではなかった。添付されたAIイラストが陰気な色彩だったことも理由のひとつだ。
ハヤト文体のマイクロノベルから生成される画像やアニメーションは、どんなアプリを使用しても大抵は淡く柔らかで幻想的なトーンになる。しかし、そこに添付されているイラストはモノトーンで描かれた墓場。
「冥作だの迷作だの、そんな言葉遊びはハヤト文体にはないのに、名作を書き上げたつもりなのかしら」
インプレッション数が5千近くあるのが私の神経を逆なでした。リポストしているのは、予想通りアニメや動画関連のアカウント。
ここ最近、軍事AIの事故で世界的にAI不信が広まっているという背景もあるし、日本においてはアニメーターを中心に反AIの動きが目立つようになった。彼らは、AI翻案にではなく添付されたAI生成アニメーションに怒っているのだ。
「本宮さん。何かあったの?」
いつの間に戻っていたのか、背後から声をかけてきたのは糸井部長。丸眼鏡の奥の糸目は眠っているのか起きているのかよくわからないが、目が合うと彼は微笑を浮かべた。
「ハヤト文体?」
「ハヤト文体詐欺です。ハヤト文体のフリして、AI批判したいみたい。
それより、プロヴァー出版の方と会ってたんですよね。どなたか、作家さんが翻案契約を希望されてるんですか?」
「具体的な名前は出なかったよ。まあ、契約もしないだろうね。文字数当たりの契約金額を聞いたら、わかりやすく興味をなくしてたから。
AI翻案ブームに乗って少しでも作家さんの収入の足しに――って考えたんだろうけど、うちはそういう趣旨でやってるわけじゃないし」
「未だに勘違いされてますよね。ハヤト文体で翻案ブームは起きたけど、ハヤト君には雀の涙ほどのお金しか入ってないのに」
「もっとあげたいのは山々だけど、平井先生の場合は著作の売れ行きにもある程度反映されたみたいだから良かったよ」
良かったと言いながら、糸井部長は小さく吐息を吐く。ハヤト君以外の翻案契約作家は、自作の売り上げにはまったく繋がっていないのだ。
「ハヤト文体の分析企画をやった文芸誌は売上良かったらしいですね」
「平井先生の写真目当てに購入したファンがほとんどだろうけど、まさに平井先生様々だね」
「一緒に掲載されてる小説、ひとつでもいいから読んでくれてたらいいんですけど」
「どうかなあ。ハヤト文体っていうのも、実際のところファンの思い込みによるところが大きいし、ハヤトレシピで生成された翻案の中にも、本物の平井先生の著作をしっかり読んでたら『これは違うよね』っていうものもかなりある。
まあ、ハヤト文体なんていうタグが生まれたのも、平井先生の著作の売上が伸びたのも、文体分析企画がヒットしたのも、彼にもともと多くのファンがついてたっていうのが一番の要因だろうね。富むものはさらに富み――っていうことなのかな。なんだか皮肉なものだね」
部長はまたため息を漏らす。AIコモンズで機会格差を是正しようとしているのに、出版不況でジリ貧作家が増殖する中、売れっ子だけがさらに売れてしまうのだ。この状況を作り出したのは私。でも、後悔はしていない。
「こういう言い方はハヤト君に申し訳ないですけど、富むものを利用してでも文学コモンズの普及が達成できればいいんじゃないかと思います。
ハヤト君のおかげで登録ユーザー数は10倍に増えたし、課金が必要な中長編の翻案生成や、有料パーソナライズカウンセリングを利用するユーザーも緩やかに増加傾向にあります。ユーザー情報の分析からも、地方の過疎地からの登録増加が顕著だったじゃないですか。だから、活字文化の復興には多少なりと役立ってると思います。
心配なのは、現役作家さんから『リテラ・ノヴァ』に読者を奪われたって言われないかですけど」
「それは心配ないんじゃないかな。ユーザー数や翻案生成数なんかの情報は、月別収支報告と合わせてリテラ・ノヴァサイトから閲覧できるようになってる。そこに、出版業界への影響がほぼないという分析結果も合わせて載せてある。DRIは潜在的需要を掘り起こしただけだよ。
まあ、出版業界への影響がほぼないっていうのも、なんだかなあって感じだけど。世の中難しいね」
糸井部長はタブレットから顔をあげ、窓の外に目をやった。
街を彩るサイネージと、遠くに見える世界遺産の寺院・清川寺。歴史と最新技術が入り混じったこの街は、AI翻案図書館『リテラ・ノヴァ』のようだと思う。文豪の作品と、若手作家平井颯人の最先端文学の融合。
「糸井部長は、ブームは今後どうなると思います? 当初の予定では、若手作家にもっと声をかけようって話だったじゃないですか。でも、ハヤト文体が流行り始めてから、佐伯部長にストップかけられたままですよね。佐伯部長はブーム自体をあまり良く思ってないようですし」
総勢19名のDRIの、実質的な統括者である佐伯真琴倫理法務部長。五十路半ばの元弁護士で、どれだけ忙しくても常にキリッとした表情をしている。
DRIの理事長は別に存在するが、名前ばかりで滅多に顔を見せないから、「鴻巣理事長は、実は佐伯部長の作ったAIキャラクターで、現実には存在しない」という冗談が職員たちの間で交わされている。
「難しいね」と、糸井部長はいつもの口癖を再度こぼした。
「ブームに乗った熱狂的な行動は、いつどこで何が起こるかわからない。佐伯部長としては慎重にならざるを得ないよ。著作権に関する問題はとてもセンシティブなものだし、今ではAIの恩恵を受けずに生きてる人はいないと言えるほどなのに、反AIはここ最近また増加してるからね。そんな中でうちはAI翻案を掲げてるわけだから」
「でも、大事なのはAIを使うか使わないかじゃなくて、AIをどう使うかじゃないですか?」
意識せず口をついて出た言葉で、過去の、ある人物との口論が頭を過った。今と同じ発言を、もっと感情的にぶつけた相手は昔の恋人。そして、彼からはこんな言葉が返ってきた。
『AIにできるのは感情のない文体模倣だけだ! その行間に何が存在すると思ってるんだ? 俺の書いたものも、AIが書いたものも、理久にとっては同じなのか?』
思い出すたびに、やるせなさと悔しさと、罪悪感とが同時にせり上がってくる。部長に気づかれないように何か口にしないと――と思った時、スマホの着信音が鳴り響いた。
「あれ、プロヴァー出版さんだ。何だろうね。本宮さんもそろそろ休憩とりなよ」
部長は早口に言うと、自席へと向かったのだった。