ルイ・ベルトールという男
会話を聞いていた気まずさと聞かれてしまった気まずさが部屋に蔓延っていた。「結婚しよう」というルークスの言葉を受けた野薔薇王は鋭い眼光を投げて寄越した。
「貴方はわたしを愛しているとでも言うんですか」
愛の告白とは程遠い空気が二人に流れる中、喧嘩に挑むようにルークスは答える。
「ああ」
「嘘ばっかり」
確かに嘘だ。出会ったばかりでよく知らない少女――少女ではなかったが――に深い愛情を抱けるはずがない。だが気になるのは確かだ。彼女が淋しげな表情を浮かべる度に、ルークスは自分が傷ついたかのような気分になった。
「まあな。愛しているとまでは言えないが、笑っていてほしいと思う。死んだ奴を何百年も想って生きるなんて地獄みたいだろ」
だが野薔薇王の心には届かなかったようだ。彼女は視線を床に向けると静かに言った。
「愛おしい、幸福な地獄です」
またこの顔だ、とルークスは思う。他人を拒絶し自分の殻に閉じこもっている。無性に腹が立つ。
「そいつは貴女にそうはなってほしくなかったんじゃないのか」
「貴方に何が分かるのですか!」
野薔薇王は顔を上げた。その目には微かに涙が滲んでいる。怒っているように見えた。
ルークスはルイ・ベルトールを知らない。名と功績は知っているが、どんな男だったのかなど知る由もない。だから全ては推測と、そうして自分の物差しでしかなかった。
「さあね。俺だったらそう思うから」
「貴方はルイ様ではありません」
「ああ俺はルイ様じゃない」
部屋の熱はにわかに高まっていく。野薔薇王は顔を歪めた。
「何も知らないくせに、勝手にルイ様を語らないでください! 貴方は命を懸けて誰かを愛し抜いたことがあるのですか!?」
「ねえよ! あいにく平和な時代に生まれたんでね、あんたのおかげでさ」
野薔薇様の体が震えた。彼女は自らの髪からなにかを引きちぎり、ルークスに向かって投げた。
「こんなものいりません!」
慌ててルークスはそれを片手で受け取った。野薔薇を模した金細工の髪飾りが、手の中に収まっている。
今の今まで、彼女がこれを付けてくれていたことに、ルークスはたった今気がついた。フィオナが野薔薇王だと知ってからの数時間、まともに彼女の姿を見ていなかったのだ。
「これはフィオナに――君に――貴女に、あげたんだ」
「わたしには必要ないものです。貴方から受け取った全ての言葉と共にお返しします」
頑なな態度でフィオナは言う。ルークスは傷ついていた。だがそれを自覚する前に力に変わる質の男でもあった。
「めんどくせえ女!」
髪飾りを掴んだままそう言うと、野薔薇王は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ルイ様はぜっったいにそんなことおっしゃいませんでした!」
「言わなかったかもしれないが、思っていたかもしれないぜ」
「出ていってください……!」
野薔薇王は怒りを隠さずにそう言った。
「出ていってください! もう顔も見たくありません! フローダストさんも、お二人とも、この部屋から出ていって――!」
「お取り込み中大変申し訳ありませんが」
突然言葉をかけられて一同はぎょっとして声がした部屋の扉の方を見た。
見るとレオンローズが三人の方を見て微笑んでいる。達観したようないけ好かない笑みだとルークスは思う。物腰は柔らかだが、その奥には凍てつくような悪意が潜んでいるような気がしてならない。
レオンローズはフィオナに向けて言った。
「ルイ・ベルトールの治療が終わったので連れて来ました」
言った彼の後ろから、その男が出てくる。ルークスは初めてその男を真正面から見た。
高価そうな服を着ている。それは恐らく野薔薇王に引き合わせるために誂えられたものだろう。
精悍な顔の男だ。髪は黒く、目は青い。スラリとした長身は、軍人というより役者の方が似合いそうだ。野薔薇王でなくとも、女にモテそうな外見をしている。それが更におもしろくなかった。
野薔薇王は笑うような泣くような、なんともいえない表情をした。彼女の瞳には、もうその男しか映っていない。
「あっ……あ、ルイさま……」
彼女はルークスのこともフローダストのことも忘れてしまったようにルイ・ベルトールに引き寄せられ、そのまま抱きしめる。
彼も応じるように彼女を抱きしめ返した。
話に聞く印象とは随分異なるように思えた。ルイ・ベルトールは切れ者で誰も敵わぬほど強く、聡明で偉大な人物――後世の装飾はあるだろうが、概ねそのような男として語られる。だがここにいるあの男の目は虚ろに見えた。木偶の坊が立っているだけのようだ。今世の記憶がないそうだが、ぼうっとした印象はそこに起因するのだろうか。
(こんな男のどこがいいんだ……?)
ルークスは顔を引き攣らせたが、ほどなくして部屋を追われたためルイ・ベルトールを更に観察する時間は持てなかった。
「くそ、なんなんだあの態度!」
フローダストに与えられた部屋に一緒に入ったルークスは二人きりになった途端、そう言って壁を叩いた。フローダストはため息と共に言う。
「よさないか。壁に当たった所で何になる」
「ごめん」
言いながら今度は自分の頭を叩いた。
「だけど王だからって偉そうなこと言って。さすがはなんでも手に入れてきたやつだ、傲慢がすぎるだろ」
ルークスは憤慨していた。平素なら、誰に何を言われてもさほどは気にならないが、今はどういうわけか気が収まらない。フローダストは椅子に座りながらルークスを諌めるように言った。
「あの方は何も持たずに生まれてきて、そうして今も何も持ってはいない」
「嘘こけ。王だぞ」
フローダストは首を横に振る。
「あの方はそういうお方なのだ。持っているものは全て他人に分け与えてしまう。だから我等は支えているのだ。あの方がもう二度と、何も奪われないように」
実の父親よりも信頼しているフローダストにそう言われては、ルークスはそれ以上、野薔薇王について何かを言う気になれなかった。
代わりに別の人間のことを考えた。
「なあフローダスト。お前ルイ・ベルトールが憎いか? 野薔薇王の心が囚われ続けているから」
「いいや、憎いとは思わない。彼があの方を生かしているのだ」
彼を目にした野薔薇王は、他のことが抜け落ちてしまったかのように思える。支え続けた忠臣達のことなどまるで目に入ってはいない。そんな彼女の態度がルークスにとっては身勝手に思えたし、原因であるルイ・ベルトールにさぞ腹を立てているだろうと思ったが、フローダストは否定した。それが意外に思えた。
「友人だったのか?」
問いかけにフローダストは首を横に振った。
「彼は私の仲間を多く殺したし、私も彼の仲間を殺した。友人になどなれるはずがなかった」
だが、と彼は付け加える。
「……最後には分かり合えたと思っている。野薔薇様を生かすという天で、私と彼の利害は一致していた」
「どんな奴だったんだ」
すぐに答えが返ってくるものと思っていた。だが沈黙があり、フローダストは考え込むように視線を下げた。静寂の後に、答えがあった。
「――岩漿のように熱く、氷河のように冷ややかだった。彼の魂は絶望の底にいたのにも関わらず、皆には光を見せ続けていた」
フローダストは顔を上げ、ルークスを凝視する。だがその目線はルークスを通して別の誰かを見ているかのように遠い。
「彼が死ねと言えば、皆が喜んで命を捨てた。それなのに、彼自身は決して悪人ではなかった。普通の者のように人を愛しながら、だがそれが正しいと思ったのなら、普通ならざる決断を迷うことなくできる。だからこそ本当に恐ろしい男だった」
フローダストが誰かを恐ろしいと評するのは出会ってから初めてのことだ。本心から言っているようだった。
「彼の仲間も、目的のためなら命など迷うことなく投げ出せる、そんな者達だった。皆、若くして呆気なく死んだ。……正直に言うが、私は彼等が心の底から羨ましかったんだ」
「なんでだ」
「信じる正義のために生きて死ぬ。それこそが魂の本懐だと、今でも思っているからだ。彼等はそれを体現していた。だからこそ眩しかったし、それを認める前はひどく腹立たしかった」
聖竜戦争前のことを、フローダストはルークスにもミエラにもあまり語らない。だが彼が父親に従い、数多の国を滅ぼし大勢の命を奪ったことを悔いていることは、言葉の端々から感じ取っていた。
「番だからというわけではない。あの男と野薔薇様はとりわけ強い絆で結ばれていた。番だから運命があったわけではない。運命があの二人を選び取ったのだと、今ではそう思う。
敵味方が入り混じり思惑が交差した争乱の中で、あの二人の間に生じた絆だけはひたすらに純粋なものだった」
フローダストはなおもルークスを凝視しながら言った。
「彼は野薔薇様を生かそうと考えていた。生かすというのは、単に命があるということではない。その心と魂を解放し、あの方が何の憂いも持たずに幸福だけを受け取りながら、生きていけるようにしてやりたかったのだと思う。
だからこそ竜ではなく人の手で、白銀王を殺さなくてはならなかった。憎しみの連鎖の外に、野薔薇様を置きたかったのだ。野薔薇様だけではない。我々をも……――憎しみに囚われた者を過去の因縁から解放した。そうして自身は全ての咎を負って英雄として死んだ。……それがルイ・ベルトールという男だった」
命を懸ける愛なんて無理だとルークスは思った。確かに野薔薇王の言う通りだ。ルークスは彼とは程遠い。
ルークスは己の命を大切なものだと考えていた。貧困の中にあっても必死に生き抜いてきた。死にたいと思ったことは一度もない。誰かを守るために自分の命は捨てられない。
力なくルークスは言った。
「……俺はルイ・ベルトールにはなれない」
フローダストは即座に答える。
「ならなくていい。なる必要はない。二度とあのような者達を出さないように、我々は戦ったのだから」
過去の決意をルークスは知らない。熾烈な戦いも、憎悪と怨嗟の連鎖も知らない。なぜなら彼等が築き上げた平和の上に生きているからだ。
「お前が番である可能性を、私も言うべきではなかったのだ。そもそも番というもの自体が誤っている考え方なのかもしれない。思い込みが激しい種族が好みの異性を見つけた際の誤認であると言う者もいるくらいだからな」
彼自身はそうは思っていないだろうから、これはルークスを励ますためだけの言葉だ。
「野薔薇様のおっしゃるとおり、あれは間違いなくルイ・ベルトールだった。だからお前が番だという預言は、やはり間違っていたのだろう」
「……そうか。じゃあ、俺がただ好きになっただけだったのか」
そこまで言われては認めるしかない。単に彼女が素敵だから惹かれたのだと。
「分かったよ」フローダストというよりは、自分を納得させるためにそう言った。
「番だの言われて、舞い上がってたみたいだ。俺は予定通り使者兼護衛としてここにいる。時間取らせて悪かったな」
様々な感情を抜きにしても、野薔薇王を敬愛していた。役に立ちたいのは本心だ。
これ以上、忙しいフローダストの時間を邪魔するわけにもいかないとルークスは広間に戻ることにした。
ふいにフローダストが言った。
「気をつけろよルークス。西大陸は我等にとって敵地だ。何が起こるか分からない」
「お前こそなフローダスト」
目を丸くするフローダストに向かってルークスは軽い調子で笑いかけた。
「お前って案外、情に流される性格だから」
「生意気を」
平素通りのやりとりで、言葉とは裏腹にフローダストに怒りはない。
「ミエラがいる限り、私はどんなに無様でも生き延びる。彼女こそが私の希望だ」
あまりにも真っ直ぐな純情に面食らったのはルークスの方だ。一瞬の沈黙をなんだと思ったのか、フローダストは小さく笑う。
「お前は馬鹿だと思うかもしれないがな」
「いや、馬鹿だとは思わない」
思い出したのは、遠い昔のことだった。
「俺さ、本当はもう一人、妹か弟がいるんだ。母さんが死んだ時、一緒に腹の中で死んでいて、生まれてくることは叶わなかった小さい命があった」
母の死を確認しにきた医者がそのことに気がついたのだ。
「俺もそうだよ。寂しがりのミエラと、俺達を必死に生かそうとしてくれた母さんと、生まれてきたかっただろう赤ん坊を思えば、死んでたまるかって、いつも思ってる。そういう奴らが俺を生かしてくれるんだ」
ふいにルークスは気付いた。
(……そうか。それは野薔薇王と同じか)
ルークスの言葉を聞いたフローダストは微笑んだ。
「私は野薔薇様をお守りする。部屋の前で見張ることにするから、お前は心配せず休め」




