ようやく気づきましたか
――あまりにも我等はみじめだ。出会って以来お側に仕えていた。彼女の心を支えていた。にも関わらず、あの方が生きる希望はいつか訪れる死だけだった。
報われない。誰も彼も。
いくら長く生きてきたとは言え、こんな夜はフローダストとて感傷的になる。
ルークスに言ったとおり、フローダストはフィオナの部屋の前で寝ずに見張ることにした。厳重に隠した魔術を扉にかけそのすぐ前に直立不動でいながら、主君の言葉を聞く罪悪感に耐え、部屋の中の会話を盗み聞いた。もしあの「ルイ・ベルトールの生まれ変わり」がフィオナに危害を加えるのならば、扉を破り殺すつもりだった。
睦言でも何でも聞く覚悟であったが、今のところ聞こえてくるのは後悔の念と思慕の情だけである。ルイの言葉は少なく、フィオナの口数は多かった。
(野薔薇様は死だけを望み、望みながらも生き続けた。我等では何の支えにもならなかったのだ)
東大陸の竜族の誰もが彼女を慕っていた。彼女もそれに応えてくれていたが、真に心を救うことはできなかった。
だがそれも仕方のないことだ、とフローダストは思う。十六歳まで、フィオナは白銀により塔の中に閉じ込められていた。それを救い出したのが他ならぬルイ・ベルトールだった。彼により彼女は世界の美しさを鮮やかを知り、同時に喪失と残酷さを知った。彼こそが彼女が世界を知る足がかりであり、世界の全てだった。
(それは恐らくルイ・ベルトールにとっても――)
彼が自身を取り戻し、愛に殉じたのは彼女と出会ったからだ。彼女と出会って彼は人に戻れた。通常の番が得るもの以上の絆が、あの二人の間に生じてしまった。だからこそ誰も割って入ることができなかった。この三百年間は。だが。
先程ルークスは、フィオナをひどく怒らせていた。
(野薔薇様があそこまで感情を露わにしたのは実に久しぶりのことだ)
たとえ怒りではあったとしても、彼女の心を動かしたことに、フローダストは焦りの一方で喜びを覚えていた。
(誰も踏み込めないあの方の心に土足で入り込んだ初めての者だ。あいつならば、あるいはあの方を救い出せるのかも知れないと――そんな風に考えてしまった)
だがそれも淡い期待に過ぎなかった。
ルイ・ベルトールは蘇った。それを喜ばしく思うべきだ。にも関わらず心の中に苦々しさが広がるのは、過去の因縁によるものか、あるいは必死に支え続けた野薔薇王の心を簡単に救われてしまった嫉妬故か。
(いずれにせよつまらぬ感情だ。捨てなくては)
と、妙に部屋の中が静かになったことに気がついた。フローダストの心がざわつく。
中にいるのは恋人同士だ、言葉を終え、静かになることもあるだろう。今扉を開いて自分が外にいたと知られては信頼関係にひびが入りかねない。ただでさえ、西大陸に来てからフローダストとフィオナの間には奇妙な距離ができてしまっているのだから。
だがもしも、危機が迫っているのなら?
今まさに彼女があのルイ・ベルトールに危害を加えられているとしたら。
勘違いで自分が叱られることくらい大したことではない。
「野薔薇様、入ります!」
返事を待たずにフローダストは扉を勢いよく開いた。
目に飛び込んできたのはフィオナとルイが、長椅子に横並びに腰掛け口づけをしている光景だ。覚悟していたこととは言え、フローダストの血の気が引く。
内心の焦りを必死に隠しながら取り繕った。
「……勘違いだったようです。失礼しました」
フィオナはルイから顔を離し、夢見心地のような表情をこちらに向けた。その表情に違和感を覚える。明確には言えないが、平素の彼女とは明らかに異なっている。言うなれば心ここにあらず、魂のない人形のようだ。
彼女の唇が開かれ、言葉が発せられようとしたまさにその瞬間に、フローダストの背後から声がした。
「いえ、ちょうど良かったですよ」
背後の気配に少しも気づかなかったフローダストは、ぎょっとして振り返る。開かれた扉から入って来ていたのは、レオンローズとその側近であるリーデルだ。
彼等が突然この部屋を訪れたのも妙ではあるが、フローダストが殊更おかしさを感じたのはリーデルの匂いだ。知った娘の匂いがした。
「リーデル。貴様からなぜレティスの匂いがする」
フィオナの侍女のレティスの匂いがリーデルの体から漂っていた。匂いを消そうと湯にでも入ったようではあるが、それが一層不可解さを強めていた。
リーデルは結った赤毛に触れると、神経質そうに目を細める。
「人の私的な関係にまで口を挟むおつもりか? 私と彼女はしばらく前からの知り合いだ。貴殿にとやかく言われる筋合いもあるまい」
と言うと、彼はフローダストの脇を抜けフィオナの体に触れようとする。
「貴様誰の許可があって……!」
フローダストは激昂しリーデルに掴みかかろうとしたが、背後からあっけなくレオンローズに手を取られ、怪力で床へとねじ伏せられる。
彼から発せられる重圧に、フローダストは本能的に隷属を感じた。体格で言えば、レオンローズはフローダストより細身で背も低い。にも関わらず、容易く背後を取られている。
フローダストを押さえつけたまま、レオンローズは愉しげに言う。
「クローディアスはバルスロットだけではなく、貴方も殺すべきでした。情に流される男は弱い。情けは容易く裏切りに変わるのだから」
フローダストの全身から汗が吹き出す。
(まさか、いや、あり得るはずがない。祖父は高齢だった。このような――)
だがもはや、思考より先に直感で悟る。背後にいるこの少年は、少年などではないということを。
「ああ、ようやく気づきましたかフローダスト」
レオンローズが笑った気配がした。フローダストは動くことができない。この感覚を知っている。
「私の子は出来が悪かった。その子の子となればなおさら――搾りカスのようなものだ。だから私は、自らを生まれ直すことにしました」
「貴方は……」
フローダストは、かつての祖父の姿を思い出した。線が細く、色白で、美しい金色の髪をしていた。物腰は柔らかで、しかしその瞳の奥から愛情を感じたことなど一度もない。
それはまさしく、このレオンローズの印象と寸分違わない。
あり得ない。だがあり得たとしたら。
あり得たとして、あり得たという前提で考えてみたら。
竜王は高齢だった。自らの死期を悟るほどに。だが準備をする期間はあった。元より寿命の長い竜族だ。外見が老いてから死まで数十年ほどは猶予があったはずだ。
信じられない思いでフローダストは言った。
「――貴方は、息子などではなく竜王そのものなのか」
自らの肉体を造り上げ、魂を移し替える。
もしもそのような魔術を生み出していたとしたら、自身の死は彼にとって完璧に計算されて行われたはずだ。
いや、もしもではない。レオンローズが今この場にいる以上、それは確実に完成している。万全の体制を整えて、フィオナをこの場に招待したのだ。罠。やはり、罠だった。
くすくすと、笑う声がする。
「気づくのが少し遅かったことを除けば上出来です。貴方はバルスロットの元ではなく、私の側にいるべきでしたね。そうだとしたらもう少しましな存在になれたでしょうに、実に残念だ」
あまりの衝撃にフローダストの体から力が抜ける。それを察知したレオンローズも、彼の上から体を離した。
かつてメリア連邦国が魔剣鋳造の際に犠牲としたのは千人だった。白銀王を殺す際にルイベルトールが魔術に捧げた人数も千人だった。
人智を超えた強大な魔術を生み出すには、それだけの犠牲が伴わなくてはならない。
(どれほどの禁忌が犯されて、どれほどの命が失われたのだ)
背筋が冷える思いがした。メリア連邦国にもルイ・ベルトールにも、大陸解放という彼等なりの大義があった。犠牲となった者もまた、死を厭わずに身を捧げた。それが正しいかそうでないかはあるにせよ、彼等はそれを正義であると心の底から信じていた。
だが祖父は自らの欲のためだけにその魔術を実行した。
何よりも受け入れがたいのは、そんな悪魔と己の血が繋がっているということだった。
「そう驚かないで。我等の歴史からすれば些細なことですよ」
レオンローズは再びフローダストの隣にかがみ込むと、慈悲深いとも取れる微笑を浮かべて背をさすった。
「ではフローダスト、ここで自害なさい」
目先の床に剣が放られる。剣はカラカラと音を立てながらフローダストの目の前に転がった。
「貴方が死ねば貴方の番には危害を加えないとお約束しましょう」
既に形勢は絶対的に不利である。
生まれた時からこの世の全てを思い通りにしてきた男だ。レオンローズは東大陸を我が物とするつもりなのだろう。
フローダストは剣を凝視し、それからフィオナを見つめた。フィオナは虚ろな瞳をしたまま、だらりと四肢を椅子に投げ出している。その肩に、リーデルが触れていた。
彼女は普通の状態ではない。だが死んでいないことを見るに、生かす意味があるということだ。
(活路はあるか――。いや、既に)
既にそのような状況ではなかった。少なくとも彼女は生きている。それだけでいい。
フローダストは絶望の中で言葉を絞り出した。
「……連れてきた使者等と、天空城の他の者にも手を出さないとお約束いただけますか。私の命と引き換えに、犠牲を出さずに東大陸を手に入れると、約束してくださいますか」
「ええ、いいですよ」
軽い頼まれごとをしたかのような返事をレオンローズはする。
これが今生で見る最後の景色になろうとは、思いも寄らなかった。きっと私は歴史上に名を残す愚者として語り継がれるだろうな――。フローダストはそんなことを考えて、剣を手に取り首に当てる。
レオンローズはその様子を満足そうに見つめた後、フィオナに向き直ると両手を広げた。
「さあ、両大陸の和平を結びましょう!」




