彼女の命が尽きる時
「ったく、どうして私がお守りなのよ」
天空城が落ちた跡地で、三人の少女を前にしてシルヴィアはそう悪態を吐いた。
――足手まといになるなら付いてこなけりゃいいのに。
目の前にいる竜人の少女等は天空城でフィオナの侍女として選ばれた者たちで、どうも彼女に感化され城の陥落の際に付いてきたらしい。
いずれも数十年しか生きていない若者で、シルヴィアの言葉に怯えたように目を見開いた。ルイはこの少女等を戦闘向きではないと考え、見張りをシルヴィアに一任した。その他の竜人達は容赦なく戦闘に駆り出されることになっていたが、中に間者がいるとも限らないため、気の抜けない状況となっていた。
「お手を煩わせてしまって、ごめんなさい」
少女のうちの一人が、おずおずとそう言った。
「わたし達、フィオナ様のお役に立ちたい一心で、みんなで相談してお側に来たんですけど、逆にお邪魔になってしまって……」
言った少女の名はモネアという。シルヴィアは髪の色で彼女等を覚えた。紫色がモネア、金色がクロエ、灰色がレティスだ。
見る間にモネアの目に涙が溜まり、シルヴィアは居心地の悪さを覚えた。フィオナにしても彼女等にしても、純粋そのものの少女等を前にするのはきまりが悪い。自分がはるか昔に捨てた純真が疼くような心持ちになるからだ。
「さっきの言葉はよくなかったわ、謝る。ごめんなさい。だけど戦場じゃ水だって大切な資源なんだから、無駄にしない方がいいでしょう? ほら、泣かないで」
言って涙を指で拭ってやると、少女等の顔にわずかに笑顔が広がり、シルヴィアも口元を引き上げ無理やり笑みを作ってみせた。内心の心境は複雑なものだった。
竜人を殺すためにひたすら戦い抜き、憎しみと怒りを糧に奮い立って来た。だがここに来て、竜人と共同戦線を張ることになるとは思いもよらないことだった。
(だけど、この子達だって我々と変わらないのよ)
自分の境遇はひどいものだった。きっと誰が聞いてもひどいと言うだろう。故郷に攻めてきた竜人によって捕えられ、奴隷として生きてきた。親兄弟は死に絶えて、自分だけが生き残った。それが一部のはぐれ者の竜人の暴挙だとは知っていた。他の種族の中にもそのような者達がいることも知っていた。だがシルヴィアにそれをしたのは竜人だ。だから、許すことができない。
だが一方で、シルヴィアは自分のような女達を二度と出さないために兵士になった。誇りと尊厳を踏みにじられ、意思を奪われた家畜のような生き方を、どの女にもさせたくはない。
この少女等を守ることも、きっと後の世の平和につながるのだろうと、そう自分を納得させ、そうして悪態を吐いた罪悪感に駆られた。
「貴女達の考えは立派だわ。フィオナの支えになっている。彼女は貴女達を誇りに思うはずよ」
さらにそう付け足すと、少女達は顔を見合わせ照れくさそうにはにかむ。シルヴィアはこの言葉がルイから、自分に言われたい言葉なのだと気がついた。
(我ながら底の浅い言葉だわ。私は彼の役に少しでも立っているのかしら)
今も指揮官等と休まずに議論を交わしている彼に思いを馳せる。
精神も肉体も平常とはかけ離れているだろう。見ていて痛々しいほど傷ついているあの彼を、一体何が動かしているのだろうか。
彼の心境はいかなるものだろう。以前はシルヴィアと同様、竜人への憎しみが彼の原動力だったはずだ。だが今は――。
(あの人はフィオナに惹かれている。もう純粋に、竜人を憎んではいられない。……私と同じく――)
ああまったく、フィオナになど出会わなければ我々の精神はまだまともでいられたはずなのに。
反竜派の英雄として、雑念の一切ない戦闘狂いでいられたのに。
たった一つの出会いが、これほど大勢の運命を変え大きなうねりとなってしまうとは。
ルイを思うと同時に、シルヴィアはフィオナのことも思った。
美しい少女だ。儚げな佇まいの奥に潜むのは、灼熱のような意思だった。急速に彼女は芽吹いた。何も知らぬ少女から、人生を切り開く女性へ、そして次は人々を導く王へとなろうとしていた。
(もしかすると彼女なら、数百年続くこの大陸の混沌に終止符を打てるかもしれない)
誰もが夢見る平和な世が、ついに訪れるのではないか。かすかな希望にすがることの愚かさは骨身に染みるほど知っているはずなのに、またそんな夢を見た。
その時ふいに、何かの気配を感じてシルヴィアは周囲を見渡した。
天空城の瓦礫の側で兵士が数人休んでいる。天空諸島の真下のこの地は平野が続き、その先に森がある。更に先には高い山々がそびえ、雪をかぶっていた。とりたてて異変はないように思える。
だがそうではなかった。
目の前の少女達がほとんど同時に体を強張らせ、瞬間、空の彼方で何かが光った。それが巨大な竜の姿であると気づいたときには、すでに相当な近距離まで接近を許していた。気付いた見張りが空に向けて緊急を知らせる光の礫を魔術により放ったが、それより早く岩石が空より降ってきた。
「避けなさい!」
シルヴィアは少女達にそう叫び防御の魔法陣を出現させるが、数が多く勢いのある岩石が魔法陣を壊していく。幾千本の矢を浴び続けるような猛攻にしばし防御に徹することしかできない。
モネアとクロエは上手く岩石を躱したようだが、魔法陣よりわずかに外にいたレティスは恐怖により動くことができない。シルヴィアは咄嗟に翼を広げ、彼女に覆いかぶさった。二度と飛べない翼だが、盾の代わりには多少はなる。
落ちてきた岩石は鋭くシルヴィアの体を複数箇所貫いた。肉が裂け血が熱となり外へと吹き出す。シルヴィアは悟った。
(ああ――――――…………致命傷だ)
内蔵に深く突き刺さる岩の破片は、容赦なくシルヴィアから温もりを奪い去る。
(竜人を庇って死ぬなんて馬鹿みたいだわ)
今までの生き方では考えられないほど滑稽だ。自嘲しようと口の端を上げたが、漏れたのは意外にも安堵の微笑みだった。なぜならシルヴィアが庇ったレティスにはほとんど傷がなかったからだ。少なくとも、守ることはできた。
「あ……あ……シルヴィアさん……」
レティスは青ざめ、シルヴィアを凝視し、次には治癒の魔術をかけ始めた。シルヴィアは意識が閉じていくのを感じたが僅かに繋がる思考の糸を断ち切らせまいと手繰り寄せた。
(――まだ体は動く。最期まで戦うのよ。私は兵士だから)
数度瞬きをすると灰色に染まりかけた視界に色が戻る。一呼吸、吸って吐き、息を整える。精一杯、平常時と同じ声色を作り、魔術を作るレティスの手を握って止めた。
「手当はいらない。それよりも自分のために力を残しておきなさい」
刺さった岩石を引き抜きながら、ゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。
竜人の奇襲により、場は一気に混乱状態となっていた。シルヴィアが確認できた敵の竜人はいずれも竜の姿となり、兵士らを蹂躙していた。天空城から逃げ去った者のうち白銀側に付いた竜人達だろう。少なくとも、二十体を越えているように見えた。
耳に、誰よりも信頼する男の声が響いたのはその時だった。
「聞け! 敵の数は多くない。隊同士で固まり、上空に防御壁を作れ!」
温かく、優しく、力強い。恐らくこの声を聞くのは最後だと思い、その一つ一つをシルヴィアは耳の奥に焼き付けた。
「残りは竜人を仕留めることに精力を注げ! 勝利は我々にある! 生きてまた必ず会おう!」
ルイの声はどんな時だって不思議とよく通り、皆の心を奮い立たせる。
混乱状態だった周囲が呼応するように上空に魔法陣を作り上げた。天空諸島を削っていた竜人達の攻撃は弱まり、味方兵士に余裕が生まれる。
シルヴィアの体からも痛みが引いていく。たとえ戦闘の興奮状態からくる一時的な緩和だとしても、ルイの存在に支えられたことには違いなかった。シルヴィアは立ち上がり、涙を流しながら怯える少女達に言った。
「私の側に寄って! 貴女達をこの場から逃がす!」
戦闘経験のない彼女等は戦えない。言った側から口から血が流れていく。だが痛みはもうなかった。
――これが最後の自分の使命だ。
そんな風に、シルヴィアは思った。




