彼がここにいる理由
話は少し前に遡る。
晩餐の場を追い出されたルークス等は、城の者によってまた別の広間に通されていた。野薔薇王が城にいる限り使者等は他に行く所もない。
必要があれば使者等に部屋を用意するとレオンローズに近しいらしい竜人は告げ、広間を出ていった。
広間は晩餐会場と同様に豪華な家具と絵画で飾られていたが、使者達の誰もそれには目がいかない。ルークスもやはりそうだった。頭をよぎるのは、先程の出来事だ。
(あれは何だったんだ。野薔薇王はルイ様と呼んでいたが、まさか本当に……)
野薔薇王は取り乱していた。ここが敵地であることも踏まえた上で、我を見失うほどの相手が現れたということだ。
ルークスは生まれ変わりなど信じていない。番が生きている限り、もう片割れが再び衣を変えてこの世に蘇る、という伝承は知っていたが、そう思いたい奴が作った都合の良い話だとしか思っていなかった。
「交渉は日没後に行え」
ふいに、ルークスの側にいたオルフがそう呟いた。
「我が家の家訓の一つさ。太陽が見えない時間帯は人の心を鈍感にさせるし、夜の闇は思考を奪うから」
ルークスには彼が何を言いたいのか分かってしまった。
「レオンローズが現れて、そうしてルイ・ベルトールが現れた。その一連の流れが罠だと言いたいのか」
ああ、とオルフは頷いた。その顔は暗い。
「僕は竜族が夜に姿を現したのはそういう理由だと思う。自分たちにとって有利に事を進めるために、わざわざ使者を遅らせてこちらの気を揉ませて、そうして自分たちの陣地に招き入れた」
「罠だとしたら、どんなものだと思う?」
「言いたくないよ。あまりにも恐ろしいから」
王の死、侵略――そんな言葉がルークスの頭に浮かんだ。もしも野薔薇王の命を奪うつもりでいるのなら、当然この場にいる使者等もヘイヴンにいる使者等も同じ運命を辿るのだろう。即ち死だ。
(だがそう単純にことが運ぶのか? 野薔薇王は強い。そうやすやすと命を奪われるとは思えない。歴史に名を残す聖竜戦争の英雄だぞ)
そこまで考えたところで、ルークスは引っかかりを感じた。
「なあオルフ、どうして最初に野薔薇王を見た時に竜人であると気づかなかった? 彼女は確かに半人ではあるが、竜族の血の方が濃くでているはずだろう」
「分からないけど今でもそうだ。彼女から竜の匂いはほとんどしない」
「もしも――」
言いかけた言葉を、しかし最後まで口にできなかったのはカリアが不安そうな目をしたからだ。確証のないことを無責任に言うことはできなかった。
代わりにルークスは脱いだ上着を再び羽織る。
「どこに行くの」
と問うオルフに振り向きざまに答えた。
「ちょっと散歩。じっとしてたら気がおかしくなりそうだ」
「何かあったら叫んでよ。僕の耳が拾うから」
冗談か本気か分からないことを言うオルフに別れを告げ、ルークスは一人で広間の外に出た。
魔術による灯りが並ぶ廊下には、見張りはいない。
(不気味な城だ。自由にしていいということか――それともどこにいようと動きが分かるということか……)
恐らく後者だろうと思いながら長い廊下を進んでいると、どこからかパタパタと人が走る音がした。
何だ何だと思う間にも、音は近づいてくるようである。一つの角に差し掛かった所で、遂にその正体が分かった。角の先でぶつかりかけたのは、野薔薇王の侍女の一人だった。
金色の髪をした彼女は、ルークスを見ると目を丸くした。
「インエット王? 使者はひとまとめにされたと思っていたけど、どうしてここに?」
「考え事をしたかったので、歩いていました。特に止められもしなかったので」
そう、と彼女は頷いた後で意味ありげにルークスを見つめた。
「なにか?」
「……ミエラがいつも楽しそうに貴方の話をしているわ」
「良い話だといいですけど」
「大体は良い話よ」
大体ということはそうでない話もしているのか、と言いたい衝動を堪えてルークスは尋ねる。
「貴女こそなぜここに? 野薔薇王の側にいるものだと思っていました」
「貴方達が追い出された後に、あたし達も追い出されたのよ。別の部屋を用意されていたけど――」そこまで言って彼女は顔を歪めた。
「あの小竜がまた逃げ出したのよ! 遊んでいるつもりなんだわ。本当にわがままな子だわ!」
もう、と彼女は怒りを表すように腕を組んだ。そういえば昼間に小竜を逃がしていたのも彼女だった。ということはルークスが野薔薇王と一緒にいた場面も見られているのだろう。先程の意味ありげな視線はルークスがミエラの兄であるという理由以外のことも含まれていそうだ。
「レティスが……この城に一緒に来たもう一人の侍女なんだけど、気がついたらいないのよ。まったく、だからあたしがあの小賢しい小竜の相手をしなくちゃいけないってわけ。もう、こんな敵地で粗相を起こされたらたまったもんじゃないわ!」
どうやらこの侍女は思ったことをそのまま口にする性格らしい。そういうところは好感が持てた。
「良かったら俺も探しますよ。やることもないし」
そう言うと彼女は顔を輝かせた。
「本当!? それはすごく嬉しいわ! あの小竜ったら、あたしを馬鹿にして全然捕まってくれないんだもの!」
というわけで、二人で小竜を探し始める。「匂いを辿って歩いているはずなのに、姿が見えないのよ。この城には竜の匂いが多すぎるし、混ざっているせいもあるかもしれないけど」と、クロエと名乗った彼女は文句を言いながら鼻をひくつかせる。確かに小竜の姿はまるでなかった。
散々探し、そもそも城の中に小竜はいないかもしれないと思った二人は中庭に出ることにした。
探しながらもルークスの思考はどうしても突如現れた先ほどの男にたどり着いてしまう。意を決し、ルークスは尋ねた。
「ルイ・ベルトールの生まれ変わりだというあの男は、それほどまでに似ているんですか?」
「気になる?」
庭に出る扉に手をかけるルークスを、クロエは横目で見る。観察するかのような目線を、もちろん気になるのだという本心を込めて見つめ返す。クロエはわずかに微笑んだ。
「あたしは彼を少ししか知らないけど、それでも分かる。さっき現れたあの男は、ルイ・ベルトールに似ているというより、彼そのものよ。
あたし、彼が怖かったわ。だって『竜殺し』って呼ばれていたんだもの。言葉なんて通じない、悪魔のような男だと思っていた。でも――彼の仲間の女性は、とても立派な方だった。彼女の死を見て考えが変わったわ。少なくともあたしはね。そんな彼女が敬愛していた彼も、本当は普通の人だったんだと思う。普通の弱さがあって、普通の感情があって、笑ったり、怒ったり、泣いたり、愛したりして。あたしと変わらない、そういう人だったんだと思う――」
昔を思い出すようにクロエは目を細める。
「野薔薇様がああいう状態になってしまったのも、分かる。あの二人を側で見ていたから……。あたし達には触れられない聖域が、あの二人にはあった」
クロエはそう言いながら、手が止まっているルークスに代わり扉を開いた。暗いはずの夜は、城から漏れる灯りに照らされて闇を鈍くさせていた。クロエはルークスに問いかけた。
「ミエラのお兄さん。貴方は野薔薇様がお好き?」
「はい。とても」
即答すると、彼女も頷いた。
「そう。あたしもとても好き。あの方が大好き」
だけど、と彼女は言う。
「なんだかとても嫌な予感がするの。あの方を、共にお守りしてくださる?」
「もちろん。そのためにここに来ました」
そう言うと、クロエは再び笑う。好意がそのまま表れたような、温かい笑顔だとルークスは思う。だが一方で淋しげにも感じる。
先程彼女は「聖域」と言った。どれほど野薔薇王を慕っていても届かない聖域がある。それが王と周囲を隔てているのだ。
(そういうのって、疎外されている側からすると寂しいもんだよな)
などと思った時、視界の隅になにか蠢くものを感じた。城の屋根の上だ。目を遣ると、あの小竜が不格好な形で屋根にしがみついているではないか。今にも落ちそうである。
「あそこだ!」
ルークスが指差すとクロエも気づく。
「ほんとだわ! 馬鹿ね、高いところに登りすぎて降りられなくなっているんだわ!」
竜に表情があるのかは不明だが、少なくとも小竜はひどく情けない表情を浮かべているように見えた。小竜もルークスとミエラに気づいたようで眉――正確に言うと眉はないが、その周辺の筋肉を哀れっぽく下げて助けを求めるようにこちらに訴えかける。
「魔術を使ってしまったら、この城の人に対して敵意があると思われるかしら……。野薔薇様は城で魔術を使うなとおっしゃったのよ。おんなじ理由で、竜にもなるなって……」
クロエは自分より遥かに年上の竜人ではあるが、女性が困っているのを放って置くなというのがルークスの母の教えだった。ほとんど反射的に言う。
「俺が登って捕まえますよ。運動神経はいい方なんで」
だから木に登り、バルコニーを伝って屋根の上まで登った。ルークスを見て喜びに鳴く小竜を腕に抱え、しかし体の均衡を崩し地面に墜落しかける。
だがなんとかバルコニーの一つに捕まり、その中に入り込んだ。
「大丈夫です! クロエさんも中に戻っていいですよ!」
ホッとした表情を浮かべるクロエにそう伝えると、彼女は礼を言い、城の中に戻っていく。だがルークスがバルコニーに隣接する部屋の中に入ろうとしたところで、あろうことか野薔薇王とフローダストがやってきたのをカーテンの隙間から見てしまった。さらに彼等はそのまま話し始めたため、出ていく機会を完全に失ってしまった。
(気がせいているのかは知らないが、次に内緒話をする時はバルコニーに人がいないか見た方がいいと、後でフローダストに伝えてやろう)
どうか自分の存在に気づかないでくれとバルコニーで祈り続けていたルークスだが、自分が野薔薇王の番だと聞いてしまった時ばかりは驚きのあまりのけぞって音を立ててしまった。
フローダストがカーテンを開き、ルークスを見て驚愕に目を見開いた後、声を出さずにこう言った。
「……聞いたのか」
「……聞いちゃった」
フローダストは眉間に皺を寄せ苦渋の表情を浮かべてこうも言う。
「そのままそこにいてくれ」
だが話が進んだ時、堪えきれずに飛び出した――というのがことの顛末だった。




