たった一人の愛しい人
永遠にこの時が続けばいい。
ルイの体を抱きしめながら、フィオナはそう思っていた。見上げると微笑みが落ちてくる。
これこそが求めていた幸福だ。
部屋からレオンローズがいなくなり、フィオナとルイだけが残されていることに、暫くの後に気がついた。
「あ……ルイ様。わたしったら、ごめんなさい」
我に返り、無我夢中で抱きしめていたことを恥じた。だが彼を前にして言葉が上手くでてこない。
「あの、お体は大丈夫なのですか? 病んでいるのだと聞きました」
ああもっと話したいことが山程あるのに、この口はなんと役立たずなのだろう。
「ああ、問題ないよ」
すぐに返ってきた言葉に、フィオナは自分でも気づかぬうちに笑っていた。同時に思い切り泣きたいような気にもなる。だがやはり喜びが勝った。
記憶の中と寸分変わらない彼の声と態度だったからだ。彼は言う。
「長く起きていると倒れてしまう。前世の記憶を取り戻した際に起こった衝撃が作用しているのではないかと医師は言うけどね、彼等もよく分かってはいないようだ。他に問題もないし、前世よりも健康なくらいだよ」
そう言ってルイはぎこちなく笑った。この世に蘇ったことに、彼自身がまだ慣れていないように見える。
喜びと戸惑いを隠しながらフィオナは彼の手を握った。
「座ってお話しましょう?」
彼は頷き返してくれた。それだけで、フィオナの心は充分すぎるほど満たされる。
先程まで一人で腰掛けていた長椅子に隣り合って座る。フィオナはまだ両手で彼の両手を包んでいた。彼の青い目を覗き込む。失ってしまった彼の全てが、今この場に存在していた。
「今まで、どこにいたのですか?」
声がかすれる。ルイは静かに答える。
「それが私もよくわからないんだ。目が覚めたらここにいた。自分が何者かを思い出したのはごく最近で――三百年経っていると知り驚いたが、貴女にずっと会いたかった」
彼の話す一言一句に心が震える。か細い声でフィオナは言った。
「この城で酷い目に遭っていませんか」
「大層よくしてもらっているよ」
ルイはまた微笑み、フィオナの心はまた揺れた。
(違う――こんなことを話したいんじゃない)
握る手に力がこもる。
「わたし、わたしは……」
フィオナの言葉を待つように、ルイの瞳が見つめている。
「わたしはずっと、他の方法が無かったのかと考えていました。貴方が死なずに済んだ方法が本当に無かったのかと、ずっと、ずっと――。ずっと考えて、あったはずだと思って。わたしがちゃんと、やっていたら……」
ルイだけではない。かつて得た友人達が、あれほど無惨に死なずに済んだ方法が、きっとあったのだ。フィオナが戦えば良かった。迷わずに戦わなくてはならなかった。
ルイの手がフィオナの頬に流れた涙を拭った。彼を失って以来、ずっと空いたままだった穴が今ようやくゆっくりと埋まり始める。フィオナはルイを見つめ返し、情けない笑みを浮かべた。こんな姿、家臣や異国の者には見せられない。だが構わなかった。ここには二人しかいないのだから。
自己の心を軽くするためだけの懺悔の言葉だ。言ったそばから反吐が出そうだった。
「いいんだフィオナ。もう、いいんだ。私はこうして戻ってきた。もうこれ以上、苦しまなくていい」
何も持たずに生まれてきて、そうして今も持っていない。そんなフィオナが唯一得たものがルイだった。彼は失われてしまったが、またこうして現れてくれた。それだけで、一生分の幸福を得たように思う。これ以上はもう苦しまない。これ以上はもう何も望まない。
「ルイ様、また抱きしめてもいいでしょうか?」
フィオナが両手を広げると、ルイはそれを包むように抱きしめた。
彼の心臓の音が聞こえる。
(温かい――)
生きている。彼は間違いなく生きているのだ。心臓が鼓動し血が流れている。彼の両目は景色を見るし、彼の両耳は音を拾う。
別れの言葉さえ交わさずに遺体すら回収できなかった彼が今ここにいる。
彼の腕の中で、フィオナはすすり泣いた。
「カリムを覚えていますか?」
返事は無かったが、フィオナは続けた。
「あの谷の集落で二人で暮らすことを、何度も夢に見ました。わたし達は夫婦になって、可愛い子どもが何人もできて、日々の糧を森から得て、愛し合いながら生きるんです。そうして一緒に老いて、同じ日の同じ時間に死んで、同じお墓に寄り添って入るんです」
幸福で幸福で幸福で、あり得るはずのない夢だった。
「わたし、頑張りました。すごく頑張ったんです。わたし――わたし、ちゃんとできたのでしょうか。死なずに済む人が死なずに済む世界を、ちゃんと作れていますか?」
答えはなかった。ただルイの息遣いだけをフィオナは感じていた。
「……きっと女神様がくださった奇跡なのでしょうね」
肯定するかのように、ルイの手に力が込められた。耐えきれず、フィオナは嗚咽を漏らした。
「明けない夜はないのだと、降り止まない雨はないのだと、そんな慰めをいくら言われても、心の空白は埋まりませんでした。だけどわたしは生き続けました。生き続けることが、貴方がいた証だから。――でも、ルイ様は戻ってきました。もう、何もいりません。ずっと貴方を待っていました。これからは永遠に一緒にいられますか?」
「ああ――。永遠に、一緒だ」
ルイの吐息がフィオナの頬にかかる。気付いた時には唇を重ねられていた。長い長いキスをした。
フィオナはルイにすがりつく。二人は一人であるかのように、そうして抱きしめ合っていた。




