三様の思い
――夢を見ていた。
懐かしい夢。とても幸福な夢。だけど、ひどく悲しい夢を。
夢の中で自分は竜族の青年だった。父は竜王で、自分はその後継者だった。
平和のために大陸を制圧した。それが正義だと信じて疑わなかった。支配前の大陸は国家間で大規模な戦争を繰り返す、ひどい有様だった。自らその大陸の王となり、国家間の戦闘を禁ずると、格段に争いは減少した。
この大陸には竜の支配が必要だったのだ。
だが心の中には疑問があった。統一すればするほどに反発もまた大きくなった。果たしてこれが正義なのだろうかと思い、思いながらも父に従った。だが心ら空になっていく――。
ある日預言があった。自らの番がヒト族に現れたと。
預言は正確に、それが誰かを特定していた。
彼女の名はフィオナ・ライン。清らかで美しい少女だった。
自分は彼女を深く愛した。彼女も自分を愛してくれた。味わったことのないほどの幸福な日々が訪れた。空の肉体は彼女で満たされる。
だが彼女を失ってしまった。自分の生きる全てだったのに。
沸き上がる怒りのまま、彼女を殺した人々を虐殺した。殺して殺して殺し――すべて殺しつくした後、果てに得たものは空虚だった。空虚だったが、それを認識することさえもできなかった。
自分には何も残っていない。ただ絶望と怒りと憎悪だけが、暗闇の中で叫び続けた。
◇◆◇
フィオナは目を覚ました。目から涙が流れていたことに気がついて、指先で拭う。
窓から朝日が差し込み部屋を染めていた。
(今のは、白銀様の記憶――)
交戦により白銀に負け、フィオナ・ラインの記憶を流し込まれた際に、彼の記憶も一部、自分に移ったのだろうか。なんと虚しく悲しい記憶だったのだろう。愛する人を失うのは、愛する人を得ないより余程辛い。連鎖する憎悪の中で、彼もまた被害者だ。
(だとしても、そうだとしても、それはそれだわ)
白銀をフィオナが倒すということに、何ら変わりはない。一度は負けたが、次こそは勝つ。彼に仲間はもういないのだ。ルイ等とともに挑めば勝てるはずだった。
そのための作戦を、彼と立てなくては。
そう思い、フィオナはベッドの傍らを見た。だがそこには、初めから何もなかったかのような滑らかなシーツがあるだけだ。
「ルイ様……?」
もう起きて、外にいるのだろうか。
と、扉が開いた。一瞬、彼がいなくなってしまったかと思ったフィオナはほっと息を吐くが、現れた人物を見て困惑する。
「フローダストさん?」
現れたのはルイではなく、町外れの館にいるはずのフローダストだった。
「フィオナ様、お目覚めですか」
ぎこちない笑みを浮かべて彼はそう言った。
「勝手ながらお召し替えをいたしました。……侍女達が、です」
いちいちそう付け足す彼は相変わらず真面目だ。こちらに歩み寄る彼に応じようとベッドから抜け出しながら、フィオナは尋ねる。
「ルイ様はどこに? どうして貴方がここにいるのですか」
フローダストはフィオナの前まで来ると、頭を下げた。
「それをお話するのが私の役目です」
そうして頭を上げたまま、彼は告げた。
「ルイ・ベルトールはギルバート・ドライドとともに白銀王を倒すため、早朝に街を出ました。貴女を戦いに巻き込まないためです」
「まさか!」
フィオナの中に戸惑いが生じ、次に怒りが湧いた。
どうしてルイはそこまで勝手なのだろう。フィオナは彼と一緒に戦いたいのに。
「あの人はどこに行ったんです!」
フローダストは首を横に振る。
「私は知りません。彼は言いませんでしたし、私も聞きませんでした。彼が我々を頼らず向かったということは、勝利の算段がついているということでしょう」
フィオナは動揺を隠さなかった。
「そ、そんなの、そんなの分からないではありませんか!」
この短い期間で、フィオナはありえないほど多くの人の死を目撃してきた。死を覚悟の上で戦って来た彼等でさえ、その日死ぬとは思っていなかったはずだ。
ルイが確実に生きて帰れるかなんて分からない。生きて帰れるかなんて――。
そこまで考えて、フィオナに戦慄が走った。
「生きて、帰るつもりがないの……?」
声が震える。
フローダストが目を伏せた。彼の表情にはさほど変化はなかったが、その両手の拳が握りしめられているのを見て、フィオナの疑念は確信に変わる。
フィオナは怒りを露わにした。
「それを分かっていて貴方はなぜ行かせたのですか! あ、あの人はなぜ行ったの!」
「貴女を戦いに巻き込みたくないという思いが私と彼で一致しました。一生許されなくて構いません。ですが貴女が傷つく姿を私はもう見たくありません」
ルイの思いも痛いほど分かる。先の戦闘でもフィオナは他の者を巻き込みたくない一心で、一人で白銀に挑み、そうして負けた。だから皆の力を合わせなくてはあの竜に勝てないということを身に沁みて知った。
フィオナとフローダストの二人でも仕留めることができなかった白銀を、ルイ達だけで倒せるとは思えない。
フィオナは言った。
「わたしは構いません! なんとしてでもルイ様のお側に行きます!」
「彼がどこにいるのか知らないでしょう」
フローダストの静かな声で、フィオナの勢いがわずかに止まる。
だが竜の姿で空から探せばきっと見つけられるはずだ。
(でも、見当違いの場所を探してしまったら? 匂いはどこまで辿れるの?)
一瞬の静寂の後に、明瞭な声が部屋に響いた。
「ファルトルの砦です」
驚いて扉の方に目を向けると、ノットがひどく悲しげな表情をして立っていた。
フローダストの顔が険しくなるが、ノットは構わず続けた。
「ベルトールとドライドの後を付けました。……それで、道中でそう言っているのを聞いた。あいつら、そこに向かうって。兵士詰め所の前で扉が閉まって、そこから先は追えなかった。見張ってたんだけど、いつの間にか匂いがなくなってた。多分、移動魔術を使ったんだと思います。俺には砦まで行く術がなくて、街に戻ってフィオナ様にお伝えしたほうが良いと思って――」
ノットが最後まで言い終わる前に、フローダストが彼の襟元を掴んだ。
「貴様余計なことを!」
ノットの表情が刹那の間、怯えに変わるがすぐに彼もフローダストの襟元を掴み返し怒鳴った。
「余計じゃない……! 何が余計なもんか! 皆勝手な正義で生きてるじゃないか、だったら俺も俺の正義を全うする! 俺はもう人が死ぬのを見たくない……あいつらに死んでほしくないんだよ! 俺やフィオナ様だって、一緒に戦いたい。戦えるんだって証明してやるんだ!」
そのままノットはフローダストを脇に押しやり、フィオナの手を掴んだ。
「行きましょうフィオナ様!」
フィオナも頷き、その手を強く握り返す。フローダストは立ったまま二人を見つめているだけだ。
「ファルトルの砦はどこにありますか」
「ここから東南に行った先です。森をいくつか越えなきゃならないし、遠いけど――」
「竜の翼ならすぐです!」
フィオナとノットは顔を見合わせ、同時に頷いた。
心が震える。ルイに会ったら怒ってやらなくては。そうして肩を並べて今度こそ戦うのだ。
自分の恋心が叶うとか叶わないとか、もうそんなことはどうだっていい。彼の残りの人生に自分が側にいるとかいないとか、そんなこともどうでもいい。彼が生きてさえいればどうだってよかった。
思いのまま、フィオナは竜の姿になろうとする。屋敷が壊れるかどうかなど、今は考えられなかった。
――……しかし、思いに反してフィオナの体に変化はない。
(どうして)
いくら姿を変えようとしても、フィオナは人の姿のままで、一向に竜の姿に変われない。
「封竜薬です」
困惑していると、感情を抑えたフローダストの声がした。
「ルイ・ベルトールはフィオナ様に睡眠薬と封竜薬を飲ませました。貴女は半日眠っていたし、竜の姿に変化はできません」
フィオナは小瓶に入った液体を思い出す。確かにあれはまだ残っていたはずだ。フィオナは窓を見る。
(窓……西……)
部屋の窓は西を向いていた。朝ではない。夕日なのだ。
ルイはいつ経った――? もう、間に合わないのではないのか。
ノットの手がフィオナから離れる。
「嘘だろ……俺が持ってきたあの薬で……」
フィオナは悪寒を感じた。魂が半分に引き裂かれるような痛みを胸の内に感じる。父の記憶を夢で見たせいなのか、あるいは今まさに、ルイが死んでいるのか。
両手で体を抱きしめたまま、フィオナは床に膝を付いた。
「わたし、は……」
震える体で息を吸い込み、そうして吐いた。
「……わたしは、ルイ様に出会ってから、彼に側にいてほしいと、そればかり考えていました。だけど今は、側にいてあげたいと思うんです。彼にはわたしが必要です。絶対に必要なんです……!」
言ってから両手を体から離し床に置くと、フローダストに向かって頭を下げた。
「フローダストさん、お願いします、お願いです! わたしをルイ様のところに連れて行ってください! お願いします! あの人を死なせてはいけません! ずっと悲しい人生だったんです、あの人は生きて幸せにならないといけないんです!」
何度も何度も頭を床に擦り付けると、無表情を貫いていたフローダストが初めて狼狽し、フィオナの前に跪き両手で肩に触れる。
「フィオナ様、頭を、頭を上げてください……! 貴女は王です、そんなことをされないでください!」
だがフィオナは動かなかった。
「お願いします! 死なせたくないんです。あの人を愛しているんです……! わたしが、生まれて初めて、自分で望んた人なんです……。お願いします……死なせないで……お願い……。行かせて、側に、行きたい……」
最後はほとんど、すすり泣くような声だった。
ルイの側に行けるなら、死んだってかまわない。初めて自分よりも大切なものができた。幸せに生きてほしいと純粋に望むことの幸せを知った。失いたくない。
嗚咽を抑えるためにフィオナは唇を噛んだ。血の味が口の中に広がる。
長い沈黙があった。
フィオナが泣くのをこらえる音のほかには何もしなかった。
窓から差し込む温かな色をした西日が妙に皮肉めいて三人を照らす。遂にフローダストが息を漏らした。
「……人間の感情は、我々よりもよほど複雑だと理解するようになりました。半分、ヒト族の貴女もそうなのでしょう」
その声に、フィオナはぐちゃぐちゃになった顔を上げた。フローダストは真摯な瞳をフィオナに向ける。
「同族に、同族殺しの罪をこれ以上与えたくはありません。行くのはここにいる三人のみです。……それでよろしいですね」
自分と同じ黄金色の瞳に向かって、フィオナは何度も礼を言った。




