最終通告
彼女がまだ眠っている間に、ルイは与えられた屋敷を出た。
西の空が白みかけているのが見える。夜明けが近かった。
門扉によりかかり待ち構えていたのはギルバート・ドライドで、ルイを見るなり手に持っていた手紙を差し出してくる。メリア連邦国政府の刻印がなされれいた。
「伝令兵がルイ・ベルトールに届けるところを、俺が預かった。お取り込み中だったろう、礼はいらねえよ」
無言で手紙を受け取り開き、そうして大きなため息を吐いた。
「最終通告だ。国に戻るか、進むか選べと」
言ってから手紙をギルバートに見せる。
ここよりほど近い場所に千人の兵士を待機させたから、白銀討伐に使え。それ以外の兵士を使うことは許さない。戦うつもりがないのなら帰国せよ。
要約すると、そのようなことが書かれていた。
「餞別に千人くれてやるから死ねということか」
ギルバートは小さく笑いをこぼした。このところの独断による連戦を連邦国はよくは思わなかったようだ。勝利したとはいえ、此度の戦闘の死傷者の数は多い。これ以上兵士を無駄に死なせるなということだろう。
この速さで決断が下りたということは、おそらくはルイが天空城に捕えられた前後にはすでに、準備がなされていたに違いない。今まで手紙が届かなかったのは、ルイの居場所が不明だったからだ。
英雄と持て囃されたところで所詮は虚像だ。いかに人の立場が薄氷の上に置かれたものか分かるというものだ。ルイもまた、連邦国にとっては単なる駒の一つにすぎなかった。
「さすがに勝手をしすぎたな。どうするつもりだ」
進むべきか戻るべきか、すぐにはルイは答えなかった。屋敷に目を遣りながらギルバートは言う。
「千人きりで戦えと言っても、フィオナ嬢は付いてきたがるだろうな。心底あんたに惚れてるんだから。……良かったな。死ぬ前に人間に戻れて」
最後の言葉は、ルイに向けられたものだった。
運命の恋など、知りたくはなかった。自分には必要のないはずのものだった。
「私は彼女に赦しを得ている。対等な関係ではない」
ギルバートは困ったように眉を上げた。
「恋愛ってのを俺が語るのもどうかと思うが、少なからず対等じゃねえとこもあるだろう」
個人的な胸の内を誰かに吐露するのはいつぶりだろうか。ルイはこらえきれずに吐き出した。
「知らなかったんだ。恋というものを。心の底から誰かを欲するという、肉欲以外の情動を、今になるまで知らずに生きてきてしまった。俺の中には憎悪しかなかったし、それでいいと考えていた。それなのに、彼女に出会って思ってしまった。未来永劫、あの娘と生きていきたいと」
言い終えてから、片手で拳をつくり額を叩く。
「だめだこんな告白は。私には婚約者がいるんだ……」
混乱する思考が次々に浮かんでは消える。
幸せを求めることは裏切りだ。ルイは幸福を犠牲にしたからこそ竜殺しの英雄でいられた。スレイヤ・ベルトールを誰よりも幸せな女にしなくてはならない。あまりにも多くの生を奪った穢れたこの身ではフィオナの側にいられない。その咎を、彼女に負わせることだけは防ぎたい。――なのに、彼女を望んでいる。
「戦闘には、彼女を連れて行かない」
絞り出すようにしてルイは言った。途端に、ギルバートの厳しい声が追ってくる。
「それは武人としての判断か? それともお前の個人的な感情によるものか?」
「……私の個人的なものだ」
気付いた時にはもう既に、取り返しのつかないほど愛していた。
彼女を守りたいのはただ愛しているからで、それ以外の理由は全くなかった。
「真面目だな。……まあそういうのは、嫌いじゃない」
ギルバートはそういっただけだった。
沈黙が流れて、そうして今度はギルバートが言葉を発した。
「俺の姉貴は優秀な魔術師で、神童って言われててさ。俺を養うために早くから竜人との戦争に駆り出されていた。だから今度は俺が養ってやろうと連邦国の兵団に入った年に、勝手に剣の材料になって死んじまった。気づいた時にはあんたの腰にぶら下がっていた」
彼の目線は、ルイの腰元の剣に注がれている。ずしりと、剣が一層重くなったように思えた。
「連邦国は気が狂ってるのかと思ったぜ。たった十四のガキに、英雄の役割を押し付けるとは。……だがその剣を持ち竜と戦うルイ・ベルトールを戦場で見た時、そんな思いは吹っ飛んだ。皆がその姿に勇気づけられた。死の淵にいる者さえも奮い立った。まごうことのない、英雄だった。その剣は、ルイ・ベルトールにしか扱えない」
ギルバートは目を上げ、ルイを正面から見据えた。
「お前がまだ俺達の英雄でいてくれるつもりなら、止まらないでくれ」
ルイもその視線を受け止めて答える。
「止まるつもりはない」
「なら良かった。余計なことだったな」
そう言ってギルバートは表情を緩める。彼の姉の記憶も、ルイは己の中に持っていた。
「姉さんは君を大切に思っていた。誰よりも幸せになって欲しかった」
肩を竦めるギルバートに、さらにルイは言う。
「小さい頃の君は同年代の少年よりも体が小さくて、なのに負けん気は一番強かった。だから体の大きな少年と喧嘩して、いつもぼろぼろになって帰って来たから、毎日やきもきしていた。……それから君はなかなかおむつが取れなくて、母親代わりの姉さんは随分心配したんだ」
おい、とギルバートに肩を殴られる。
「そういう思い出はいらん」
それから彼は笑った。
「犬死にはごめんだ。ここまで生き延びた。意味のある死にしたい」
ああ、とルイは頷いた。
資源は千人の兵士のみ。どこでどうやって白銀と戦うのか、組み立てなくてはならない。誰の命も無駄にはしない。
そうして次が、おそらく最後の戦いになる。
(盤上の駒の一つが王を獲る様を見ていればいいさ)
ルイはそんなことを思った。




