絶望するにはまだ早い
厄介なことになったな。実に厄介なことになったと、そんなことをずっと考えていた。
塔の中で一人過ごす孤独な少女。運命が訪れるのを待っている。
彼女に会いに行かなくては。俺がいなくてきっと悲しんでいるだろうから。
だから闇の中をもがいていた。
少し前まで体が痛んでいたが、もうそれもない。ただひたすらに、一点の光を目指して蠢いていた。
抱きしめたいのに腕がない。見つめたいのに目が見えない。それなのに、目を閉じても見える光を目指して、ひたすらに進んでいった。
――。
――――。
――――――!
「ルークス!」
「――おわあ!」
揺り動かされて、ルークスは飛び起きた。
目の前にオルフとカリアがいる。二人に向かってルークスは叫んだ。
「嵌められた、罠だったんだ!」
「そんなこと僕らはもう知っているよ」
「わたしたち捕まってしまったんですよ」
体を動かそうとするとあちこち痛む上、両手は背中に回され、鉄製の手錠で自由を奪われていた。悪夢を見ていた気がするが思い出せない。
周囲を見渡すが、嫌に視界が暗くて数秒の間、状況を理解するのに苦労した。窓のない牢にいるらしい。それも使者等と竜人丸ごとだ。晩餐会場となっていた広間よりも遥かに狭い空間に、皆がひしめき合っていた。
一様に手錠がなされている。どうやら魔力封じの印が刻まれているらしく魔術が使えない。オルフとカリアは肘を使ってルークスを揺さぶってくれていたらしい。
額から液体が流れ目に入ったように思い滴った先の牢の床を見たが、それは赤い血液だった。
「魔術が使えなくて治療ができなくて……血はどんどん流れていくし、このまま死んでしまったらどうしようって。目を覚ましてくださって本当に良かったです」
カリアの潤んだ瞳がルークスを見つめていた。恐らくあの地下で頭に攻撃魔術を受けたのだ。母が死んだ時、ミエラの大泣きはしばらく収まらなかった。以来、人に目の前で泣かれるのは苦手だった。
「額を切ると大袈裟に血が出るもんなんだ。見た目ほどは大した傷じゃないよ」
そう慰めながらも、ルークスは再び周りを観察した。
(使者と従者と竜人――野薔薇王とフローダストを除けば全員だ)
様々な種族が揃っているが、捕まってから既に長い時間が経っているのか疲れたような表情を浮かべているのは同じだ。ルークス等が話す声以外には誰も口を開かない。
竜人達の中にクロエの膝を枕にするように体を横たえるレティスの姿を見つけ、ルークスは声をかけた。
「レティスさんご無事ですか!」
未だ顔は青白く、瞼はピタリと閉じられたままだ。
意識のない様子のレティスに変わり答えたのはクロエだった。
「生きてはいるわ。それが救いなのかは分からないけれど」
疑問を口にする前に、彼女は冷めた目をルークスに向ける。
「あたし達、皆処刑されるのよ。あたし達を捕まえた同族がそう言っていたわ。同族殺しが最も重い罪だなんて、聖竜戦争後じゃ古い考えなのかもね」
皮肉めいて彼女は言うが、その声色には隠しきれない恐怖が潜んでいた。
「僕達は待たされていた部屋で捕まえられたんだ。抵抗したら野薔薇王を殺すと言われて。君とレティスさんは一番最後にこの牢に放り込まれてきた」
言いながら、オルフは天井を見上げた。そこに鉄格子で塞がれた丸い穴がぽかりと空いていることにルークスは初めて気がついた。どうやら地下に掘った穴状の牢の中にいるようだった。
「どこに行ってたんだ。レティスさんと一緒だったのか」
オルフの問いかけにルークスは答える。
「城の地下だ。小竜が忍び込んだ先で彼女が怪我をしていた。それに――」
ルークスは見た光景を端的に告げる。折り重ねられるように遺棄されていた死体の山。それらがすべて同じ顔をしていたということ。
「ちょっと待って。それってつまりどういうことよ?」
クロエが険しい顔を浮かべてルークスを睨む。適当抜かしたら引き裂いてやるとでも言いたげな視線だった。
「俺の推論に過ぎませんが、レオンローズはこの城で、ルイ・ベルトールを蘇らせる魔術を作っていて、その実験の失敗作があれらだったんじゃないかと思う。成功したから今回の和平の話が出た。野薔薇王をこの大陸におびき寄せるために」
「なぜ彼を蘇らせる必要があったんだ? 野薔薇王への持て成しにしては手が込みすぎているし、やっぱり必要な罠の一つだということなのか」
オルフの問いにルークスは答えた。
「野薔薇王を意のままに操るためだと俺は思う」
牢にいる者らの視線が一気にルークスに突き刺さる。
「――俺の地元に、地引き網って漁の方法があってさ。船で海中に網をゆっくりゆっくり広げていって、陸でその網を引いて魚を一気に捕獲するんだ。魚たちは気づいた時にはもう手遅れで、後は料理されるのを待つほかない」
「……何の話?」
「竜王は数百年の間、東大陸を狙っていただろう。息子の白銀を使っていいところまで行ったが、白銀の娘にそれを阻まれた。だが娘の野薔薇王は、見事東大陸を――言い方は悪いが手に入れることができた。両大陸は、敵対しているとはいえ現状は、結局のところ竜族のものだ。そうして西大陸の竜族は、東大陸をも手中に収めたいという野望を捨てきれてはいなかった」
皆、食い入るようにルークスの言葉を聞いていた。
「当たり前だが正攻法じゃ無理だった。野薔薇王は強すぎる。だから竜王の遺志を継いだレオンローズは、戦闘ではなく和平という形で、野薔薇王からの移譲させて手に入れようとしているんじゃないのか。野薔薇王に、東大陸の支配の放棄を宣言させるつもりだ。そうすれば竜族の抵抗はさほどなく、レオンローズは東大陸をも統治できる。
だから万全の罠を張り、後は魚がかかるのを待つだけだった。その罠こそが、ルイ・ベルトール。……彼は多分、通常の人と同じように生まれてはいないはずだ」
「呪具――」
ふいにカリアがそう言った。
「大量の人命を捧げ、呪具を作るという古い魔術があります。人命を犠牲にするから当然今は両大陸において禁止されていますけど、呪いの目的を一つに絞れば強大な威力を発揮するはずです……。でも、人自身を呪具にするなんてことができるのでしょうか?」
「できるわ」
と言い切ったのはクロエだった。
「かつてルイ・ベルトールが持っていた魔剣は呪具だった。そこから力を得ていた彼自身も、広義では呪具と言えるはずよ。だからできるできないで言うのなら、できる」
かつてのルイが竜族を駆逐するためだけに自ら呪いとなったように、今のルイはフィオナを支配するためだけの呪いとして存在している。
遅れて実感したのか、クロエがわなわなと震えた。
「じゃあ、レオンローズはルイ・ベルトールに似せた呪具を作ったということ? 死体蹴りもいいところだわ!」
「だとすると、僕達は両大陸の和平を阻もうとした反乱分子として処刑されるってことか。その後で野薔薇王が東大陸の放棄を宣言すれば、もうレオンローズを止める人は誰もいない」
嘆くようにオルフが言った。
「いつか僕等のことは歴史になるんだ。後世の人々は歴史書のたった一文の中に浪漫を見つけるんだよ。東大陸の使者団が西大陸に派遣されたが反乱を起こし、その後制圧されたってさ」
大切なものをまた失う。与えては奪い取る残酷な女神は、人の運命を弄ぶのが大層好きなのだろう。きっとまたしても大勢死ぬ。大勢大勢死んでいく。
だが今度こそ奪わせてなるものか――無意識にルークスはそう思った。
「権力者の割りを食うのはいつも弱者だ。王が始めた戦争なのに、最後は民が死ぬ。悲惨に、ゴミ屑みたいに。俺はそれを止めたくて戦い続けてきたのに――」
知らずにそう口走っていた。
「戦争経験者なの? それは知らなかったわ」
目を丸くするクロエに、眉を顰めたのは当のルークスの方だった。
「いや――……」
ルークスは額に汗をかいた。一体何を言ったのだろう。
戦争はおろか、人を殺したことさえないというのに。腹の底に熱が生じている。思い出せない何かが、腹を割いて肉体の中から生まれ出るような薄気味悪さを感じた。
牢の中に重苦しい沈黙が漂う中、か細い声を聞こえた。
「わたしのせい……」
見るとレティスが薄目を開いてぼんやりとした表情で天井を見ていた。
「わたし……リーデル様と恋人なの」
リーデル、というのはレオンローズの側近のはずだ。赤毛の男をルークスは思い浮かべた。
クロエの鋭い声が飛ぶ。
「恋人だったってことでしょ? レティスは情報を得るために利用されていたのよ」
レティスの瞳から涙が流れた。哀れだとは思うが失恋の感傷に浸らせる暇も慰めるほどの暇もなかった。ほどんど確信している問いをルークスはする。
「彼からなにかをするように言われましたか」
消え入りそうな声でレティスは答える。
「お茶をもらったわ……西大陸でしか採れない貴重な茶葉だから、野薔薇様にどうぞって――」
ルークスは言った。
「きっとそれに何かが混ざっていたんだ。オルフは野薔薇王からヒト族の匂いを強く感じた。つまり竜の匂いがしなかった。
恐ろしいことだが、彼女は今、竜の姿になれないんじゃないのか。貴方がたが最後に野薔薇王が竜になったのを目撃したのはいつのことです」
ルークスの疑問に、竜人達は顔を見合わせた。皆、すぐに答えることはできないのだ。
「封竜薬っていう、あたし達にとっての毒がある。それを味がわからなくなるくらい少しずつお茶として飲ませていたのなら……。知らない内に、毒が野薔薇様の中に溜まっていたのなら……! 竜になれない野薔薇様は戦っても負けてしまう。今、すでに殺されているのかも!」
愕然とした表情でクロエが言い、皆に恐怖が広がっていった。レティスがひときわ大きく泣き出したのを皮切りに、竜人の間に涙が広がっていく。
だがルークスは彼等を一喝した。
「泣いてる場合じゃないだろう! 自己嫌悪なら後でいくらでもできる。絶望するな、それは本当に最後でいい。まだできることがある。涙を流す暇があったらここからの最善を考えろ!」
嗚咽が止む。皆ルークスの言葉に、耳を傾けているように見えた。
「絶体絶命って感じだが、俺は妹が待っているから帰らなきゃならない。ここにいる皆だってそうだろ。家で帰りを待ってる奴のことを思い浮かべろ。手柄を上げて帰るんだろう? 諦めてはだめだ。諦めは容易く死に繋がる。
レオンローズは野薔薇王の精神を手に入れたいから、わざわざこんな回りくどいことをしたんだ。だとしたらまだ彼女は生きている。生きているのなら、助け出せるということだ」
そのはずだ、と自分自身にも言い聞かせながら、ルークスは牢の面々の顔を一人一人見渡した。
ほとんどは平和な時代しか知らない者達だが、奮い立ち、戦わなくてはならない。
迷うことなくルークスは言った。
「ここにいる皆でレオンローズを殺しに行くぞ。俺達の野薔薇王を救わなくては」
「……でも、どうやって?」
皆の疑問を代弁するかのように言うオルフに向かって、ルークスは笑いかけた。
「俺に考えがある。聞いてくれ」
持ち物を奪われなかったのは幸いだ。ルークスが何を持っていようが簡単に殺すことができるという竜族の傲慢と慢心が、身を助けてくれる。
(俺は諦めが悪い男なんだよ)
ルークスが自らの作戦を話す間中、皆の顔に広がったのは困惑だった。
だが不思議なことに、ルークスの心は高揚していた。頭の中に懐かしい声が響く。
では、今再び争乱の中に舞い戻ろうじゃないか――。




