罪は雨に溶けて
しばらく留まり一番最後にルイは戦場を後にした。移動した先の街は大都市と言え、天空城への進軍の際にも中継していた地であり兵らに対して友好的だった。
平素だったら闇に包まれているであろう深夜の街にはぽつぽつと灯りがともり、教会と病院がまたたく間に兵士で埋まる。他にも空き家が提供され、兵士等が休息に当たっていた。
一万弱の兵士がいたはずだが、ここにいるのは数百人だ。じきに生存者の数が正しく数え上げられるだろう。
分厚い雲が空を覆い雨を降らせ、ルイの体を濡らしていく。
ルイは貴族の別邸だという屋敷を丸々一棟貸し与えられた。そこに向かって歩いている最中、ふいにルイの目の前に、ふわりと光の塊が現れた。フィオナといつも共にいる人工精霊にルミナシウスだった。近くにフィオナがいるのだろうか。
「互いに、思わぬところまで来てしまったな」
意思のあるはずのないそれに声をかけると、応えるように光を点滅させた。ルミナシウスとは、またなんとも絶妙な名を付けたものだ。かつての名を思う度に、同時にフィオナ・ラインが頭によぎる。
――わたしの家族は、きっとルミナシウス様と仲良くなれますわ。年が近い子がいるんです。
彼女はかつてそう言っていた。それは生家の誰かを指しているのかと思っていたが、生まれたばかりの娘のことだったのだろう。フィオナ・ラインと白銀は、娘に名を付けてやったのだろうか。だがそれを知る由もなく、今はその娘を「フィオナ」としか呼びようがない。
「フィオナはどこにいる? 会うと約束してしたんだ」
尋ねても返答があるわけでもないが、ルミナシウスはくるりと向きを変え、建物の一つを見たように思った。途端にその家から、一人の少女が飛び出してくる。
「ルイ様!」
フィオナはルイを見て駆け寄ってきた。暗い夜、病んだ兵士の中にあって、彼女だけが輝いているように思えた。少なくとも、ルイにとってはそうだった。
彼女はルイの表情を見上げ、そこに先程あった緊迫したものが浮かんでいないと察したのか、ほんのわずかに明るい顔をする。
「歩きながらでも、お話できますか?」
こちらを見つめる黄金の瞳はこの闇夜であっても煌めいた。ルイは顔を上げ、本格的に降り出した雨を見ながら言う。
「濡れてしまうよ」
言うと彼女は両手をぱっと開き何やら魔術を発した。途端に、透明な傘を差したように雨が二人を避けていった。
「随分と魔術が上手になったね」
素直な感想に、フィオナは頬を染めはにかむ。
「ギルバートさんや他の方が丁寧に教えてくださいましたから」
二人して、石畳の道を歩き始めた。まだ起きている者もいるはずだが、雨音の他には何も聞こえない。
「お話したかったのは、戦いが終わった後のことなんです」
おずおずとフィオナは切り出した。
「わたしは馬鹿だし、今まで勉強もしてこなくて、世界のこともよく分からないから。だから戦いが終わって、もしルイ様がわたしと友達でいてくれるのなら、新しい世界をどう作ったらいいのか、時々助言がほしいんです」
「戦いが終わって――」
フィオナがルイに抱く恋心を、ルイが知っていると当然フィオナは知っている。だからこうして、友人として側にいてくれるか問いかけているのだ。
だがルイは聞こえた言葉を、ただただ反芻した。
戦いが終わることなどあるのだろうか。昨日親しく話した者が今日には血を流し死んでいく。戦闘は日常だ。死は常に側にある。
それが終わるなどと、考えたことがなかった。両肩には先に死んでいった仲間の死を背負っている。その荷を下ろすことなどできはしない。手放す時は死ぬ時だ。
ルイの命令で人が大量に死んでいく。あまりにも多くの死を、ルイは作り上げてしまった。
「……や、やっぱり、あつかましいことですよね! 別の人にお願いしてみます」
ルイの無言を否定と受け取ったらしいフィオナの慌てた声で我に返る。
「いや――いいよ。そうだね、そうしよう」
喜ぶものかと思ったが、フィオナは瞳を揺らしただけだった。
それからもしばらく無言が続いた。ルイの思考は再び己の内側へと向かっていく。
ルカリヨン王国の城下もこんな雰囲気をしていた。規模はこちらの都市の方が小さいが、それでも空気がよく似ている。こうして歩いていると記憶が蘇るようだ。
赤褐色の屋根の建物が並び、教会の鐘楼は高くそびえ、整然と茶色の石畳が並んでいた。魔術により灯りがともされた街灯が夜を穏やかに照らし、こんな雨の時にはその灯りがガラス窓に映って揺れていた。
幼いルミナシウスは護衛のジャグにわがままを言って、時折城下を歩いていた。人々は活気に満ちて、明るい顔をしていた。それがとても好きだった。まだ、大陸を巻き込む戦争が始まる前の話だ。
ようやく話し始めた小さな妹が、ルイの街歩きに付いていきたいと大泣きしたこともある。大きくなったら連れて行くと約束したきり、それが果たされることは二度となかった。
父は立派な王だったはずだ。国民に愛され、団結させるだけの能力を持っていた。厳しくもあったが、将来国を継ぐルイに自ら教え、王として導こうとしていた。
母は優しい人だったと思う。王族としては珍しく自身で子供の面倒を見ていた。異国から嫁いだ姫であり、祖国のことを寝物語に聞いていた。その祖国も今は、竜の帝国の支配地である。
「時々、もし母が生きていたらって考えるんです」
透き通るようなフィオナの声で、ルイは再び引き戻された。雨音が耳に戻ってくる。
「記憶の中の母は、優しくて、少し引っ込み思案で、だけど愛に溢れた人なんです。その母が生きていたら、わたしにどんなことを話してくれただろうって」
フィオナの言葉を受けたように、ルミナシウスが光を点滅させ彼女の頬に触れる。
「――だけど考えても分からないんです。変なの。少し前までは、わたしが母そのものだったのに。今は全然、違う人みたいに思えるんだもの」
「彼女は貴女を愛していただろうし、もし生きていたとしてもそれは変わらないだろう。何よりも貴女の幸せを一番に願ったはずだ」
聞いたフィオナは微笑みルイに顔を向けた。
「もし争いのない世界だったら、ルイ様とわたしは小さい頃からの友達だったかもしれないわ。わたし達、もっと昔に会っていて、それで――……」
だがその先をフィオナは言わなかった。彼女の言葉は喉につかえたように、小さく空気を飲み込む音がしただけだった。
――それで二人は互いが番だと気が付き、恋人同士になるのだ。幼い二人は愛を育み、成長して、いつかは結婚をする。そうして子供に恵まれ、老いて死ぬ。だがその死は決して不幸ではないはずだ。
夢物語だ。おとぎ話だとしてもあまりに退屈な話だ。
実際には戦争が起こり、二人の人生はその中にしか存在できなかった。フィオナもそう思ったのだろう、掠れる声が聞こえた。
「わたし、なに馬鹿なこと言っているんだろう」
フィオナがそう言ってこちらを見上げたその瞳に、耐え難い悲しみの涙が流れたことに気がついた瞬間、ルイの中に滾るような熱が生じ、気づけば彼女を引き寄せ衝動的に口づけをしていた。
(――だめだ)
彼女が驚き魔術を解いたため、二人は大粒の雨を浴びる。
「――っ」
顔を離し、彼女の瞳が見開かれ、その唇が怯えたように震えた。だが彼女が声を発する前に、再び唇を塞いだ。
(だめだ)
――これ以上側にいてはいけない。
愛も、恐れも、ルイには必要のないはずのものだった。だが彼女を愛し、死を恐れてしまった。ルイは二度と以前のルイには戻れない。
雨が降る。ここにルカリヨン王国の城下のような街灯がなくて良かったのかもしれない。この罪を、闇と雨が隠してくれる。
「次は貴女から、してくれないか」
耳元でそう囁くと、彼女の口から嗚咽が漏れた。
「でも……ルイ様には、想う方が……」
「今は貴女だけを想っていたいんだ」
苛烈な戦いも仲間の死も温かな思い出も、罪悪感も、過去も未来も英雄も、今はいらない。今だけはいらない。ただ彼女だけが欲しい。彼女だけが必要だった。
フィオナの冷たく震える指が、ルイの胸元の服にかけられる。彼女が背伸びをして、二人の顔がゆっくりと近づく。その体を、ルイは片腕で包み込んだ。
もうひとつ、腕があればいいのに。両腕があったのなら、この震える体をもっと抱きしめ温めることができた。
「二人きりになれる場所へ」
ルイの言葉に、フィオナは小さく頷いた。




