こうしてわたしは処刑された
序章はこれでおしまいです。
フィオナは王国の地下牢に拘束された。日の光が届かず、朧気な燭台だけが光る地下では昼も夜も分からない。拘束されてから何日経ったかも、自分の処刑がいつ行われるのかも、分からないままだった。
食事には具のないスープが数度出されたが、それが朝昼晩に出ているのかも分からない。もしかすると一日に一回だけだったかもしれない。
体は見る間に痩せ細り、長く美しかった髪はいつの間にか短く切られていた。寝床には藁が敷かれていたが、寝る度に体中が痛かった。
ここに鏡が無くて良かったとフィオナは思った。みすぼらしい自分を見て、悲しまなくて済む。
レオニールが語った王国の情勢は恐らく事実だと思えた。かつての王は老齢で、息子の代に近く変わると言われていたことは知っている。
時の為政者により、国の思想は変わるものだ。
以前は祝賀と共に見送られたが、憎悪と共に迎えいられるなんて。
(じゃあ、わたしの家族は皆、死んでしまったの――? お父様も、お母様も、お兄様達も……?
わたしは、レオニールお兄様の気持ちを踏みにじってしまっていたんだわ。わたしのせいで、家族が死んだ……)
家族を思い、フィオナは泣いた。近く自分もそこに行くのだろうということが、残酷なまでに身に染みていた。
(白銀様は、どうしているかしら。わたしのことを探しているのかしら)
深い悲しみの底にいながらも、フィオナは番のことを思った。
つい数日前までは、彼の腕の中であれほどの幸福を感じていたのに。新しい家族と共に、あの城で生きていくはずだった――。
だが全ては消え失せてしまった。
彼の側にいることはできない。
彼の笑顔を見ることはできない。
彼と添い遂げることは、もうできない。
絶望が心を支配する中、フィオナの脳裏に浮かんだのは、白銀がかつて教えてくれた伝承だった。
先に逝ってしまった番が、いつか衣を代えて再び番の前に現れる――。
添い遂げることのできなかった番の言い伝えだった。
(いつかまた、巡り会える? わたしが死んでも、また生まれ変わって、あの人の前に……)
それは一筋の光のように思えた。死が避けられないのであれば、また彼の前に生まれ変わろう。必ずそうしよう。そうして今度こそ、彼と共に生きていくのだ。
そう思ってからフィオナは嘆くのを止め、代わりに起きている間中、創造主たる女神に祈り続けた。
どうか家族の魂が安寧の地で安らかであることを。どうか番の白銀が、フィオナの死を、嘆き悲しまないように。
(どうかあの人に、わたしの死が優しく伝わりますように――)
ただ死を待つだけの生活に変化が起こったのは、フィオナが女神に祈り初めて間もなくのことだった。
一人の人物が、地下の牢を訪ねてきたのだ。
石の上に両膝を立て、壁に向かって祈っていたフィオナは、その気配に振り返る。
黒い髪を後ろでひとつに縛った、子供ながら大人顔負けの上等な服を着ている少年だった。
身ぎれいな子供はこんな牢に似つかわしいと思えないが、青い目は強い目的があるかのようにまっすぐにフィオナを見据え、口は真一文字に結ばれていた。
見知らぬ少年だったが、フィオナは彼が誰であるか分かるような気がした。この牢に来ることができるのは、身分の高い人物に相違ない。
少年の口が開き、揺るぎのない声が発せられる。
「貴女がフィオナ・ラインですね。僕はルミナシウス――ルカリヨン王国の王子です」
予想通りの人物だった。この国の王には子が二人いて、彼はそのうちの一人だった。
両膝を床に着いたまま、両手まで床に着けて、フィオナは深々と頭を下げた。
「ルミナシウス様。はじめまして、フィオナ・ラインと申します」
丁寧なフィオナの挨拶に、少年はやや面食らったようだ。
「竜人の番に会いたいと牢番に頼んだら通してくれました。貴女に興味があったので」
大人びた口調で彼はそう言い、今度はこう尋ねてきた。
「貴女は、なぜ死ぬのに平然としていられるのですか」
ある意味では、とても残酷な言葉だった。
しかし少年に悪気は一切ないようだ。子供らしい純粋な疑問のようだった。フィオナは彼に小さく微笑みかけた。
「恐怖はもう、ありませんから。わたしは自分の運命を受け入れています」
ルミナシウスは不可解そうに眉を顰めた。
「それは祖国を捨て、聖竜帝国の者になったからですか? 帝国がいつか、この王国に報復してくれると信じているからですか。
しかし今、竜族は偽の情報でおびき出され、罠に嵌められています。貴女が捕らえられているという場所を複数流して攪乱しているのです。けれどその作戦も近く終わる。
そうしたら貴女も用済みになって処刑されるというのに、怖くないのですか?」
「報復を望んでいる訳ではありません。誰の死も、わたしは望みません」
首を振って、フィオナは答えた。
「わたし達が真の番であれば、またいつか巡り会えますから」
ルミナシウスの表情に、ますます困惑が広がっていった。きっとこの幼い王子は、好奇心だけではなくて、何かの答えを求めにここに来たのだ、とフィオナは思った。
彼の態度に嘲笑や好奇など見受けられず、むしろ言葉を交わす度に、苦悩が表出していくように思えたからだ。
だから今度は、フィオナが尋ねた。
「ルミナシウス様――。貴方に愛する人はいますか?」
躊躇うような間の後で、ルミナシウスは答えた。
「父と母と妹と、そうしてこの王国の民達です」
「では、貴方の命の限り、その人達を大切にしてください。別れはいつも、唐突にやって来ますから。後悔しないように愛してください。それがわたしが伝えられることの全てです」
フィオナが静かにそう言うと、ルミナシウスの瞳がわずかに揺れた。それから彼は視線を床に落とし、何かを言いたげに口を開きかけ、しかし閉ざした。
そうして再び顔を上げ、意を決したかのようにこう言った。
「貴女は、思っていた人と全然違います。皆、貴女を悪魔のようだと言いました。なのに貴女は、むしろ……」
けれどその先の言葉を、ルミナシウスは言わなかった。代わりに幼い少年の青い瞳に浮かんだのは、同情と悲哀のように、フィオナには思えた。
「此度の我が国の戦闘に、少しの疑問がありました。竜族が先にヒト族の土地を奪ったから、これは正しい報復だと、父は言っています。だけど僕にはその――卑怯な手法に思えてなりませんでした。だから貴女に会いたかったんです。竜人の番の貴女は、どんな風に考える人なのか、この目で確かめたかった」
「疑問は解けましたか?」
ルミナシウスは賢そうな目でフィオナを見つめ返した後で、首を横に振った。
「いいえ。だけど僕なりに、答えを見つけようと思います。僕と話してくれて、ありがとう。そろそろ行かなくては。教師の授業の合間にやって来たんです。父上に見つかったら叱られてしまうから」
彼の瞳が燭台の光を受け煌めいたように思えたが、よく見ると彼の青い目の中に、金箔を散らしたような金色がいくつもあったためだと気がついた。生まれつきのものだろう。まるで宝石のようだとフィオナは思った。
それからルミナシウスは友人に別れを告げるように、片手を差し出した。フィオナもその小さく温かな手を握り返し微笑んだ。
驚くことに、ルミナシウスはそれからも度々やってきてはフィオナと話した。
授業と授業の合間に来ているという彼とは数分の会話を交わす程度だったが、それでもフィオナの心は驚くほど晴れた。
彼により、日にちの感覚が戻ってきた。彼はその日が何日であるのかを正確に教えてくれたし、ほとんど毎日やって来たからだ。どうやら例の具のないスープは、一日に一度か二度、適当な時間に出されているようだった。
見舞いのつもりか、ルミナシウスはフィオナに食糧を持ってきたため、死期が迫る中ではおかしなことだが、それ以前より格段に健康になった。
少年は理知的で利発で、子供らしい純粋さを持っていた。彼の質問は竜人に纏わることが多く、疑問に答える度に、彼は目を輝かせていた。未知の文化は少年の心を惹き付けたようだった。
ある日、いつになくルミナシウスは暗い面持ちで現れた。
どうかされましたか、というフィオナの問いに、少年は悲痛な声で、囁くように答えた。
「本当は、伝えてはいけないんです」
それだけで、フィオナは悟ってしまった。
「わたしの処刑が決まりましたか?」
はい、とルミナシウスは小さく頷いた。
「明日に決まったと、父が話しているのを聞きました」
少年の瞳に涙が溜まり、彼は下を向いた。
覚悟していたことだった。だがいざ告げられると、心が暗く染まる。
しかし内心の動揺を見せないようにと、フィオナは懸命に笑みを作った。
自分がいつ死ぬのか分かっている人の方が、分かっていない人よりも、ある意味では幸福なのかもしれない――友人に別れを告げることができるのだから。
この心優しい少年に、自分の死が傷跡を残さなければいいとフィオナは思った。
「ルミナシウス様、どうかわたしのために、悲しまないでください。わたしは誰も恨んでいません。フィオナ・ラインは未来を信じて死んだのだと、どうかそう記憶してください」
ルミナシウスは顔を上げ、フィオナの言葉を受け止めたように、真剣な顔で頷いた。
「――僕は貴女のように生きてみたい」
ふいにルミナシウスはそう言った。
「誰も憎まず、誰も恨まず、人として正しく生きたい。僕が大人になった時、人の役に立って、この国の民を守れるように」
「ルミナシウス様なら、きっとそうなれますよ」
一瞬、フィオナは今度こそ彼が泣き出すのではないかと思った。しかしそうはならずに、出会った時と同じように、まっすぐにフィオナを見つめて彼は言った。
「貴女の魂のために祈ります。貴女が生きた今日までと、そうして死ぬまでと、そうして死んだ後も、ずっと祈り続けます。貴女という人がいたことを、僕は決して忘れません。貴女に出会えて良かったと、心の底から思っています」
ルミナシウスに出会えて良かったのはフィオナの方だ。
自分が人としての心を忘れずに最期の時を過ごすことができたのは、間違いなくこの小さな訪問者のおかげだった。
翌日、ルミナシウスの言葉通り兵士達が迎えに来た。
地下牢から出され久しぶりに浴びる日の光にフィオナは目を細め、今日が春の日だったことを思い出した。
城の前に置かれた絞首刑台は、フィオナの最期を告げているかのようだ。
処刑は王の命令により行われる。絞首刑台の横に王と、そうしてルミナシウスの姿を見つけた。
少年の青い瞳が、フィオナを映し出していた。
その時になって、ようやくフィオナは気がついた。
ルミナシウスは、フィオナが帝国へ旅立つ日に、じっとこちらを見ていたあの幼い少年だったのだと。強い意志の宿る瞳は、かつてと同じように何かを見定めようとするかのようにフィオナを見つめていた。その視線から、今度はフィオナは逃れなかった。
――彼がわたしのために祈ってくれるのならば、わたしも彼のために祈ろう。
刑の執行人が、フィオナの頭に麻でできた布の袋を被せた。それでもフィオナは祈り続けた。
(どうか……ルミナシウス様、貴方の未来に光がありますように――)
あの純粋な少年が悲しむことのない世界が訪れますように。
フィオナが最期に思ったのはそれだった。
先に死んだ家族のことでもなく、後に残す白銀のことでもなく、王国の小さな王子――最後に得た友人に向けた祈りの言葉が、彼女の死に際の願いだった。
足下の床が抜け、首にかけられた縄が締まり、フィオナの体は垂直に落下した。
ゆらりと揺れる少女の体に、民衆達は歓喜した。
フィオナ・ラインはこうして死んだ。
東大陸歴九九八年の春のことだった。




