#1 ハヤト文体
「これのどこがハヤト文体なのよ! うちを批判したいだけのオヤジギャクじゃない」
腹立たしさにまかせて口にした後、私はハッとしてオフィスを見渡した。
西京府の中心都市にある、NPO法人ディープ・リーディング・イニシアチブ(通称DRI)。12階建てビルの7階から9階までをDRIが借りているが、私が働くのは8階にあるコンテンツ・キュレーション部だ。窓からは、見慣れたビルの隙間に、緑に埋もれて清川寺の古びた屋根がかすかに見えていた。
コンテンツ・キュレーション部には私を含めて4人が所属している。糸井部長はとっくに愛妻弁当を食べ終えて出かけ、同僚1人は3階にあるキッズルームで息子と一緒にお昼ご飯中。もう1人は地下街のコネクト・アベニューに最近できたスープカレー店へ行った。
聞かれて困る独り言でもないけれど、なんとなくホッと胸をなでおろす。そして、改めて苛立ちの原因となったPitter投稿に目をやった。
『その新しき図書館では、顔のない司書が善人のふりをして、聖母の仮面をつけ人々に盗本を読み聞かせるという。司書どもは夜ごと墓石を打ち砕き、故人の骨を拾い集めては、継ぎ接ぎだらけの冥作を生み出し得意満面になっている。騙される方が悪いと誰が言ったか。ついには生者を垂らし込み、自らの手で墓石を作らせ、それを割らせ、破片を盗作と混ぜ合わせては、迷作ばかりを垂れ流す。
#AI翻案 #泥棒図書館 #翻案図書館 #リテラ・ノヴァ #ハヤト文体』
読み返すと沸々と怒りが再燃し、気を鎮めるためにフウと息を吐いた。
Pitterに溢れるハヤト文体のマイクロノベル。140字の物語は、DRIが運営するAI翻案図書館サイト『リテラ・ノヴァ』で生成されたものだ。
ハヤトというのは、19歳で芥河賞受賞作家となった平井颯人。21歳になった今、現役大学生であり、5人組アイドルグループ『Deeeeep』の末っ子「ハヤト」としても活躍している。つまり、頭が良くて歌って踊れる超人気者の国民的アイドルというわけだ。
そして、彼は私が担当する翻案契約者でもある。
リテラ・ノヴァは基本的に著作権フリーの作品を学習データとしているが、3年ほど前から現代作家と翻案契約を交わし、著作の一部を翻案原本データとして提供してもらうという試みが始まった。
しかし、契約に応じてくれるのは著作が売れず埋もれたままの無名作家ばかり。生成される文章に幅は出たが、利用者数に大きな変化はなかった。私が入社してからずっと利用者数が横ばい状態で、認知度を上げる必要性をずっと感じ続けていたが、一念発起してタレント作家に声をかけることにしたのが去年の夏のことだった。
あの時、DRI職員たちからは「無謀」「ダメ元だから」「アイドルに会えたらラッキーじゃん」と、散々な言われようだったが、正直、当時のことを振り返ると自分でも呆れる。
付き合いのある出版社経由でアポはとってあったため、堂坂府にあるハヤトの所属事務所「スターライト・ネクスト」に赴くと、問題なく彼と会うことができた。しかし、Deeeeepのマネージャーは『著作権を放棄しても、ハヤトにメリットはないんじゃないですか?』と、あまり乗り気ではなかった。
正確には「著作権の一部」を放棄することになるのだが、メリットがないのは事実。契約が成立すればリテラ・ノヴァのサイトで大々的にアピールするつもりではいたけれど、リテラ・ノヴァの登録ユーザー数は、200万人に迫るDeeeeepのファンクラブ会員数とは比べ物にならなかった。
私にできたのは、与えられた時間でDRIとリテラ・ノヴァの理念「AIと人が織りなす、豊かなコモンズの創造」について懸命に説明すること。すると、ハヤト本人がDRIの理念に感銘を受け、渋るマネージャーを説得して契約が成立したのだ。
『アイドルはみんなのための存在ですから、僕も言わばコモンズですね』
ハヤトは末っ子キャラクターらしい無邪気な笑顔を浮かべ、そんなふうに言った。
彼が提供してくれたのは未発表の短編8作品。それらはリテラ・ノヴァで公開されているわけではないが、Deeeeepの公式サイトから無料でダウンロードできるようになっている。
しかし、契約成立時は誰もその後に起こるブームを予想していなかった。リテラ・ノヴァが生成する平井颯人風の文体「#ハヤト文体」が流行語大賞を獲るなんて、いったい誰に想像できるだろう。それはひとえにDeeeeepファンのおかげと言っていい。ハヤトがSNSで翻案契約を公表したとたん、リテラ・ノヴァへのアクセスが急増したのだ。
リテラ・ノヴァの翻案小説は文量によって5種類に分けられる。140字のマイクロノベル、3〜5千字のショートショート、1万字程度の短編、3万字程度の中編、8万字程度の長編だ。その中で、登録不要かつ無料で生成できるのがマイクロノベル。
マイクロノベルはAI翻案小説に興味を持ってもらうための「お試し用」だが、その手軽さがハヤトのファン層にウケた。
翻案マイクロノベルの場合、「原著作物の指定」と「パーソナライズ」のうちの、後者を選択することで10問の心理テスト結果を反映したものが生成される。これが中長編向けの「パーソナライズ」だと有料になり、60の質問に答え、詳細なカウンセリングデータも提供されるのだが、マイクロノベルはあくまでもお試し。課金の必要もないため、ファンたちは翻案マイクロノベルを次々と生成し、SNSに投稿していった。
そして、翻案契約から2ヶ月ほど経った10月の初旬。ハヤトの熱狂的なファンが発見したのが〝ハヤトレシピ〟だ。
10問の心理テストで、特定の3問においてある選択をすれば、平井颯人の文体で生成されるという。それは「ハヤトからのメッセージ」として捉えられ、「#ハヤト文体」のタグをつけられ、あっという間に拡散していった。
作家・平井颯人の文体は、幻想的で詩的、時に古風な言葉も用いられる。柔らかなリズムと軽やかさも兼ね備えており、「耳で聞く読書」が一般化した現代の読者に「読みやすい純文学」と認識されたようだった。
文学界隈の一部では、平井颯人の作品はライトノベルであって純文学ではないと主張する人もいるが、私はそうは思わない。文章の読みやすさとは対象的に、彼の描く現代人の心の機微は多層的で、エンタメ作品とは一線を画している。
正直なところ、平井颯人の著作すべてを読んでいる私からすると、「ハヤト文体」は彼の文章の表層をなぞっているだけのように感じる。しかし、それは140字という制約があるため仕方のないことでもあった。
私は彼の担当者として、「#ハヤト文体」だけでなく、ハヤトファンの投稿もチェックするようになった。そして、ハヤト文体がテレビの特集番組で採り上げられると、Deeeeepファンだけでなく、幅広い年齢層の女性が翻案マイクロノベルに興味を持ち、AI翻案ブームが巻き起こった。
女性たちは、ハヤト文体の翻案生成を占いのような感覚で利用した。毎朝新しい翻案を生成し、その短い文章を元に画像やアニメーションを生成して、小説とともにSNSに投稿する。
2042年のクリスマス頃にそのブームはピークを迎え、「#ハヤト文体」は流行語大賞を受賞。文芸誌はこぞってハヤトとAI翻案ブームをとりあげ始めた。たとえ140字のAI翻案小説だとしても、活字が注目を浴びたのは出版業界にとってまたとない機会だったのだ。
2041年の芥河賞受賞時もハヤトはあらゆる文芸誌の表紙を飾ったが、奇特な本好きでない限り受賞作くらいしか読まない。文芸誌の売上にはそれほど結びつかず、当時は「斜陽産業の某出版社が無理やりアイドル作家を受賞させた」という陰口も同じ出版業界内で囁かれたと聞く。
それなのに「#ハヤト文体」が流行った途端に虫がいい――とは思うが、複数の出版社とも付き合いがある身としては、彼らの苦悩がわかるだけに上手くブームを利用してくれればという気持ちの方が強かった。
そうして世間が賑わっている間、リテラ・ノヴァはアクセス集中によるシステム障害を何度か起こした。いずれもすぐに復旧して大きな問題にはならず、年が明けてからは次第にブームも落ち着き、一時はひっきりなしに送られてきていた取材依頼のメールもこの5月はたった一通。
その一方で、何かと目につくようになったのが、AI翻案に対する批判的な投稿だった。「#泥棒図書館」というタグをつけ、ハヤト文体を模したような文章は、ある意味で洒落た批判とも言えなくない。
『その新しき図書館では、顔のない司書が善人のふりをして、聖母の仮面をつけ人々に盗本を読み聞かせるという。司書どもは夜ごと墓石を打ち砕き、故人の骨を拾い集めては、継ぎ接ぎだらけの冥作を生み出し得意満面になっている。騙される方が悪いと誰が言ったか。ついには生者を垂らし込み、自らの手で墓石を作らせ、それを割らせ、破片を盗作と混ぜ合わせては、迷作ばかりを垂れ流す。
#AI翻案 #泥棒図書館 #翻案図書館 #リテラ・ノヴァ #ハヤト文体』
投稿は2043年5月28日12:00。
00分に投稿されているということは、何気なく思いついたものではなく、事前に予約していた可能性が高い。リテラ・ノヴァのAI翻案でないと気づいたのは、パッと見て140字をオーバーしているのがわかったからだ。