大混戦
兵士の間を縫うようにして、シルヴィアは少女らを先導していった。竜人達は天空諸島を崩すのを止め直接的な攻撃に出たようである。その第一の目標は裏切りを働いた竜人にあるようだった。
同族殺しが最も重い罪であるという竜族の不文律は、敵味方入り混じった今になって崩れ去る。
(この子達が竜人に見つからなければいいけれど)
そう思いながら移動したが、森に差し掛かる手前で最悪の者と出会ってしまった。
シルヴィア達の行く手を阻むようにして佇んでいたのは、竜族の王族であるフローダストだったのだ。
立つ彼は人の姿をしていた。視線は険しくこちらに向けられている。黄金の瞳からはかつて天空城で対面した時のような余裕は消え失せ、代わりに憤怒が含まれていた。
「フ……フローダストさま……」
少女達の体が震え上がる。厳格な縦社会において、このフローダストは少女達の圧倒的支配者なのだ。恐怖により竜化さえできない彼女等を、シルヴィアは自らの体の陰に隠した。
シルヴィアの背に冷たい汗が伝うが、表情に出さないように務めながら笑みを作ってみせる。
「やあ、また会ったわね」
対話は可能だろうか――探るようにそう声をかけた。
即座に襲ってこないということは彼にもこちらが生きていた方が都合が良いという目的があるはずだ。あるいは、いつでも殺せるという強者故の傲慢か。
フローダストは口を開いた。
「シルヴィアといったな。貴様は竜人を憎んでいるはずだ。それなのになぜ守っている」
それは自分が知りたいと思ったが、一方で本心はすでに答えを見つけていた。
「私は私の思う通りに生きる。ここにいる少女達も同じよ。正しいと思うことをしているだけ」
握る剣に込める力を一層強める。彼が攻撃するとしたら魔術か、竜となり炎を吐くか――。
(右手の岩場の陰に隠れることができれば攻撃を少しの間しのげる。問題はこの子達にそれをどう伝えるかと、隠れる時間をどうやって作るか)
そう考えながら背後の少女等に目線を送ると、モネアがはっとしたように目だけを岩場に移し、その後シルヴィアを見つめて頷いた。
(聡い子だわ)
三人の中で一番の年長者で姉のような存在の彼女は、シルヴィアの考えに気づいたらしい。
攻撃と共に岩場に逃げ込ませることができたら、生存の確率は上がる。シルヴィアはフローダストに向き直ると静かに言った。
「貴方は――? 貴方は、思うように生きていますか。今いるところが貴方の正義ですか?」
時間稼ぎのつもりの問いかけに、フローダストは顔を引き攣らせ、驚くほどに動揺した。
その様子を見て、シルヴィアも哀しいほどに分かってしまった。彼にもきっと生まれた場所と生きてきた思想と、そうして現状の狭間に、埋め難いほどの乖離を感じているのだ。
(死に際になって竜族に同情を覚えるとは、悉くついていないわ)
だがだからと言って、味方になるつもりも毛頭なかった。
シルヴィアは剣をより高く彼に向かって掲げた。もう片手には、いつでも魔術を作れるように魔力を集中させる。
「貴方が戦うというのなら、私も戦う。この子達を命の続く限り守るわ。さあ、かかっていらっしゃい……!」
言った途端、フローダストは竜の姿となった。刹那にモネアがレティスとクロエを引っ張って岩陰に隠れる。シルヴィアは脚力を使い一気に飛び上がった。竜の上に飛び乗り、脳天を突くつもりだった。
だがフローダストの方が早く天へと飛ぶ。しかし驚くことに攻撃は追ってこなかった。彼は空へと飛翔するとこの戦場を後にするように、飛び去っていってしまったのだから。
「どういうことよ……」
もうすでに、フローダストの姿は見えない。
拍子抜けしたシルヴィアが岩陰に目を向けると、少女達も目を丸くして出てきた。
「よく分からないけれど、命拾いしました」
モネアがそう言った瞬間、クロエが悲鳴を上げた。
別の竜人が迫り彼女等めがけて火を放ったのだ。シルヴィアは素早く彼女等と炎の間に防御魔術を放つ、魔術の壁は押し負け崩れるが、炎の方向を変えることには成功した。炎は後方の森へ飛び、木々を焼き始める。
シルヴィアは指で森を示し少女達に叫んだ。
「ここから東に抜けなさい! 走り続けて。生き延びることこそが正義なのよ!」
少女達は目を見開きながらも、しっかりと頷き走り去る。追おうとする竜人に向けて、シルヴィアは魔術を放った。
「貴方の相手はこの私よ!」
竜人は先にシルヴィアを殺すことに決めたらしく、再び炎を吐く。飛んできた炎の塊をまたしても防ごうとするが、流しすぎた血がシルヴィアの体の自由を奪い、魔術を練ることができない。少女達はまだ森まで逃げることができていない。
(まだ死ぬわけにはいかないのに!)
真正面に炎が迫り防ぎようのない死に直面するが、しかし炎は魔術により阻まれた。シルヴィア以外の者による防御魔術であることは明白だ。次に対面していた竜人は力を失い地面に倒れる。
竜人の上にいたのはギルバートだった。彼は剣を、竜人の脳天に突き刺していた。地面に降り立ったギルバートはシルヴィアを見た。
「よお、元気そうで良かったぜ」
ヒト族は感情を隠すのが上手い。それでも彼が浮かべた微笑みの中に、哀憐が浮かんでいることにシルヴィアは気がついた。ギルバートはシルヴィアの様子を見てその死を察したらしい。
「団長はあっちの方で竜人を殺しまくってる。フィオナ嬢が白銀と単独で戦いに出ちまったんで一瞬は戸惑っていたが、すぐに持ち直したらしい。あの男はやはり竜を殺している時が一番生き生きとしているぜ」
シルヴィアは彼の言葉に答えようとしたが、咳き込み出たのは血だけだった。はは、とギルバートは笑う。
「竜人がこっちに向かったんで何かと思えば、見上げた善行を積もうとしていたとは。竜人の娘を庇うなんて、宗旨変えしたのか?」
「貴方こそ、こっちで戦うなんてしなくてもいいんですよ」
声を振り絞ってシルヴィアはそう言った。
彼も竜人を殺すためにルイ・ベルトールの隊に入った。竜人を生かすために戦うシルヴィアに加勢しなくてもいい。
「お前と飲んだ酒は美味かった。死に際に一人は寂しいだろ。最期まで一緒にいてやるよ」
言いながら、ギルバートはシルヴィアの隣までやってきた。
彼の言葉に虚勢が剥がれ落ちていくようだった。友情が素直に嬉しかった。別の竜人が迫るのが見える。だからまだ、虚勢を崩すわけにはいかない。最後まで自分の望む自分でいたかった。強い兵士として死にたい。
それでも先程の孤独は薄れ、誰にも知られることにない安堵を心のうちに抱えながらシルヴィアはギルバートに微笑みかけた。
「貴方って案外いい男ですね」
「なんだ、今更気づいたのか」
人生最期の軽口を、ギルバートはいつものように笑い飛ばした。
◇◆◇
白銀は一定の距離を保ったままフィオナに付いてきた。
白銀はフィオナより速い。そのことに気がついたのは、目的地である渓谷の姿が見え始めた頃だった。
いい加減にしびれを切らしたのか白銀は飛行の速さを上げまたたく間にフィオナに追いついた。つまり手心を加えていたということだ。二人の距離は徐々に縮まり、ついに彼はフィオナのすぐ背後に迫った。
フィオナは彼よりも上空を飛ぼうとしたが、わずかに早く上へと回り込まれる。そのまま彼は鋭い爪をフィオナの胴にめり込ませた。
白銀はフィオナに危害を加えることにしたようだ。命さえあれば、後に治癒を施せるということだろう。
爪を逃れようとフィオナは体をよじるが、ますます強く体に食い込む。そのまま白銀はフィオナの首を咥えると急降下した。
二体の竜は大渓谷へと落ちていく。フィオナは気を失いかける。
(あ……無理)
そもそもが無理だった。東大陸を統べるほど力のある竜人に、たった十六年しか生きていない自分が挑むなど――。
白銀は鋭い岩壁にフィオナの体を押し付けたまま飛行する。潰された果実のように自分の血肉が岩に跡を残していくのをフィオナは見た。だが逆にそれが心を奮い立たせる。
(いいえ、無理じゃない! わたしがやらないといけないのよ!)
思うのは、ひたすらにルイのことだ。あの人が、もう二度と悲しまないような世界を作りたい。
その時、フィオナの肩にずっと止まっていた人工精霊のルミナシウスが、まるで戦いを仲裁するかのようにぱっと白銀の顔の前へと躍り出た。当然それで戦闘が収まるわけではないが、虚を突かれた白銀の動きが瞬間的に止まる。
フィオナは白銀の体に爪を立て引き剥がし、逆に渾身の力で尾で弾いた。白銀は崖下の剥き出しの岩肌へと墜落する。衝撃で幾つもの岩が剥がれ落ち、川へと落ちていった。
すぐに彼は体勢を立て直し向かってくる。フィオナは口から炎を吐いた。手加減などしていないつもりだったが、白銀は炎の中から姿を現す。傷を負っているものの致命傷には至らなかったのだ。
白銀はフィオナの体を掴むと、自らの体ごと岩に叩きつけた。体が潰れ、骨が内蔵に突き刺さる感覚がした。
フィオナは遂に竜の姿を保っていられず、人の姿に戻る。呼吸の音がおかしかった。
「そんなに傷付いて、可哀想に。大丈夫、すぐに治そう」
塔でいつも聞いていた優しい声が聞こえる。白銀も人の姿となり、フィオナの体を抱えていた。
「愛しい私のフィオナ。また元の暮らしに戻ろうじゃないか」
目の前で、悲しげな瞳が揺れている。彼が見ているのは自分ではなくフィオナ・ラインの姿だ。
フィオナの中に、再びフィオナ・ラインの記憶が流し込まれる。白銀が魔術を用いてフィオナの頭に干渉しているのだ。
(失いたくない――手放すわけにはいかないのに……)
ようやく得た自分の心を失いたくないと朦朧とする意識で必死に抵抗するが、少しずつ、塔を出てからの記憶が薄れていく。代わりに支配するのは、胸が締め付けられるほど懐かしく虚しいフィオナ・ラインの思い出だ。
フィオナは涙を流す。きっと父と母の暮らしは、優しく、希望と愛に満ちた穏やかで光り輝くものだったのだろう。もしも王国が母を殺さなければ、自分もその愛情あふれる家族の中で誰も憎まずに生きていたはずなのに。
(わたしは……わたしは……)
徐々に自分の思考が消えていく。己とフィオナ・ラインの境界が薄れていく。目の前にいるのは、誰よりも愛する番で、この大陸を統べるただ一人の王だ。どうして塔を出たのだろう。彼の側に戻らなくては。
空気を揺るがすような竜の咆哮が聞こえたのはその時だった。フローダストの声だと、フィオナは気がついた。




