#16 vibe
「なんだ、起きたのか、新田。おまえ、イビキかいてたぞ?」
合田部長がからかうように言い、一希君は「エッ」とヨダレを拭うような仕草をする。
「嘘ですよ」
蒼君がかすかに笑いを帯びた声で言ったが、彼は画面に視線を向けたまま。9階メンバーはいつもこんな感じなのに、8階職員たちはそれを知らない。
「一希君、夜勤明け?」
「ああ。眠気マックスでそのまま寝た」
「会話、どこから聞いてたの?」
「えーっと、理久が結城先生とカフェでたまたま会って、AI翻案のコミュニティがどうのってあたり」
「ほとんど聞いてたんじゃない」
「最初は夢かと思ってたんだよ。ちょっと前から意識がハッキリしてきた。で、そのAI翻案のコミュニティを探してるんだよな?
なんかSNSって決めつけてるみたいだけど、コミュニティ専用プラットフォームもあるし、有料オンラインサロンみたいなのも言わばコミュニティだろ? 招待制ならそういう可能性もあるんじゃない……ふぁあ?」
一希君は大あくびをし、両手をあげて伸びをした。蒼君は「確かにそうですね」と検索の手を止め、Pitterの「#AI翻案抜粋」検索画面をじっと見つめる。
「探すの難しそう?」
「いえ。しらみつぶしに当たるのは効率的じゃなさそうだから、むしろ向こうに見つけてもらうよう仕向けてはどうかって考えてたんです」
「コミュニティに招待させようってことか。しかし、そう上手く行くか?」と、合田部長は懐疑的だ。
「ダメ元ですよ。今わかってるのは、『#AI翻案抜粋』タグがそのコミュニティから始まったんだろうってことと、そのタグがPitterでしか使用されていないってことです。コミュニティメンバーはPitterを見てる。目当ては間違いなく翻案予言bot。だから、Pitterで予言信者っぽい投稿してみるのはどうですか? AI翻案の抜粋を投稿したり、予言が当たったって投稿したり」
私は名案だと思ったが、合田部長は悩ましげに低く唸った。
「偽装アカウントで相手を釣って、クローズドコミュニティに潜入するってことだろ? そういうやり方は佐伯部長が渋るだろうな」
「DRIとしてやるのが問題なら、私のプライベートアカウントを使います。非公開にしたパーソナライズ翻案がひとつあるので、AI翻案抜粋も用意できますし」
私の提案に合田部長は「個人アカウントか」と、佐伯部長の逆鱗に触れないギリギリのラインを探るように腕組みをした。次の言葉を待っていると、その沈黙に一希君が割って入ってくる。
「理久が翻案をコモンズにせずに囲い込むなんて、意外だな」
「全部非公開にしてるわけじゃないわよ。非公開選択にしたらどんなフローで動くのか確認したかったの。デモで見るのと、自分でやってみるのは違うでしょ」
本題から逸れたからか、「僕のプライベートアカウントでやります」と蒼君が強引に話を戻した。そして、「いいですよね」と背後の合田部長を振り返る。部長はその視線に観念したらしく、「まあなあ」と苦笑とともに曖昧にうなずいた。
「だが、翻案予言botっていう怪しいアカウントが絡んでる話だし、そのAI翻案コミュニティっていうのも変な集まりの可能性がないわけじゃない」
「危ないから僕がやるんです」
蒼君の言葉の意図を察したように、合田部長がチラと私を見た。
私を気遣ってくれているようだが、AI翻案コミュニティがそれほど危険とは思えない。匠真にその話をしたという女性たちは、私がDRI職員だと知る前は、読書好きの普通の人という印象だったから。
私もやりますと言おうとしたが、先に一希君が違う話をし始めた。
「惣領、投稿する翻案の抜粋はどうするんだ? それっぽい文章を生成して投稿するのか?」
「いえ、僕の翻案データから適当に使えそうな箇所をピックアップするつもりです」
「『僕の?』 もしかして惣領もパーソナライズ翻案を非公開で持ってるのか?」
「4、5作ありますよ。うちのAIが僕のデータでどんなものを生成するか気になるから、たまに。全部非公開ですけど」
「おまえ、それでもDRI職員か?」
「自腹でパーソナライズ翻案したことない新田さんに言われたくないです。それに、僕は技術でDRIに貢献してるので、プライベートまで差し出す気はありません。だいたい、自分の物語を晒すのって恥ずかしいじゃないですか」
蒼君は「恥ずかしい」と口にすることすら恥ずかしそうに、ふいと視線をそらした。合田部長は意外そうに「ほぅ」と気の抜けた声を漏らし、一希君はニヤニヤと嫌らしい笑みで蒼君の肩を叩く。
「その恥ずかしい物語の抜粋を投稿してもいいのか?」
「たった数百字です。その限られた文字数で、場所、事象に関する情報を入れないといけません。さらに、比喩的な表現で解釈の余地を持たせる必要がありますから、ピックアップされるのは、物語の核心とは無関係な普通の文章です。万が一晒したくない箇所が抽出されたら、それを採用しなければ済む話ですし」
私は地道に翻案を読んで抜粋箇所を探そうとしていたが、蒼君の話を聞いていて、彼はそうではないらしいと気づいた。
「AIで抜粋箇所を探すの?」
「はい。投稿されてるAI翻案抜粋の傾向は一度分析したので――」
蒼君は話しながら、足元からノートパソコンを取り出した。起ち上げたのは私のパソコンにも入っているローカルAIアプリケーション『Resource』だけど、どうやら有料版の『ResourcePRO』。
「Resourceでいけるのか?」
そう問いかけながら、合田部長は興味深そうに身を乗り出した。
「真面目にコード書くより、むしろこっちの方が合ってるんじゃないかと思って。指示の仕方によっては、けっこういい感じにこっちの求める文脈を汲み取ってくれるんで」
蒼君は通常版にはない『MagBoxを作る』というメニューを選択すると、淀みなくキーボードを叩き始める。モニター下部の細い横長の枠に入力されていく文字は日本語だったけれど、あまりの早さで枠外へと流れていって文字を追うことができない。
「おい、惣領。プロンプトを全表示できないのか?」
どうやら合田部長はResourceユーザーではないらしい。とはいえ、私も通常版利用者だから、蒼君が何をやっているのかよくわからない。一希君は、いつにない真剣な顔で流れる文字を追っていたが、蒼君が何かキーを押して画面左半分に大きくプロンプトが表示されると、「マジか」と嘆息混じりに漏らした。
「なあ、惣領。おまえ、チャットすっ飛ばしてひとつのプロンプトで完結させるのか?」
「まあ、そうですね。チャットってむしろユーザー側の思考整理っていう側面のほうが強いですよね。だから、こっちのビジョンが明確なら対話する必要ないです」
合田部長は「たしかに、対話を圧縮したような内容だな」と、こちらも感心した様子。プロンプトはモニター左画面の下あたりまで達しているが、まだ終わらない。
『大規模言語モデル「ResourcePRO」へ。
以下に示す複数の条件を満たす、選択されたソースデータ群の中から文章を抽出せよ。
抽出された文章は、予言的に解釈されうる、250〜290文字の詩的・比喩的表現に限定する。
条件:
1. **バイブコーディング**
- **変化の示唆**: 「均衡が崩れる」「新たな幕開け」といった、事態の転換を暗示する表現を含むこと。
- **不安定さの描写**: 「薄氷を踏む」「軋みが生じる」など、状況の脆弱性や不安定さを表す比喩を含むこと。
- **不穏な予感**: 「静かなる前兆」「影が忍び寄る」といった、未来の不吉な兆候を予感させる表現を含むこと。』
さらにプロンプトは続く。条件は1から5まであり、「4.プライバシーフィルター」「5.出力形式」以外の3条件にはそれぞれ複数項目が示され、さらにその具体例が2つか3つ示されている。
条件1の「バイブコーディング」は、予言に必要な比喩表現の細かな指示。条件2は「コンテキストフィルタリング」とされ、予言の場所や日時を示す描写が、ある程度の大まかな表現で入るよう例を示す。条件3「構造と感情の評価」は、起承転結の「転」部分における不安や驚愕といった感情変化を優先的に抽出するよう書かれていた。
日本語だからプロンプトの意図するところは私にもわかったけれど、その凄さについてはいまいちピンと来ない。
「これって、凄いんですか?」
合田部長に聞いたつもりが、「いや、普通じゃないだろ」と一希君の声が返ってくる。
「理久は、予言元になる文章をどうやって探すつもりだった? もし雰囲気で予言っぽい場所を見つけたとして、それを自分が選んだ理由が客観的に説明できるか? こいつは、頭の中であっという間にそれを整理して、当たり前みたいに言語化してるんだ」
「こういう曖昧な抽出指示は、テンプレ呪文じゃあ対応できないからな。すぐに構築できるやつはそうそういない」と、合田部長が一希君の言葉を補足した。
合田部長も蒼君も画面を見ていて気づいていないようだったけれど、私はどことなく表情の暗い一希君の横顔が妙に気になっていた。




