船上の出会い
漁を手伝えば漁師が気前よく分け前をくれたため、小型船なら子供の頃から何度も乗ったことがあった。
だがここまでの大型船に乗った経験はなかった。西大陸へ向かう船は全部で四隻あり、ルークスの乗る船には約三百人が乗っているという。
大国の貴族から順に上等な客室を埋めていったため、部屋数が足りないらしい。ゆえにルークスは乗組員と同じ大部屋に寝泊まりすることにした。眠る設備さえあればどこでも構わなかった。
他国の使者は国を背負って来ているらしく、大仰な見送りがあった。だが船は進み、すぐに四方を水平線に囲まれ、見送りも陸地も見えなくなっていく。
航海は順調に進んでいった。
ルークスは一人、甲板に出て人々を観察していた。船には奇妙な緊張感が漂う。
多種多様な人種が揃っていた。大陸中の種族の代表が揃っていると言っても過言ではない。毛皮のある者、翼のある者、鱗のある者、角のある者――それぞれが忙しなく動いていた。多人種を一つの船に閉じ込め洪水を生き延びたという神話をぼんやりとルークスは思い出す。
と、突然、ルークスの隣に人影が現れ甲板の上から海に向かって盛大に嘔吐した。
見ると黒い毛皮の者が背中を震わせ吐いている。平素であれば立派だろう尾も、哀れに垂れ下がっていた。
身なりからして貴族だろうが、船酔いを前にしては威厳などあったものではない。
「大丈夫? ほら水。吐いた分は飲んだ方がいいぜ」
と水の入った革袋を差し出すと、毛深い獣人は律儀に礼を言い受け取る。
「うっぷ……ありがとう。うっ」
ごくごくと水を飲み、その獣人はようやくルークスに目を向けた。耳も口も巨大であり、開かれた口元からは長い舌と牙が覗く。顔つきに獣の特徴を大いに残した狼族であった。
背を伸ばしていれば巨体だろうが、酔いで背中を丸める姿はルークスよりも小さく見える。彼は力なく板の上に腰を下ろし項垂れた。
「まいったよ、船ってこんなに揺れるものなのか。僕は陸地が恋しい」
毛皮に埋もれて分からないが、きっと顔色は蒼白だろう。
「しけの時なんかもっと揺れる。……数日で慣れるさ」
彼が絶望的な表情を浮かべたため慌ててルークスはそう付け足す。狼族の青年は力なく微笑んだ。
「野薔薇王の使者に指名された時は、爪痕を残してやるぞと思ってたんだが、出鼻を挫かれたよ。だけどさっきよりましだ。助かった。僕の名は――」
青年が名乗ろうとした時、別の者が現れた。
「オルフ様! ここにいらしたんですね!」
甲高い声は少女のものだ。
ルークスがそちらを見ると蹄族の小柄な娘の姿があった。ふわふわとした白い髪は腰まで伸び、頭には角が渦を巻いていた。彼女は狼族の前にかがみ込み、心配そうに背を撫でる。
「……船酔い、大丈夫ですか?」
「カリア……君は大丈夫なのか?」
問われた少女は破顔した。
「はい! あたし、平衡感覚は強い方ですから」
どことなく距離の近い二人だな、とルークスは思う。友人よりももっと――。そう思っていると、狼族の青年がルークスに顔を向けた。
「僕の名はオルフ。マウンバレート国の王子だ。こっちはカリア。婚約者だ」
「狼族と蹄族が恋人?」
思わずそう問いかけてしまった。
自然下では狼は羊を食う。草食獣は本能的に肉食獣を恐れている。
獣人は獣とは異なり理性で動くが、珍しい組み合わせには違いなかった。
「ごめん、他意はない」
すぐに謝罪するが、オルフにもカリアにも気を悪くした様子はなく、見つめ合うと微笑みを交わす。
「珍しいだろ。反対されたけど押し切ってさ」
「羨ましいよ、本当に」
それは本心だ。ルークスに現状婚約者はおらず、最も親しい女性は妹という始末であるのだから。
「俺はインエットのルークス。即位の時にマウンバレートの王からも祝いをもらったよ」
マウンバレート王より送られた高級な絨毯は、応接の間の壁にひとまず飾ってあった。ルークスが名乗るとオルフとカリアは目を丸くし、慌てた様子で立ち上がる。
「……水夫かと思いました。とんだ非礼を」
王と王子であったら、王の方が立場が上だとオルフは思ったらしい。
(いや――というよりも、俺の妹が竜の王族の妻になるからか)
胸に手を当て――恐らくはマウンバレート流のお辞儀をしてみせる彼等に、ルークスの方が焦る。
「かしこまった態度はよしてくれ。俺は数年前に王族になった新入りだし、普通でいいよ普通で。歴史だってそっちの国の方がよほど長いだろ」
言うと二人はようやく頭を上げる。オルフが肩をすくめてみせた。
「統一されたのはほんの二百年前だけどね。ありがとう、僕もこっちの話し方の方がいい」
「以前インエットの美しい港町が描かれた絵画を見たことがあります。いつか旅行してみたいです」
ぜひ、とルークスも応じた。
それからもしばらく甲板で話し込んだ。というのもオルフの船酔いが中々引かなかったからである。
オルフは二十一歳で、カリアは十九歳だという。年が近く、話しも合った。恋人同士はこの旅が終わったら夫婦になるらしい。結婚式にはぜひルークスも来てほしい、と二人が口にするまで打ち解けてしまった。「新婚旅行にはインエットに来いよ。案内するから」と言うと二人は幸せそうに笑った。
王族に入る前は街で時折観光案内をして小銭を稼いでいたルークスにとっては案内など朝飯前だ。幸せな二人を案内するのはさぞ気分がいいだろう。未来を想像して、自然と笑みがこぼれた。
「楽しみだなぁ。僕は結構魚料理も好きで――うっぷ」
オルフが再び吐き気を催し、海に吐く。吐くものがもうないので胃液ばかりがでているようだ。流石に哀れになった。
「あっちの船はこっちほど揺れないらしいから、移動させてもらったらどうだ?」
まだ海面を見つめているオルフに代わって、カリアがひときわ巨大なその船を見た。砲台を大量に積んだ黒船は砦がそのまま移動しているかのようだった。
「魔術船ですね。確かにこっちの蒸気船と比べて揺れないでしょうけど――」
うう、とオルフが呻く。
「野薔薇王がいらっしゃるんだろ、僕は緊張して眠れなさそうだ。こっちの船で十分。こっちも半分は魔術が使われてるって話だし、君の言う通り揺れにもそのうち慣れるよ」
一国の王子といえど、気の弱い一面もあるようだ。ルークスは巨船を見る。
この一団の緊張感はそこにある。あんな至近距離に野薔薇王がいるのだ。フローダストを含む側近たちも、あの船に乗っているはずだった。
そうしていると、ふいに視線を感じた気がした。
「ん……?」
気のせいではなかった。船首に近い甲板に、一人の少女がこちらを見つめて佇んでいるのが見えた。
ローズピンクの長い髪が風に揺れている。離れていても分かる黄金の瞳は陽の光を反射し、それこそが光を発しているかのようだった。
白い肌に薔薇色の唇。その唇が、ルークスと目が合うとわずかに弧を描いた。人目を引く、美しい少女だった。




