襲撃
船上は大混乱に陥っていた。竜は集団で人々を襲撃している。体の大きな数体が船の結界を食い破り、その隙間から大量の竜が入り込み炎を吐く。
統制の取れた動きは、やはりどこかに指揮者がいるように思われた。
だがその混乱の中でも、甲板の上で人々に指示を出している者がいた。
「船長が負傷した! 指揮ができない、各自最適な行動を取れ!」
船首に近い場所でルークスがそう叫んでいた。肩まで伸びた髪を後ろにくくり、シャツは血に染まっているものの彼自身に怪我はなさそうだ。負傷者に触れたか返り血を浴びたのだろう。
「奴ら弾薬庫を狙ってる、火が付けば船が吹き飛ぶぞ! 魔術が使える者は弾薬庫を中心に防御魔術を張り直せ! 使えない者は砲弾を撃て! 戦える者は俺に加勢してくれ!」
言いながらルークスは攻撃の魔術を出し、向かってくる竜を倒す。正確で威力の高い魔術は数体の竜の体を貫き海に落とし、その衝撃で海面が大きく揺れた。魔術を使える者達がルークスに続いて魔術を重ねる。だが襲撃者の数は反撃者を遥かに上回る。
竜の狙いはルークスの見立て通り船の下部の弾薬庫にあるようで、しきりにそちらに向かって炎を吐くが、砲弾に阻まれ着火には至らない。そうしている間に防御魔術が間に合い、ひとまずの危機は去ったようだ。
船内奥の移動魔法陣により船を移動したフィオナは、それらをわずかの間に目撃した。
フィオナが使者として指名した各国の代表等は、己の役割を正しく全うしている。優秀な人等だと、フィオナは思った。
(誰も死なせるわけにはいかないわ)
フィオナはルークスの隣に走り寄る。突然隣にやってきた少女を見たルークスはぎょっとしたように目を見開いた。
「おい君! 下がってろよ、危な――」
フィオナは片手を開き――ルークスが言い終わる前には、手のひらを閉じた。魔術を指先から糸のように出し、敵を捉え魔力を流すこの攻撃魔術は父白銀もやっていたことだという。かつて魔術の制御が下手だったフィオナは、今やいとも容易くそれをすることができた。一番最初に得た魔術の師は、フィオナに基礎を教え込むのに随分と苦労していたものだったが。
(こんなに上手く魔術が使えるようになったと知ったら、きっとギルバートさんはびっくりするに違いないわ)
魔術の有効範囲内にいた竜たちはたちまち体がぐちゃりと潰れ、海面に落ちる。海が紅に染まっていく。
古の世では、使役竜も竜人も同じ存在だった。だからこそ現代においてもまとめて竜族と呼んでいた。同族を殺すのは、他の種族を殺すよりも嫌な気になるものだ。恐らく本能が忌避しているのだろう。
だがフィオナは竜達を殺し続けた。フローダストも同様に戦う――苦渋の表情を浮かべてはいたものの――彼は時にフィオナ以上に、顔に出やすい質なのである。
数は多いが強くはない。襲撃者の正体は分からないが、こちらを壊滅させるつもりもないようだ。
(お出迎えのご挨拶ということなのかしら)
……だとしたら舐められたものだ。一匹たりとて生きて返すつもりはなかった。
ルークスはフィオナが相当に強い魔術の使い手だと分かったようで、黙って援護に回る。破られた結界の修復に全力を尽くすことにしたようだ。
竜族の加勢により船は急速に体勢を立て直していく。砲弾は竜の接近を防ぎ、攻撃魔術は敵の数を減らしていく。
だが敵の竜達はこの船で一番厄介なのはフィオナであると判断したらしく、群れを作って襲ってきた。
(やはりどこかに指揮官がいるわ)
使役竜達がここまで統制立って考えることはないのだから。
竜の吐く火炎を防御しながら、もう片方の手で再び攻撃魔術を放つが、数体逃す。その間に目の前に迫ってきた竜に再び攻撃を立て直そうとするが、間に合わない。
(攻撃を受けるしかない――!)
躱せば致命傷には至らないはずだ。そう判断した時には、フィオナはルークスの腕の中にいた。彼はフィオナを抱えると甲板の上を転がるようにして竜の攻撃から逃れる。竜の鋭い爪が彼の背中を裂く。
「ぐあ! 痛え!」
ルークスの生暖かい血がフィオナの顔面にかかり、口に入ったため、ぺっと吐き出した。
フローダストが即座にその竜を殺す。幸いにしてルークスの傷は軽く、皮膚を浅く裂いただけのようだった。治癒は後回しにし、フィオナもルークスの腕の中から攻撃を放った。
他の魔術師達も加勢し、大群は瞬く間に小さくなっていく。
フィオナもルークスを脇にどけると、立ち上がり竜を殺し続けた。最後の一匹を殺す頃には周辺の海は真っ赤に染まり、海底火山が噴火した後の海洋生物さながらに竜の死体が水面に浮かび、血生臭さが漂った。
フィオナの体は震えていた。恐怖ではなく、久々の戦闘による興奮によるものだった。甲板に座りながら援護をし続けていたルークスは、戦闘の終わりを確認すると、盛大なため息を吐く。
フィオナが目を遣ると彼もこちらを見ていて、小さく笑った。
「……初日以来ずっと探してたんだ、また会えて嬉しいよ。それにしても君、まじに強いな」
疲れたような表情だが、精神的に参っている様子はない。フィオナは彼に治癒の魔術を放つ。「ありがとう」という彼に対して、腹の底に怒りが生じ叱りつけた。
「死んだらどうするつもりだったんですか! 致命傷を負えば、治癒の魔術は意味ないんですよ!」
自分の命を軽々と他人のために使う者のことをフィオナはとても嫌いだった。叱られたルークスは驚いたような表情を浮かべたものの、小さく肩をすくめてみせる。
「でも死んでない」
そのあっけらかんとした姿に、フィオナの怒りは少し収まる。代わりに居心地の悪さを覚えた。
「守らなくても良かったんです……わたしは頑丈ですから、傷を負ったとしても大丈夫でした」
「でも怪我したら痛いじゃん」
なんてことのないように彼はそう言ったため、フィオナは閉口してしまう。自分は竜族の王なのだと、この場で告白してしまおうか――そう考えた時、ルークスが口を開いた。
「なあ、港に着いたら、俺と一日遊んでくれねえ?」
予期していない言葉に、フィオナは口をぽかんと開けてしまった。
側にいるフローダストは必死に聞こえないふりをしている。たった今激しい戦闘があったというのに、ルークスはもうそれを忘れて女性を遊びに誘うことを考えているなんて――。
(さっぱりとした性格というか、単純というか――)
だが、助けてくれた恩があるし、主人の許しを待つ犬のような目をして見上げられては断るのも忍びなかった。
「……いいですよ」
というとルークスは飛び起きた。
「ほんと!?」
顔は分かりやすいほど綻んでいる。つられてフィオナも思わず微笑んでしまった。
こんな純粋な思いを感じたのはいつぶりだろう――相手の受け答えで一喜一憂するなんて、ルイにひたむきに恋をしていたかつての自分を見ているようだった。
「約束だ。港についたら船を降りて待っててくれ」
ルークスがよっしゃあ、と隠しもせずに喜ぶ中、フローダストが困り果てたような表情を一人浮かべていた。
負傷者はいたものの、死者はおらず、皆に適切な治療が施された。船は修理され航海には問題がない。各船に乗る竜族の数を増やし、守りを強固なものにした。
フィオナは再び主船に戻り、部屋に引きこもってこの度の襲撃について思考を整理していた。
結局、竜を統制していた者の姿はどこにもなかった。遠方より命じていたとするとそれだけの力のある相手ということになる。加えてフィオナの姿を見ても使役竜が怯ることなく向かってきたことを思うと、フィオナと同等かそれ以上の命令者がいる。王の血を継ぐ者は、フィオナとフローダストだけだ。
(竜王に子供はいない。少なくとも正式には――)
西大陸で、得体の知れない者が待ち構えている。姿の見えない敵を感じ、フィオナは唇を噛み締めた。
と、部屋の扉を叩かれた。
「報告に上がってもよろしいでしょうか」
処理を終えたらしいフローダストがやってきたようだ。どうぞ、というと疲れた顔のフローダストが入ってくる。
「遺体を探りましたが、首輪も焼印もない無所属の竜です。ですが相手方の放った竜である可能性があります」
恐らくはそうだろうと予感をしつつもフィオナは言った。
「証拠はないのでしょう?」
「ええ、野生の竜の仕業だとでも言うつもりでしょう」
「面白くなってきましたね」
挨拶代わりに竜の襲撃とは、大した歓迎ではないか。ふいに自分が笑ったことに気がついた。フローダストは奇妙なものを見たかのような表情を浮かべる。
「御冗談を――私は背筋が冷えましたよ。実際、あの船は危うかった。ルークスがすぐに周囲に指示を出さなかったら、死者が出ていたかもしれません」
「彼がいて良かったと思います」
実際、ルークスの貢献は大きかった。彼の声は、不思議とよく通る。
やったことと言えば負傷者を船内に運びこませ、各人の判断で最適なことをしろと叫び、自ら率先して竜を倒したくらい――言ってしまえばそれだけではあるが、それがなければ人々は動けなかったかもしれない。あの場で誰よりも冷静だったのは彼だった。
「……なぜルークスを一団に加えたのです」
再びの問いをフローダストはした。フィオナも以前と同じことを再び答える。
「言いませんでしたか? 若者に経験をさせたほうがいいでしょうから」
それは聞きましたが、とフローダストは言う。
「ただでさえ竜族はインエットに近いと言われております。ミエラが私の番ですから。……若者なら他の国に山ほどいるでしょう、なぜルークスだったのですか」
「わたしは答えましたよ、貴方こそ彼に拘っているのではないのですか」
「またインエットかと、よく思わない国もあります」
「では次はそちらの国にも機会を与えます」
「貴女がルークスを指名したことについて私の考えを述べてもよろしいですか」
「いいえ許しません」
会話の応酬の末、はあ、とフローダストはため息を吐いた。
「ではこれだけ。……ああ見えて純朴な青年です。からかうだけのおつもりならやめていただきたい。彼は傍から見てもはっきり分かるくらい貴女に恋をしています」
フィオナもルークスの態度を思い出した。
「からかうなんてまさか。いつか王同士、会うこともあるかもしれませんし、仲良くしておいてもいいでしょう? 友人としてですよ。これでよろしいですか? フローダストさん、貴方はわたしの私的な友好関係にも口を挟むおつもりですか?」
フローダストは腕を組み、目を閉じて唸った。この三百年間、意見の対立や言い合いを腐る程してきたが、大抵の場合フィオナが勝った。だが少し言い過ぎたかと思い、ルークスを指名したもう一つの理由を口にする。
「貴方ですからお伝えしますが、わたし、今は竜になれないのです」
フローダストは目を開きフィオナに近づき両肩を掴んだ。
「なぜ――! いつからです!?」
「五年ほど前からです。徐々に、変化できなくなりました」
「封竜薬を? だがあり得ない」
「城の医師に診ていただきましたが、封竜薬がわたしの口に入るはずもありませんから精神的なものではないかと言われましたよ」
「なぜわたしに言ってくださらなかったのですか」
動揺を隠さずフローダストは言う。
「誰にも言いたくなかったのです。特に貴方は過度な心配をするでしょう?」
医者以外に、誰もこのことを知らないし、その医者にも状態は治ったと伝えていた。
「心配しますよ、当たり前ではないですか!」
フローダストは怒っているようだった。
「そんな状態なのに、なぜ自らお出向きに――もし西大陸が貴女を害そうとなにかを仕掛けているのだとしたら――」とそこまで言ったところで彼も思い至ったらしい。「まさかそれを確かめるために?」
フィオナは頷いた。
五年前から竜になれなくなったことと、今年になって祖父が死んだこと、そうして今もなお竜になれないこと、極めつけは竜の襲撃により敵の存在を知らしめたこと――それらが全て繋がっているのではないかと思えた。
「ですから周囲を魔力の高い、そうしてわたし達の完全な味方で固めたかったのです。ルークスという青年は貴方の番の兄で、大変優秀な魔術師です。裏切る可能性は無に等しいと思い指名しました」
杞憂ならそれに越したことはない。東大陸では既に失われてしまった竜族の伝統がまだ西大陸には残存しており、それを見に行きたいという望みもないことはなかった。
まだ衝撃を受けているフローダストに向けて、フィオナは小さく笑いかけた。
「彼を指名した理由はこれで納得しましたか?」




