憎み合う二人の男
「ルイ様は、まだ移動されないのですか。じきに魔術は解かれますよ」
フィオナが声をかけるとルイはこちらに顔を向けた。表情から先程までの無感情は解かれ、代わりに穏やかな笑みが浮かんでいる。
「ああ、すぐに行くよ」
それが心からの笑顔でないことくらい分かっていた。
以前より、余程フィオナは注意深くなっていた。出会った頃はなんと優しい笑顔だろうと思っていたこの笑みこそが、彼のする最も空虚な表情であると今は知っている。
シルヴィアが死んだ。
フィオナは怪我人の治療の最中にそのことを知らされた。
遺体を抱えて来たのはギルバートだった。負傷した怪我が、彼女の戦いの壮絶さを物語っていた。その後に合流した侍女達から彼女の死に際のことを聞いた。涙ながらにシルヴィアのことを話す彼女らに、命を守れて本望だっただろうとギルバートが声をかけていた。
フィオナは涙を流さなかった。続く人の死に心が麻痺したのか、悲しみを感じなかった。ただ以前よりも世界の虚空が広がったような不安定さを覚えていた。
もしかするとルイも、同じなのかもしれない。だから彼は仲間の死に泣かないのだろうか。
「あの、シルヴィアさんは――」
「悪いが一人にしてくれないか。貴女は同族と一緒にいた方がいい」
かけようとした言葉はにべもなく拒絶される。彼は自分とフィオナの間に、断絶を作り上げた。フィオナは竜人で己とは異なる存在だと言外に言っている。
言葉に詰まった瞬間、フィオナの横を熱い体温が駆け抜けた。
見るとそれはフローダストで、一気にルイの胸ぐらを掴むと揺さぶった。
「貴様! フィオナ様に対してその態度はどういうつもりだ……!」
どうやらフローダストは、気配を殺しながらもフィオナの近くにずっといたらしい。
ルイも決して背が低い方ではないが、フローダストと並ぶと頭半分ほど低い。だがルイの表情に怯えは見えず、むしろ彼もまた燃えるような怒りを込めてフローダストを見つめ返していた。
「ルイ・ベルトール! なにか言ったらどうなんだ。フィオナ様は貴様のために心を痛めながら同族を殺したのだぞ……! それにあの飛翼族の女の弔いの場にいないだけではなく、フィオナ様と悲しみを分かち合うことさえしないのか! あの女は貴様の仲間だったのではないのか!」
シルヴィアの名が出た時、フィオナの体がびくりと震えた。短い弔いの間、ルイは全体に指示を飛ばすために奔走しており、その場には確かにいなかった。
ルイは淡々と答える。
「ああ。彼女は誰よりも心を許せる同志だった」
その言葉を聞いたフローダストの表情に、明確な嫌悪が浮かび上がる。
「では涙の一つくらい見せてやってはどうなのだ……! 仲間の死に心は傷まないのか!」
「命の数だけ死は準備されている。一つ一つの死に悲劇を付けて回るつもりか? 悲嘆に暮れる暇は私にはない」
胸ぐらを掴まれたまま、冷笑さえ覚えるような声色でルイはそう言った。
フローダストは吐き捨てる。
「救い難い……。もはや死でしか、貴様を救えないだろう」
「そ、そんなこと言わないでください!」
ぞっとして悲鳴のように上げたフィオナの声にフローダストの熱はやや冷めたようだ。その一瞬の隙に、ルイはフローダストの腕を掴んだ。
「くっ……!」
憎々しげな瞳のまま、フローダストの手はルイの胸ぐらから外されていく。竜人の怪力にも勝るルイの力が、魔剣から生じているということにフィオナは気がついた。またあの剣が、ルイの命を吸っている。
「随分と都合が良いなフローダスト? 貴様が私の仲間を殺したことを忘れてはいないぞ」
ルイは口の端を上げ、フローダストの腕を乱雑に放った。
「私の目と手を奪ったのがお前じゃなくて良かったな。命は奪わないでおいてやる」
和解どころか怒りを煽るような言葉にフィオナははらはらしてしまう。ルイはなおも言う。
「それとも殺し合うか? 貴様も私が憎いだろう。殺したいなら相手をしてやる」
言いながら、彼は魔剣に手をかけた。
「ルイ様も! 止めてください!」
なぜこの人はここまで馬鹿な真似をするのだろうと、蒼白のままフィオナは叫ぶ。だがルイはまるで聞いていないかのように、少しもフィオナの方には目をくれず、フローダストを睨みつけている。
フローダストは両手を握り、肩を震わせながら声を絞り出した。
「私は貴様とは違う……! 貴様が憎い。だが、殺しは無意味だ。憎む相手を感情のまま殺しても、その先で得られるものなど何もない」
「……崇高なことだ」
ルイは目を伏せ、剣から手を離した。
緩やかな風が吹く。生暖かい風は、血の匂いを運び続けた。
場を圧迫していた緊張は消え失せ、静寂が再び戻ってきた。安堵し、フィオナは大きくため息をついた。
フローダストはフィオナに手を差し出す。
「参りましょうフィオナ様。同族達が貴女を待っています」
フィオナはルイを見た。ルイはフィオナに微笑み、小さく頷いた。
一人になりたいと彼が言ったから、フィオナはフローダストの手を取った。が、振り向きざまに声を掛ける。
「ルイ様、移動先でお待ちしていますから。何時間でも、待っていますから。必ず来てください。約束です」
そう言わなくては、たちまち彼が消えてしまうような気がしてた。約束を重ねて、何重にも縛っておかなくては。死と孤独から彼を引き離さなくては。
月が雲に隠され明かりが失せ表情は判別できないものの、ルイがまたしても頷いたような気配があった。フィオナも彼に頷き返して、ようやく背を向け歩き始める。
刹那、独り言のような囁きが、微かに聞こえてきた。
「……それは、俺が一番良く分かっているよ」
その言葉がどの投げかけに対する返答か、フィオナには分からなかった。




