愛よ永劫たれ
他の文と一人称が混じってます
自分の体にもかかわらず感覚がなかった。砦は瓦礫の残骸と化し、それに埋もれながらもルイは光が差す方へと向かっていった。
かろうじて繋がっていたはずの片腕の姿もすでになく、芋虫のように這いながら、瓦礫の隙間の光に向かって身を捩る。
ギルバートは死んだのだろうか。
おそらくはそうだ。
千人、という数は魔術として呪いを完成させるのにちょうどよい数だと聞いたことがある。
だから魔剣に捧げる予定だった魂も千人だった。だから連邦国がルイに寄越した兵の数も千人だった。
最後の犠牲になるのは、千人と二人。呪術を完成させるための千人と、それを操る一人と、そうして敵をおびき寄せる一人が必要だった。
兵士詰め所にいた千人は、命を捧げることにこそ使命感を抱いていた。ルイが彼等を白銀を捕える魔術の材料として使うと告げた時、彼等は歓喜した。かつて自分もその中の一人だったはずのルイだが、その熱狂が、今になって異様なものに映る。だがそれ以外に、方法はなかった。
ギルバートは兵等の命を魔術に変え、砦の地下に張り巡らせた。ルイは白銀をそこまでおびき寄せることに成功した。
結果、見事に魔術は白銀を捕えた。
最後に見た竜は魔術によって肉を裂かれ体中から血を流し苦しんでいた。その生命を奪い取るまで、魔術は暴走するだろう。代償は、膨大な魔術を最後まで操ることができずに、砦ごと破壊するしかなかったことだ。
自分も死ぬだろうと思っていた。
だがそれでも、かろうじてルイは生きていた。
(この目で見なくては。白銀が死ぬ姿を、俺が死ぬ前に見なくては――)
その一心で、ルイは光を目指した。
瓦礫に埋まっていた時間はどれほどだろうか。ルイが瓦礫の隙間から体を出した時、すでに日は傾き、夕日が一面を染めていた。
(まだ、生きているのか……)
ルイはその竜を見た。白銀の体には漆黒の魔術が纏わりつき、蛇のごとく表皮を蠢いていた。蛇が体を撫でる度、白銀の体から血が吹き出していく。彼は地面に力なく横たわり、だがそれでも呼吸を続けていた。
ルイは幼い頃に飼っていた老犬の死に際を思い出した。息も絶え絶えながらもその老犬は死ぬ最後の瞬間まで呼吸を続けるのをやめまいと懸命に生きていた。白銀と老犬が異なるのは、白銀は未だその瞳を見開いて、ぎらぎらと光らせていたことだった。しかしそれも時間の問題だろう。
(勝ったんだ)
遂に、敵を討つことができた。祖国が滅んでからの悲願が、ようやく成就した。両親に、同胞に、それから妹に誓った復讐をやっと遂げたのだ。ただひたすらに白銀を討つことだけを目的にして生きてきたのだから、目的が達成された今、自分が死ぬことは必然のように感じた。
まばたきごとに、白銀の姿がぼやけ視界が閉じていく。
俺は幸福なのかもしれない。命の最後に、敵の死を確認できたのだから。
「――皆、見ているか。俺達はやったぞ」
もう会えない仲間に、そう声をかけた。
瞬間、ルイの両目に涙が溢れた。
彼等の死が、今、耐え難い悲しみになって表出した。これほどまでに鮮明な涙が、まだ己の中に残っていたとは思わなかった。
(お前達の苦しみに、俺も今から加わろう)
ルイは無意識に剣に触れようとした。だが腕もなければ剣もなかった。それもそうだ。両方とも、白銀に近い場所に落ちているのをさきほど見た。十四歳の頃からずっと側にあった同志の魂は、ルイの側を離れていた。
(心残りがあるとするならば、あの剣で白銀を殺せなかったことだ)
あまりにも多くのものをルイは背負ってきていたが、それを自覚することは最後までできなかった。自分の幸せよりも一心に求めたのは、先に死んだ者たちの命を無駄にしないということだった。
(……だが)
ルイの胸のうちにあったのは、復讐を遂げた歓喜と仲間の喪失だけではなかった。
故郷を焼かれた七歳の頃から揺るがず持ち続けた信念が、死の間際にかくも容易く消え去るとは、過去の自分になじられそうだ。だがそれでもルイは思わずにはいられなかった。フィオナのことを。
(――俺は貴女の愛に報いることができただろうか)
思う度に胸が温かくなる、たった一つの愛を想った。
憎しみの中で、人を愛したことがなかったから、それを愛とはすぐに気付けなかった。
願わくば、彼女の隣にいるのが自分でありたいという、愚かな夢をみた。愛していると伝えればよかった。心ごと彼女を抱きしめて、俺の全てをくれてやりたかった。
実に身勝手だが、俺はいつしか、満ち足りてしまっていた。復讐が小さくなっていくのを感じていた。いつの間にか闇ではなく、光を見つめながら、生きていた。
孤独な塔で、彼女を見つけられてよかった。愛おしい人。俺は愛を抱いて死んでいける。復讐だけを糧にして生きてきた己にとっては、過ぎたる幸福だ。
その時、ルイの頬に触れた温かな手があった。
視界はすでに暗かったから、誰がいるのかは分からなかった。だが確かに、生身の人の存在を感じた。兵士等に生存者がいるはずがない。だとしたら騒ぎを知りやってきた旅の者でもいたのだろうか。
ルイは声を振り絞った。
「そこに、誰かいるの……ですか」
手はなおもルイの頬に触れる。手の持ち主が何かを言ったように思ったが、既にルイの耳は音を拾うことができなかった。
もしかすると死に際の幻かもしれない。そう思いつつも、ルイは語りかけた。
「どうかお願いが、あります。私の剣で、私と、あそこにいる竜を殺して、ください」
温かな手は小刻みに震え、ルイの頬を撫でた。不思議な心地の良さをルイは覚える。
フィオナ・ラインのことをまた考えた。死が迫る中、彼女はとても穏やかにそれを受け入れていた。それは我が子が白銀によって健やかに育てられるということを確信していたからかもしれない。あるいは生まれ変わり、再び愛する者に会えると心から信じていたせいかもしれない。
ルイは生まれ変わりなどは信じてはいなかったが、愛する者がこの先、憂いなく過ごすことができるということは心の底から信じていた。
だから手の持ち主に向かってルイは言った。
「憎しみから言うのではありません。放っておいてもあの竜も――私も死にます。けれど私自身で彼女を解放してやりたい。
哀れな娘――愛おしい、人です。今も私の帰りを、きっと仲間と待っています。愛おしい、私の番なんです。もう、会うことは叶いません」
ルイの顔に温かな液体が落ちたように思った。構わずにルイは続けた。
「身勝手な願いだとは重々承知の上で、もう一つ、お願いがあります。私の代わりに、どうか、伝えてください。貴女に枷はもうないから、なんの心配もなく、貴女の人生を生きてくれと。貴女の人生には、これから先、喜びだけがあるのだと、そう、伝えてください」
そこまで言って、ルイは激しく咳き込んだ。体が血を留めておけずに、口から溢れ出すのを感じた。
(まだ、伝えなくては。フィオナに、伝えたいことが山程あるんだ)
ルイの死に、彼女は耐えきれないほどの悲しみを感じるだろう。だがそれでも生きてほしい。
(生きてくれ。生きて、生きて、生き続けてくれ。たとえそのさきに何もなかったとしても、貴女には、生きていてほしいんだ)
ルイはもう復讐も家族も仲間のことも思わずに、ただひたすらに、それだけを願った。
――なあ女神よ、聞いているか。俺は貴女にとことん嫌われているようだが、もう一度だけ貴女に願う。
どうか彼女を生かしてくれ。
どうか彼女がこの先も優しい人に囲まれますように。
どうか彼女がこれ以上悲しい思いをしないように。
どうか彼女の行く道が、幸福だけに照らされるように。
俺の命をくれてやるから、彼女がどうか、どうか光の道を歩んでいけるようにしてください。
貴女に言いたかった。もう、とっくに許していたのだと。
この世界も、他人のことも、自分のことも、許していたのだということを。貴女に出会ってそうなれたのだと。
せめて別れの言葉の一つくらい、せめて偽りのない愛の言葉の一つくらい、貴女に伝えておけばよかった。
どうか女神よ、彼女に伝えてくれ。
何も心配はないのだと。
何も憂いはないのだと。
貴女の人生は大丈夫だと伝えてくれ。
俺が今まで祈らなかった年月分の祈りと、この先あるはずだった祈りを全て貴女に捧げて祈る。俺の人生に本来あるはずだった赦しと幸福を、全て彼女に与えてくれ。
温かな両手が、ルイの体を抱きしめた。その手に縋るようにして、ルイは囁いた。
「野薔薇……考えたんだ。貴女の、名前。……野薔薇だ」
汚泥にまみれた世界の中で、唯一見つけた美しい花。俺にとっては、貴女こそが光だ。俺は未来へは行けない。過去も捨てた。俺にとっては今こそ全てだ。永劫の今の中に、貴女への愛を焼き付けよう。
(ああ、くそ)
もっと見つめていたかった。もっと聞いていたかった。もっと側にいたかった。もっと触れていたかった。
「生きたい――」
それがルイが口にした最期の言葉だった。




