決着
瓦礫の中から上半身だけを出したルイをフィオナは抱きしめていた。
砦がどこにあるかは、もう随分前から分かっていた。上空からでもはっきりと確認できるほどに黒い煙が立ち昇っていたからだ。
交戦が既に終わった後だということは一目で分かった。地に降り立ったフィオナ達三人は砦の残骸の側に白銀を、瓦礫の中にルイの姿を見つけた。
ルイの呼吸はフィオナの腕の中で弱くなっていく。
治癒の魔術をかけてもかけても、彼の体は回復しない。致命傷を負った者に、治癒の魔術は無駄だということを思い出す。それでもフィオナはルイに魔術をかけることをやめられなかった。
「ルイ様、戻ってきて……! お願い、ルイ様、目を覚まして!」
懸命にそう声をかけながら、なおも魔術を重ねていく。涙が痛いほど頬を濡らし、地面に落ちていっても、ルイに変化はなかった。
ルイは目の前にいるのがフィオナだとは気づかずに、先程まで言葉を話していた。だがそれも今はなく、ただ目を閉じ、微かに息をしているだけだった。
彼が死ぬ。絶望だった。
無意識にフィオナの体は震えていた。耐え難い痛みに拒絶を示しているかのようだった。
「ルイ・ベルトールはもう助かりません」
フローダストの声が聞こえて、フィオナはそちらを見た。彼は苦しげな表情を浮かべながらも、落ちていたはずの魔剣”竜殺し”を拾い上げ手に持っていた。
「彼は言ったでしょう。剣で、自分を殺してくれと。貴女にお願いをしたのです」
剣を持つフローダストの手もまた震えていた。竜族の命を数多奪ってきた呪われた剣が恐ろしいのだ。だがそれでも彼は剣を持ち、歩み寄ると柄をフィオナに差し出した。
フィオナは目を見開いたまま、ただ剣を見つめる。フローダストは言った。
「彼と私は似ている。だから願いが分かります。そのまま放っておいたら彼は死にます。その前に、剣の一部として白銀王を討たせてやりたい。彼は貴女を――」
彼女を解放してやりたいと、ルイは先程そう言っていた。
それがルイの願いだ。温かく残酷で、愛に溢れた身勝手な願いだった。
「わたしの手で、この人を……」
フィオナは呆然とそう呟きながら、ルイに目を向けた。できるわけがない。だが彼の体は急速に冷えていき、呼吸が見る間に小さくなる。
創生の女神は二人にこんな運命しか与えてくれなかった。
彼と一緒に平和に暮らす夢を何度見ただろう。だがそれは、夢でしかなかったのだ。
(ルイ様……)
フィオナはルイの唇に己の唇を重ねた。彼の生暖かな血がフィオナの口の中に入り、それを飲み込む。
(これでしか、貴方を救えない……)
死でしか彼は救われない。
もう見えていないだろうが、フィオナはルイに向かって微笑んだ。
「いつでも一緒です。愛しています」
無理やり口を引きつらせた無様な笑みだったが、最期に彼が感じるものが悲痛に泣いている者の姿であってはならないと思った。
フィオナはフローダストから剣を受け取り、切っ先をルイの心臓の上に置いて、優しく話しかける。
「ルイ様、ずっと大好きです。わたしには永遠に貴方だけです。だから大丈夫、何も心配ありません。大丈夫ですから――」
なるべく痛くないように、なるべく彼が苦しまないように。
優しく彼の頭を撫でて、それから一気に貫いた。フィオナの腕の中でルイはこと切れる。
竜殺しの英雄はこうして死んだ。
二度と喜びを感じない代わりに、もう二度と、苦しむことのない場所へと逝ったのだ。
声にならない悲鳴がフィオナの口から漏れた。狂気が体を駆け巡る。このまま自分も死んでしまいたかった。
だがまだ、自分を見失うわけにはいかなかった。彼の愛に見合うだけのことを、しなくてはならなかった。
フィオナはルイから体を離すと、手に剣を握ったまま、言葉もない様子のフローダストとノットの側を横切って、それから白銀の前に佇んだ。
美しい竜は体中から血を流し黒い魔術に殺されかけながらも、その黄金の瞳をフィオナに向け、それから魔剣に向けた。頭を上げる力がもうないのか、顎を地面に付けていた。
フィオナの胸の中に、虚しさが沸き上がる。
十六年の間、彼こそ愛する人だと思っていた。
美しい人で、優しい人で、彼がいればそれで満たされるはずだと、そう自分に言い聞かせてきた。愛さなければならない人と愛する人の両者ともこの手にかけることになるとは、つい少し前まで、フィオナは考えもしなかったのに。
「……ねえ、怯えているの? わたしが怖い? わたしに流れる、貴方の血が怖い?」
感情の失せた自分の声を、遠くから聞いているようだった。フィオナが問いかけると、白銀の目がわずかに開く。
彼は口を開いたが、声は何も発せられなかった。
「フィオナ・ラインの貴方への愛は本物だったのに、貴方はそれをも穢してしまった」
前世と思っていたあの記憶は、とても美しいものだった。フィオナ・ラインが見た世界は、残酷であれど愛と優しさに満ちていた。そこに嘘偽りはなかったはずだった。
(何もかも皆、間違えてしまった。もしも正しく生きられていたのなら……)
もしも正しく生きられたのなら、こんな不幸はなかったはずだ。だが考えても仕方ない。過ちに終止符を打たなくては。
そう思い、フィオナは剣を白銀の頭上に振り上げる。
だがそこで、振り上げた腕が止まってしまった。
「ううっ……」
思わず口から嗚咽が漏れて、歯を食いしばる。
迷うことなどないはずだ。迷わないように、ずっと自分を鼓舞し続けてきたのに。
フィオナは腕を振り下ろすことができなかった。混乱していた。愛する人であり、父親であり、憎む対象であり、哀れな人――。
殺さなくては。殺さなくてはならない。生かしてはおけない。
「わたしの手で、殺さなくては……!」
ふいに、手に、温かな光が触れた。見ると人工精霊のルミナシウスがフィオナの手に柔らかに触っていた。
困惑のままその光を見つめていると、光は広がり、一人の女の姿に変わる。
まるで鏡を見たかのように、自分そっくりの娘が立って、フィオナの手を優しく握っていた。
女は光っていて、半分透けていた。
女は慈愛に満ちた表情で微笑むと、剣を握るフィオナの手を両手で包み込み白銀を見て頷いた。
フィオナには、それが誰か分かってしまった。
「お、かあさ――」
伝承を思い出す。番が生きている限り、魂は再び生まれ変わるのだという。フィオナ・ラインの魂は消えずに、出来損ないの精霊の中に入っていた――。あるいは都合のよい妄想だろうか。
(ずっと、いたの? わたしの側に)
いてくれたの――。孤独な時、この光はいつも心を慰めてくれた。寄り添い励ましてくれた大好きな光だった。フィオナには彼女が亡霊でも生まれ変わりでも妄想でもなんでも構わなかった。
彼女は肯定した。
(父親を殺すというわたしの行為を、許してくれた)
呼吸は落ち着き、混乱は徐々に収まっていく。白銀を見た。冷静に見ると、目の前にいるのは単に死にかけの獣に過ぎなかった。
「さようなら、お父様」
彼女に支えられながらフィオナは剣を、白銀の頭蓋に向けて垂直に突き刺した。
途端、白銀は生命を停止した。目を閉じ、口から下をだらりと垂らし、全ての力が彼から去った。
瞬間、フィオナの傍らから気配が失せた。
ルミナシウスの光も、自分に瓜二つの娘の姿もない。まるで初めから幻であったかのように消え失せていた。
ゴゴ、と大きな音がした。
振り返ると崩れた砦の巨大な欠片が重力に耐えきれず崩れていた。
走り出そうとしたフィオナの体をフローダストが抱きしめる。フィオナはもがいた。
瓦礫の中にはルイの遺体がまだある。
(まだあるのに――!)
「ルイ様!!」
フローダストの腕はびくともしない。
解放されたのは、瓦礫が全て落ちきって、ルイの遺体を隠した後だった。
瓦礫の隙間から滲み出る赤黒い血を見た瞬間、フィオナは膝から地面に崩れ落ちた。
「うあ、うわああああああ―――――! ああああああ―――――――!!」
フィオナは絶叫した。
現実を拒否するように叫び続けた。ルイの死だけではない。今まで出会ったすべての人の、その喪失が一気にのしかかった。
死んだ。死んだ。皆死んだ。
友情も愛情もフィオナだけに残して、みんなみんな死んでしまった。
それは衝動だった。フィオナは魔剣の柄を掴むと、自分の喉元めがけて突き刺した。
「フィオナ様! だめです!」
ノットの声がして、剣が止まる。見るとノットがフィオナを包み込むようにして側にいて、魔剣は彼の腕に刺さったまま、フィオナの首には届かなかった。
フィオナは顔を歪める。
「死なせてください! 死なせて――」
フィオナが剣を揺する度にノットの腕の傷が広がっていく。ノットは泣きじゃくりながらも首を横に振った。
「だめです。そんなことは絶対にだめです!」
なぜだめなのか分からない。自分の半身はもういない。目的だった白銀殺しも終わった。
何も残っていない自分がこれ以上生きていたって仕方がないのに。
「フィオナ様」
フローダストがフィオナの前に跪き、深く頭を下げていた。ぼんやりと、フィオナは彼に目を向けた。
「フィオナ様。竜族は間違いを数多犯しました。私達には指導者が必要です。指導者が、必要なのです。私達をお導きください。貴女様こそ、新たな王です。生きてください」
「……生きて、生きて、生き続けて、その先に何があるというの」
フローダストは首を横に振る。
「分かりません。ですが貴女が生きていくことが、ルイ・ベルトールが生きた意味です」
貴女の人生にはこれから先、喜びだけがある――。
ルイの声が耳の中で木霊する。まるで呪いのように、フィオナには思えた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
やばい暗いですが、二章はあと一話で終わる予定です。(全体だと三章構成の予定です)(そしてハッピーエンドの予定です)
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




