新たなる時代
天空諸島は東大陸に古来よりある島々である。数千年前に大地の一部が空へと浮上したと伝えられるとおり、無数の島が集まり浮遊している。ここに来ることができるのは翼の生えた種族だけだ。飛翼族、獣人のうち翼のある鳥族、それから竜族。今は竜族が、天空諸島に住んでいる。
三百年前にあった竜族間での戦争の初期に天空諸島も島内にあった天空城も壊滅的な打撃を受けたが、戦争後にフィオナは竜族の支配の象徴として再建した。
天空諸島は互いに強く結びついていた地上との繋がりが切れ、今は気ままに大陸を移動していた。
早朝、フィオナは一人で城周囲の庭を歩いた。侍女たちは王の習慣と性格を熟知しているため散歩に付いてくることはない。かつてバルスロットと交戦した際にできた窪地には水が溜まり、小さな池ができていた。周辺には花が咲き、花畑となっている。その一角にルイ・ベルトールの墓はあった。
フィオナ以外、誰もここには近づかない。
墓標に、フィオナは口づけをする。
「ルイ様、おはようございます。今日も朝が来ましたよ」
言ってからその隣に腰を下ろし、片手で棺が埋まる土に触れる。だがその棺に彼の遺体はなく空であった。ファルトルの砦が崩落し、原型をとどめていないルイの遺体は回収することができなかった。
数年前までは、彼の左腕と彼が肌身離さず持っていた剣の鞘が収められていた。だがそれも、今はない。
「今日も大陸は平和です。貴方も見ていますか?」
中身のない墓にそう微笑む。返事などありもしなかったが、フィオナは毎日彼に話しかけた。彼に誓った平和が今日ももたらされたことを報告するために。彼だけをまだ愛しているのだと伝えるために。
二十三年しか生きられなかった愛しい番。共に過ごした日はひと月半でしかない。されどフィオナの長い命を支えるのには十分すぎる出会いだった。
三百年前、フィオナは東大陸を統一した。
今の世では聖竜戦争と呼ばれるその戦争は、竜族と他種族間ではなく竜族間で行われた初めてのものであった。激しい戦争の末、フィオナは東大陸に残っていた白銀や竜王の側に付く竜族の一切を駆逐した。
親竜派の国々はもとより、反竜派の国家においても国の自治を認めた内政不干渉としたフィオナに迎合した。かくして聖竜帝国は西大陸と東大陸に二分され、以降は大規模な戦闘はなく、互いに王の死を望み合いながらも、奇妙な平穏を保っていた。
しばらくそうして墓に寄り添っていると、こちらに向かってくる侍女の気配を感じ、間をおかずに竜族の侍女モネアが現れた。
「野薔薇様!」
息を切らし、紫がかった髪を風に揺らしながら、フィオナの前まで来るのが待ち切れないとでもいうように、随分手前で名を呼んだ。
「どうされたのです」
目の前に来たモネアに問うと、彼女は小さく一礼し、それでも興奮を抑えきれないように言った。
「申し訳ありません、お一人の時間を邪魔してしまって、ですが遂に――!」
彼女は顔を輝かせ言った。
「遂に竜王が身罷りました!」
今になってフィオナの願いはたった一つだけだった。祖父である竜王の、一日でも早い死だけだ。
フィオナの心が震えた。
「遂に、遂に――」
悲願が叶う。
竜王に子はもういない。西大陸の王の正統な後継者はいない。東大陸の脅威は取り払われた。
「わたしは、やっと東大陸を解放することができます……!」
フィオナが東大陸の王として君臨していたのは、未だ虎視眈々とこの大地を狙う竜王から守るためだ。だがそれも終わる。東大陸を野薔薇王の支配から解き放ち、真の自由と平和をもたらすことができる。
竜王の死の報せを持ってきたのは、滑り込ませていた間者によるものだ。
だが数日後に、西大陸より同様の報せがあった。
竜王の死とともに西大陸よりあったのは和平の申し入れだった。さてこの申し入れについてどう扱うかというのが喫緊の課題であった。
フィオナの執務室を訪れたフローダストは言った。
「先方曰く会談の地は西大陸の港街ヘイヴンにて執り行いたいとのことです。使者を送ってほしいと。回答はいかがされますか」
彼は私見を口にはしなかったが、考えていることは分かる。中立都市ではあるが、場所があちらに寄りすぎているのだ。フィオナは静かに答えた。
「和平を結びたいのならそちらが東大陸に出向きなさいと伝えてください」
「承知しました。そのようにいたします」
彼も同様の思いだったのか、すんなりとそう回答があった。
フィオナは彼を見る。ひたすら忠義を全うしてきた真面目な彼は戦争で同族を大量に殺害し、その心の傷が長い間癒えていないように思っていたが、八年前にヒト族の番を得てからは安らぎを得たように思う。
だがそれも一時なのかもしれない。八百年を生きる竜族にとって、他の種族の寿命は目の前を一瞬で過ぎ去る風のようなものだ。
かつて竜族の王族が持っていたという番と共に同じ時間を生きるという魔術も、東大陸においては失われてしまっている。
そこまで考え、あることに思い至り部屋を出ていこうとするフローダストをフィオナは呼び止めた。
「――……いえやはり、出向きましょう」
驚きの表情でフローダストは振り返るが、構わずフィオナは続けた。
「フローダストさん、今からわたしが言う者を西大陸へ派遣してください」
数人の名を挙げる。多くは大国の指導者やそれに近い者達だった。
フローダストは黙って聞いていたが、ある一人の名を挙げた時に、黙っていられなかったのか声を発した。
「……なぜ彼を? インエットは王位継承の争いがようやく収まったところですし、まだゴタゴタが続いています。王を連れ出すのは少々危険では」
「竜王の指名であれば箔が付きますし、彼の王位に反対する者たちも黙るでしょう。貴方の言うゴタゴタだって落ち着きますよ」
言ってから思い上がりのすぎる言葉だったように感じ口を噤んだ。人々を力で抑えつけていた父親のようにはなりたくなかった。
「ミエラや貴方から、大変活気に満ちた青年だと聞いております。若い者に経験をしてほしいのです。……心配ですか? ご友人ですものね」
まだ冴えない表情を浮かべるフローダストに向けてフィオナは微笑んだ。
「大丈夫ですよ、わたしも行きますから。誰も危険な目には遭わせません」
言った瞬間、フローダストが目を見張る。
「それこそなりません! いいですか、貴女はこの大陸の王なのですよ。誰もが貴女を愛し、貴女の命令なら喜んで死にます。奴らからしたら、そんな貴女を殺したくてたまらないでしょう! それこそ危険が過ぎます!」
「この世界がまともだったら良かったのにと、何度も何度もそう思いました。だからわたしはこの世界をまともにしました。これが最後の仕上げです。祖父の死をこの目で確認したいのです。……だめですか?」
眉を下げて精一杯哀れな表情を作ってそう言うと、フローダストの勢いはわずかに収まる。収まるが、意見を変えるつもりはなさそうだ。
「そうやって甘えても、だめなものはだめです。もうその顔には騙されませんよ。
どうしてもというのであれば代わりに私が赴きます。これでも貴女の従兄弟です。同じ思いでいるつもりですから」
側に仕えて以来、ずっとわがままを聞き、時にたしなめ続けた彼であり、フィオナの頓狂な行動にも慣れたものだったが、これには隠しもせずにため息を吐いた。
第三章開始です!
引き続きお楽しみいただけましたら幸いです!




