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愛しいあなたは竜の番  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第二章 死にゆく者達へ祈る

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対峙する獣達

 数百年前、まだ竜族の支配がない時代に建築された砦があった。山を半分削り、半円型にせりでたこの砦は崩れた箇所はあるものの、余程頑丈に作られたらしく役目を果たすには十分である。砦の中は自然の洞窟を掘削したものであり、奥には広間がある。他には地下に無数に伸びる階段と、同じく地下に巨大な空間があった。

 ルイはこの砦を白銀討伐の最終地点とした。

 黒檀色の石はところどころ苔むしており、この砦が長い間打ち捨てられていたことを物語っていた。


 砦の壁面を蔦と野薔薇が覆っている様は、フィオナと初めて出会った塔を再現しているかのようだ。この野薔薇を見てルイの心が平常よりざわめくのは、故郷の森にも生えていたからだ。


(この地もルカリヨン王国の一部だったはずだ)


 インエットと呼ばれるこの地方は海と山を持ち、まだ王国があった頃に訪れたことがあった。今も反竜派の土地ではあるが、かつてと異なりほとんど人は住んでいない。大規模な騒乱を何度も繰り返した末、人々は逃げていった。


 ルイは一人で、砦の上に立っていた。


 昔のことを思い出す。

 幸福だった幼少期。過酷だった少年期。そうして今。無数の出会いと別れが、ルイをこの場へと導いた。


 ――名前をくださいませんか。


 それは昨晩、フィオナが口にした言葉だ。ルイの腕の中で、すがりつくような視線を向けながら、彼女はそう言った。


 ――わたしの名は母の名です。今更他の名を名乗るつもりもありませんが、もう一つの名前がほしいんです。竜の王族が代々名付けてきた通名が欲しい。ルイ様に、付けてほしい。


 その時ルイは答えられなかった。竜人の王が用いる通名を、憎いその象徴を、己の口を通して名付けられるはずがない。だがフィオナもルイの思いは承知の上でそう言ったのだ。

 彼女の瞳が黄金に輝く。引き寄せられるようにしてルイは、何度目かの口づけをした。

 不憫な少女。半分はヒト族の血だ。フィオナはフィオナであり、憎しみの対象ではない。

 そう思った時ようやくルイは、自分の中にあるわだかまりの正体に気がついた。


 憎いのは、フィオナ・ラインを救えなかった自分自身だ。父と母が死ぬのを、国が滅ぶのをただ見ていることしかできず、守られながら逃げ出した弱い自分が憎かった。

 竜族ではない。竜族の中にも善と悪があることを、当然ルイは知っていた。憎しみを向けてはならない者が含まれているということも、知っていた。知っていながら、目を逸らし続けてきた。直視すればたちまち、己の弱さを認めることになるからだ。

 

 ――名前を、考えておくよ。


 ルイはフィオナにそう答えた。答えたまま、永遠の別れを一方的にしてしまった。


 ――約束ですよ。


 言って微笑んだ彼女の顔を、ひたすらに目の奥に焼き付けた。死の際に思い浮かべるのはこの顔がいいと、そう思ったからだ。


(愛しい――何よりも愛しい人だ)


 何よりも純粋無垢な、愛しい番。彼女を思うと忘れていた感情が鮮やかに蘇る。彼女はルイの心の中で、胸を焦がすような灼熱にも、凪のような安らぎにもなった。

 彼女は生きなくてはならない。彼女自身の可能性を、彼女自身で切り開き、誰よりも幸せにならないといけない。憎しみではない。彼女のために俺は戦うのだ。


 ルイは雲一つない晴れやかな空を見上げた。白銀が仲間を引き連れてくる可能性は低い。先の戦闘で彼の仲間は死んだか、フィオナ側に付いた。だから彼が来るとしたら単独に違いない。

 こちらの兵の数は、当然彼も感知しているだろう。何を思うか――あるいは何も思わず、ただフィオナを取り返しに来るつもりか。

 いずれにせよ、ここで必ず仕留めるつもりだ。ルイは白銀を殺すと決めていた。だがそれは、常に心にくすぶり続けた憎しみの炎によるものではなかった。


 ふと、空の彼方にきらりと光るものが現れたことに気がついた。気がついたときにはもうすでに、ルイのほとんど目の前に、巨大な竜が姿を現した。


(やはり単独か)


 フローダストに傷つけられた皮膚が未だところどころ傷ついている。白銀の瞳がルイを捉え怒りに染まる。ルイは剣を握りしめ叫んだ。


「貴様なぞに、彼女をくれてやるものか! 彼女は私の番だ!」


 白銀の怒りをルイは感じた。彼の口から炎が吐き出され、ルイはそれを真正面から叩き切った。灼熱に触れ、体がたちまち溶けそうだ。だが魔剣がルイを守っている。確かな手応えを感じた。


(十分、戦える……!)


 ルイは一歩進み地面を蹴ると、白銀の目前で剣を振るった。鋭い爪で防がれる。

 交戦。交戦。だがやはり苦戦である。

 

(――不審がられてはならない)


 一撃一撃、慎重に振るっていく。徐々にルイは押し負けていく。

 ルイの剣が白銀の皮膚を切るが、切った側から回復していく。黒百合――アルネシアとは桁違いの魔力を白銀は持っていた。

 

 遂に剣を握るルイの腕が裂かれる。先に死んだ仲間も、かような心持ちだっただろうか。痛みはほとんど感じなかった。剣が石の上に落ちる前に柄を蹴り上げ、役立たずに成り下がった手の代わりに、口に咥えた。

 そのままルイは、砦の奥へと走り逃げた。洞窟の中を、広間に向けて走っていく。かつかつと、白銀が追ってくる音がした。


「ルイ・ベルトール。どこかで嗅いだ覚えのある匂いだと思っていたが、ようやく思い出した。私からフィオナを奪った王国の王子が、貴様と同じ匂いをしていたな。そうか、あの幼子か。どうりで竜族を憎むはずだ」


 初めて聞く白銀の声は実に落ち着き払っていて、王たる威厳が込められていた。ルイなど余裕で殺せるのだと、彼の声は物語る。

 

「かつては取り逃がしたが、今度こそこの手で殺してやろう」

 

 広間までたどり着いたルイは、背後を振り返る。ゆったりとした歩みで、白銀は姿を現した。

 

 ついに二人は対峙した。


 ルイは白銀の人としての姿を初めて見た。背筋が凍りつきそうなほど美しい生物だと、そう思った。

 均整の取れた顔は美貌に溢れ、この世ならざる空気を纏う。白銀の長髪が彼の歩みに合わせて揺れ、まさに生物の頂点にふさわしい荘厳さであった。誰もがひれ伏し、忠誠を誓うにふさわしい人物を――ルイは一笑した。


「その傲りこそがお前の敗因だ」


 白銀の目が、不愉快そうに細められた。それから彼は周囲を見渡す。ここにルイと自分以外の何者かを探すような仕草だった。


「彼女の匂いを辿ってきたんだろう」


 言ってルイは、床に置かれた服を足で示した。それは早朝に盗んだフィオナの服だ。ずっと彼女が身につけていた衣服だった。

 白銀の目が見開かれる。まさしく彼はこの匂いを辿ってこの砦までやってきたのだ。フィオナが今いる街は、竜族によって多重に結界が張られ、気配は遮断されていた。

 

 ルイは彼に笑いかける。


()()()()()()()。それが貴様の真名らしいな」


 フィオナは彼の真名を知っていた。

 竜族の王族は、真名を知られることを恐れる。己が支配されたように感じるからだ。だからこそ、ルイは再びその名を呼んだ。


「クローディアス。私は貴様の魂を支配してやったぞ」


 白銀――クローディアスの顔がわずかに引きつった。ルイは愉快な心持ちになった。少なくとも一矢は報いることができたのだから。

 それから、すぐ側にいるであろうギルバートに向かって叫んだ。


「やってくれドライド!」


 直後、世界が割れるかのような轟音が、ルイの耳に届いた。

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