彼は二度死ぬ
「うおおおおおお!!」
獣の如き咆哮はフローダストのものだった。
彼は竜の姿のままリーデルに突進する。リーデルも竜に姿を変えると、フローダストの猛攻を受けながらも兵達に命令した。
「このようなことが許されていいはずがないのだ! 皆のもの、手を緩めるな! 敵を殲滅するまで決して止まるな!!」
レオンローズの死を受けて手を止めていた兵達は、リーデルの声を聞いて奮い立つ。
だがそのリーデルもフローダストの牙を受け、その後怒りのまま向かってきたレティスに体を引き裂かれ、戦闘不能に陥ったようだ。
フィオナは悲鳴を上げることができなかった。死んだルークスの姿を受け入れることができない。にも関わらず、急速に手足が冷えて体が震える。
(わたしのせいだ……わたしの……)
いっそのこと、リーデルはわたしを殺してくれたら良かった。
ルークスの側で、カリアとオルフが泣いている。
「オルフ様、だめです! ち、治癒が意味ない!」
カリアは魔術でルークスの傷を治しているが、傷は塞がらず、血は流れ続けている。魂が既にそこにないのだ。幾度となく目にした死だった。
「逝かせるわけにはいかないのに! こんなことって……!」
オルフが嘆きながらルークスの心臓の上を何度も叩く。衝撃にルークスの体が揺れるが、揺れるだけで目を覚ます気配はない。
信じられない者の声が聞こえたのはその時だった。
「オルフ、カリア! 俺の体の治癒を続けてくれ!」
それははっきりとした明瞭な声で、誰もが聞いただけで信頼を預けたくなるような、温かく、力強い声だった。少なくとも、フィオナにとっては。唖然としながら、フィオナは背後を振り返る。
「皆、こちらへ集まれ! フィオナを中心に、円形に陣を張るんだ! 竜人は攻撃に徹してくれ、その他の者は防御と治癒に分かれろ、円の中心に負傷者を運べ!」
目線の先に立っていたのは、先程倒れたはずのルイ・ベルトールの肉体だった。
◇◆◇
フィオナが目を丸くしてこちらを見つめている。ルイは彼女の腕を掴むと強引に引き寄せた。
「偽物め!」
リーデルを倒したフローダストが人の姿に戻ると、落ちていた剣を拾い、返り血もそのままにルイに切りかかってきた。――相変わらず熱い男だ、と思いながらもルイはそれを剣で受ける。
「待てフローダスト、俺はルークスだ!」
「……何だと? そのような嘘を!」
鼻に皺を寄せ怒り狂うフローダストに向けてルイは叫び返した。
「嘘じゃない、信じろ! ルークスの肉体は死んだが、魂が消えきる前にもう一つの馴染みのある肉体に戻った!」
フローダストの剣の力がわずかに弱まり、ルイはそれを剣で払い除けた。フローダストの目は揺れている。
「本当だ。俺を殺してもいいが、ルークスの肉体が完全に治癒してからだ。でないと恐らく戻れない」
「貴様、どっちだ。ルークスか? ルイ・ベルトールか?」
「……ルイ・ベルトールの方だ」
片腕の中で、フィオナの体がビクリと震えた。
己がルークスの魂であると自覚していた。自覚していたが、では自分がルークスかというとそうではなかった。今、この抜け殻の体を動かしている意識は、紛れもなくルイ・ベルトールのものだった。肉体の方に自意識が引っ張られているのだ、とどこか冷静にルイは考えていた。
記憶はある。ルイの記憶とルークスの記憶だ。
だからここが己の死後から三百年経った西大陸であり、王をさきほどこの手で殺したということは分かっていた。
分かっていたが、分かっていても、己の肉体で久方ぶりに見つめる世界に戸惑う。思わず苦笑が漏れた。
極限の場において、魂というものは常に生きる方向へと進むのだとルイは身を持って知っていた。だからルークスの体が命を保てなくなった時、魂はもう一つの己の器に向かったのだ。即ち、今のルイに。
ルイ自身が、一番信じられないが、なんとこの世に蘇ってしまった。
(レオンローズは、実に上手にこの体を造ったじゃないか)
魂が自分の体だと錯覚するほど、寸分違わず再生したのだ。依代はルイ自身の左手だったのだろう。
フローダストは剣を下げ、ルイの瞳を覗き込む。竜人の優れた直感は、ルイの言葉を信じることにしたらしい。
彼がルークスの保護者として、庇護し続けていてくれたことは知っている。今、ルイの中に、彼に対するわだかまりはなかった。
フローダストは吐き捨てるように言った。
「あの時、貴様の誇りなど無視をして、共に白銀王を打ち倒す場に行けば良かったと、何度も考えたのだ……!」
「では、いつかできなかった共闘をしようじゃないか」
ルイが笑いかけると、フローダストは額に青筋を立てた。
「その癇に障る話し方、確かにルイ・ベルトールのものだと認めよう」
ルークスとして彼を知っている。情に厚く信頼できる男であり、彼もルークスを血縁者のように大切に思ってくれているということはよく分かっていた。
「元に戻ったら、主権をルークスに返すと約束するよ」
フローダストは小さく頷く。
「……野薔薇様を頼む」
そう言い残し再び竜の姿になると、空にいる竜人兵士等を倒すべく飛び上がった。
ルイも剣を改めて握り直す。
随分と軽い魔剣だな、と思う。魂を吸ったあの剣は遥かに重かったからこれはやはり、レオンローズが余興めいて造った偽物に過ぎない。
だが魔剣はこの世には二度と必要ない。フィオナがそういう世界を造ったのだから。
腕の中で身を固くし、ルイを凝視しているフィオナに向けてそっと言葉を口にした。
「思ったよ。生きたいって。貴女と共に、生きていきたいと思っていた」
死を厭わずに突き進み、敵も味方も大勢死に追いやった男が、生きたいと願いながら死んでいく。それが女神が与えた罰だったのだろう。
フィオナの瞳から、透明な涙が流れていく。
彼女の心の傷は永遠を生きても治らないのかもしれない。彼女はひび割れていた。その傷を作ったのは、やはりルイなのだろう。
時間はあまりないのに、伝えたい言葉が多すぎる。周囲で交戦の音が響く中、ルイはフィオナに語りかけた。
「俺は貴女をめんどくさい女だと思ったことがある」
「は……」
ルイの言葉に、ようやくフィオナは微かに言葉を発した。呆れと驚きが入り混じったような声色だった。
「俺は貴女に薄汚い欲望を向けたこともある。ぐちゃぐちゃに壊してしまいたいと、そう思ったこともある」
彼女が言葉を発する前に、ルイは再び言った。
「こんなものだった。俺はこうだ。別に今と変わらない。俺がルミナシウスのまま普通に成長したら、こういう男になってただろう。つまり、ルークス・ファルトルみたいになったと思う」
そこまで言ったところで少し考えて、首を横に振る。
「――いや、やはり違ったかな」
ルークスは物事をやや前向きに捉えがちであり、楽観的で刹那主義者だ。それはルイにはないもので、だから憧れた。
瞬きを繰り返すフィオナに向かって、ルイは再び言った。
「貴女を見ていた。ずっと見ていた。三百年の間、側にいたんだ。俺の意識が保てなくなり、もはや空気と同化していても、それでも側にいた。苦悩と悔恨の側に、いつもいた」
そのことを今、思い出した。声をかけることができないもどかしさと、己の罪の深さに打ちのめされながらも、彼女の側にいた。生きるためだけに必死に生きる彼女の、なんと美しかったことだろう。
やがてルイの罪は許され、生まれ変わる時が来た。生まれ変わっても、心のどこかに常に彼女が存在していた。忘れることなど、できはしなかった。
「貴女に会えて良かった。俺の人生にあった、たった一つの光だったから」
フィオナの唇が開かれて、空気を震わす。だがやはり、彼女は声を出さなかった。
「三百年分の愛と、これから先の永劫の愛を貴女に贈る。幸せに――幸せになってくれ。勝手は承知の上で、俺がいなくても、それでも幸せを見つけてほしい。俺はいない。もう、いないんだ」
俺は弱い男だったとルイは思う。卑怯で、身勝手だった。
だから貴女に、枷を与えてしまった。それなのに自分では、枷から解放した気でいた。だから今、改めて言う。
「自由になって欲しい。貴女に何も言わずに死んですまなかった。間違っていた。心からの謝罪を、貴女にする」
フィオナの黄金の瞳が微かに揺れる。
「最後に、貴女にまた甘えてもいいだろうか。私はこれから死ななくてはならない。今の私はルークスの魂に微かに残る記憶が、この肉体に入り込み、一時的に蘇ったに過ぎない。今を生きる者に返さなくてはならない。
……どうか振り返らないでくれ。死の間際の情けない姿を見られるのは耐えられない」
フィオナの口から、囁くような小さな声が発せられた。
「戻ったら、このことは忘れてしまう? ルイ様の記憶も、ルークスからは消えてしまう?」
「ああ、きっとね」
フィオナの瞳から、再び涙が溢れた。
「三百年間、貴方だけを愛して、貴方だけを憎みました。これから先もそうかもしれません」
「それでもいいよ」
フィオナは泣いていたが、それでも笑っていた。
「悲しい別れだけど、絶望はしません。大勢の人に支えられて、わたしがあるって、今はそれに気づけたから。幸せだって、絶対に見つけてみせます。貴方が、いなくても。貴方がいなくても……。わたしは強い王様ですもの」
赤い目をしてフィオナは微笑んだ。ルイは堪えきれずに口づけを落とした。
生まれて、死んで、そうしてまた生まれても、今この瞬間ほど満たされたことはないほどに、ルイの心は満たされていた。
これが自分が愛した人なのだと、世界に向けて叫びたい気分だった。
戦闘は続いているが、誰も二人の邪魔はしなかった。二人以外の全てはこの世から消え失せてしまったかのような錯覚を覚え、ルイは再びフィオナに唇を重ねた。どういうわけか彼女と二人で見知らぬ草原の上に逃げ出した時の風景が思い起こされた。
あの平穏だった谷で、何もかも投げ出しフィオナと二人で夫婦のように暮らせていたら――そんなあり得ない夢を、刹那の間に垣間見た。
「さようなら」
ルイはフィオナから体を離した。
寄り添い合う恋人同士から、過去の亡霊と未来を生きる竜族の王に戻らなくては。ルイは彼女から一歩離れ、背中を押した。彼女は頷くとルイに背を向け、レオンローズの死体の上に駆け上り、誰もが聞き惚れるほどの美しい声色で、高く天に向って叫んだ。
「わたしは東大陸の王、野薔薇! 今よりこの大陸は、わたしの配下に置くものとする! 異論がある者は前へ出なさい! ない者は、これ以上の戦闘は無用! 即刻、わたしの元へ下りなさい!」
その様子を見て、ルイの口元には笑みが広がった。
改めて思う。なんて美しい人なのだろうと。ひび割れていたって彼女は美しかった。その歪ささえも彼女を完璧な存在に仕上げていた。
貴女は不完全で、それでいて全てが完璧な調和の中にある。そのままでいい。無理に傷を治す必要はない。その形こそが、貴女なのだから。
(俺は幸せ者だ)
剣を首筋にあてがいながらも、ルイはそんなことを考えた。
――この世で一番美しいものを見つめながら、死ぬことができる。
自らの二度目の死を知覚しながらも、ルイはフィオナの姿を息絶えるまで見つめていた。




