ルイ・ベルトールと恋の病
フィオナが目を覚ましたのはテントの中だった。バルスロットとの交戦により負傷した傷は丁寧に治療されたらしく、跡形もない。
体を起こすと、横たわっていた簡易式のベッドの上に、上半身を突っ伏して眠るルイの姿を発見する。目を丸くした後で、ほんの少し心が弾んだ。
(ルイ様が眠る姿を間近で見られるなんて珍しいわ!)
移動中も山間の村でも、彼はフィオナより後に眠って先に起きていた。
眠る彼は一切の苦悩から解放されているように見えた。密度の高い漆黒の睫毛が閉じた瞼を覆っている。
(綺麗な人)
そっと頬に触れる。血の通った温かさを指に感じた。
(わたしの番――)
愛おしさが胸に溢れる。愛おしくて愛おしくてたまらない。たとえ叶わぬ愛だとしても、愛している。死ぬまでずっと。
(大好き)
その髪の中に顔を埋めて息を吸い込むと、彼の匂いで満たされた。
「うん……」
小さな声をルイが発し、フィオナは慌てて顔を離し、何食わぬ顔で彼に笑いかけた。
「おはようございます。わたし、随分寝てしまったみたい」
ルイも体を起こすと数度瞬きした後で言った。
「ああ、フィオナ、目を覚ましたかい。すまない、私も眠ってしまったようだ」
フィオナは改めて、ルイの姿をまじまじと見た。失った目と手は相変わらずだが、他に傷はなさそうだ。天空城を攻め落とした――文字通り落とした事実などまるで夢であったかのように思えた。
「わたし達、本当に勝ったんですか……?」
戦闘は永遠のように長い時間のようにフィオナには感じられていた。だが実は、開戦から幕引きまで、半日も経っていないとのことだった。
「朝食を食べる時間に始まって、昼食の前には終わっていたよ」
と、ルイは言う。
フィオナは一行を地面へと無事に下ろした後、丸一日、眠りこけていたとのことだった。
「わたし、ちゃんとお役に立てたのでしょうか?」
「立派だったよ。本当に、立派だった」
ルイがそう言って笑うから、フィオナはそれだけで幸せだ。
「みんなはどこに?」
この背に乗せた感覚がまだ残っている。
「シルヴィアとギルバートは別のテントにいる。ノットも一緒に脱出して、今は外でぼうっとしているよ」
「ジャグさんは?」
ルイは優しげな微笑みとともに言った。
「……ジャグは傷が深く、戦線を離脱した。連邦国に戻り、家族の元で療養させることにしたんだ。フィオナに感謝を伝えていたよ、先を急ぐため挨拶できずにすまないと言っていた」
そう、と言ってフィオナは目を伏せた。崩れ落ちる島の中で、ジャグは意識がなかったように感じていた。気がかりだったのだ。
フィオナは再び顔を上げ、ルイを見つめる。
「ねえルイ様。わたしが白銀様を倒したら、一日だけ、わたしにくださいませんか」
少しの間の後で、返事がある。
「いいよ。どうして」
「街を歩いてみたいんです。ルイ様のいるメリア連邦国がいいな。二人きりでゆっくり歩きたい。わたし、そういうところに行ったことがないから」
ルイの視線がフィオナの顔に留まり落ちていった。
「ああ、分かった。必ずそうする」
言ってから彼は立ち上がった。
「すまないが、部下のところに行ってくるよ。私も存外長い間眠ってしまっていたみたいで、待たせていると思うから」
ルイの顔の周りに、青白い光が纏わりついた。ルイはその光に親しげに笑いかける。
「やあルミナシウス、フィオナを頼むよ」
かつての自分の名と同じ名前の人工精霊をどう考えているのか正確なところは不明だが、少なくとも嫌悪はしていないようだ。
戦闘中、壊れないようにとルイの荷物の中でじっとしていたルミナシウスは久々の開放感に喜んでいるように見えた。
ルイが外へと出ていくと、ルミナシウスがフィオナの頬に触れた。その瞬間、フィオナの両目から涙が溢れた。慌てたようにルミナシウスがフィオナの周りを飛び回る。
「大丈夫……。大丈夫よ」
心配げなルミナシウスに、フィオナはそう答えた。
(ルイ様は嘘つきだから)
嗚咽が漏れないように必死に毛布で口を塞ぎながらフィオナは泣いた。
(助けられなかったんだ。ジャグさんは死んだ)
ジャグ・ダガーは死んだのだ。フィオナは彼を助けることができなかった。
ルイは、フィオナを安心させようと、また嘘を吐いた。歯を食いしばり、声を押し殺す。
(わたしは戦い続けなくちゃならない。人の死を背負っているのだから。ルイ様は、わたしが戦うことを望んでいる。わたしが戦いを放棄しないように、ジャグさんが生きていることにしたんだわ――)
ルイの嘘は、フィオナを戦わせ続けるためだろうと、そう思った。
◇◆◇
ルイはギルバートとシルヴィアがいるテントに入るなり言った。
「ジャグは生きていると彼女に言った。君等もそういう風に振る舞ってくれ」
どこからか入手した酒を飲んでいたらしい二人は顔を見合わせ、代表してシルヴィアが言った。
「なぜそんな嘘を……?」
「彼女を悲しませたくない。ただでさえ巻き込んでしまったのだから、余計な心労はかけたくない」
そのための嘘ならば、ジャグは許してくれるだろう。二人がまだ何も言わないうちに、胸の中を吐き出すようにルイは言った。
「白銀を倒したら、街を案内すると約束した。あのくらいの娘が何をしたら喜ぶか君達なら分かるか? 服を買うのだろうか、美味いものを食べるのだろうか。貴金属か? 花束などを送るべきか?」
「怖……」
ギルバートが顔を引き攣らせそう言う。
シルヴィアが自分の額とルイの額にそれぞれ片手を当てて熱を測り、しかめっ面で言った。
「うーん。熱はなくはなさそうですけど」
彼女の口からは微かにアルコールの匂いがした。
「望みを何でも叶えてやりたいんだ」
とルイはなおも素早く言った。
「一日だけじゃなく、何日も、何日だって彼女に捧げたい。これは彼女に対する罪悪感からくるのだろうか。あるいは命を幾度も救われた感謝故なのだろうか」
またしてもシルヴィアとギルバートが顔を見合わせ、お前が行けとでも言いたげに双方が顎でルイを指した。
だが二人はどちらも口を開かず、ルイもまた止まらない。
「ついさっき、彼女がとても切なそうに私の髪に顔を埋めていた。なんとか理性で抑え込んだが、正直言って危ういところだった。戦地のど真ん中であるという事実が、限界のところで私を留めたが、たまらずテントを飛び出してしまった。なあ、分からないんだが、罪悪感や感謝だけでこんな風に思うものだろうか?」
ギルバートは飲みかけの酒を飲み込むことを忘れ口から垂らし、信じ難い阿呆を見るかのような眼差しでルイを見つめていた。
シルヴィアにしても半眼開いた顔でルイを見る。
「重症です。もう手遅れ」
ううん、とギルバートが咳払いをする。
「なあ団長。知ってるぜ、そりゃ恋の病だろ」
真面目くさった顔で彼は軽口を叩く。
「あの美しさの娘に一途に惚れられて、落ちない男はいない。ましてや番なんだろ。仕方ねえよ、自分を許してやれ」
だがルイは顔面蒼白になり、首を横に振った。
「あり得ない。私には婚約者がいるんだ」
「俺の故郷の貴族の中には伴侶を複数迎える奴もいたぜ。あんたもそうすりゃいい」
「それは婚約者に対する裏切りだ。私の愛を一心に受けるのは彼女だけでなくてはならない」
「あんたはそればかりだな。本当にその婚約者の娘を愛しているのかよ?」
喉元に声が詰まりかけたが、堪えて発する。
「愛しているさ、誰よりも」
――愛している。間違いなく愛している。スレイヤ・ベルトールは生き残らなくてはならない。彼女の誇りを竜族によって曇らされてはならない。
他の誰かをルイ・ベルトールが愛してはならない。そんな噂が流れたら最後、スレイヤの誇りが傷ついてしまう。
はあ、とギルバートが悩ましげにため息を吐いた。
「なあルイ・ベルトール。あんた、自分で言ってることの矛盾に気づいていないのか? 俺にはフィオナ嬢が好きでたまらないって言っているように聞こえるんだが」
こら、とシルヴィアがギルバートの頭を軽く小突いた。
「あまり団長を虐めてあげないほうがいいですよ、恋なんて自覚したら突き進むだけですもの。これ以上心労を与えたら可哀想でしょう? 団長は、恋愛に関しては純情な少年のまま成長していないんですから」
と、シルヴィアはそう言い、無自覚にルイに追い打ちをかけた。
(恋……。恋……?)
恋をするなどあり得ない。
恋などと、自分の人生に現れたことのない概念だった。いや、知識としては知っていたが、自分には起こり得ないもののはずだ。そんなものにうつつを抜かす暇はない。脳裏にフィオナ・ラインの姿が浮かびかけたが、頭を振って思考を払った。
「止してくれ、そんな話はどうでもいいんだ」
あんたがはじめたんだろ! というギルバートの言葉を無視してルイは言った。
「天空城を落とした。流石の白銀も我々を追ってくるだろう、迎え撃つ準備を整えなくては。そう、そのための相談をしたくてそもそも君等と話そうと思っていたんだ」
まあ確かに、とギルバートも酒を置いて真面目な顔になる。
「満身創痍の俺達がいるせいで、あの娘はフローダストとバルスロットを追えなかった。奴らが白銀と合流するかもしれんな。その前にどこかでおっ死んでくれていればいいが、楽観はできない」
「竜族の幾人かはあの子の姿を見てこちら側に寝返っていますが、完全に信用もできませんしね。だけど白銀王の番殺害の任務から、こうも広がるなんて思っても見ませんでしたよ」
ふう、とシルヴィアは息を漏らした。
「それにしても、私はフィオナが可哀想でなりません」
彼女の名を聞いた瞬間、ルイの思考はまたしても止まった。
「フィオナ……フィオナ……」
「おい! しっかりしろよ!」
苛立ったギルバートに平手打ちをかまされ、正気はやや戻って来る。
(――おそらくは)
とルイは思った。フィオナに抱く感情についてだ。思考はまだ彼女から離れない。
おそらくは、全てなのだ。一つではない。罪悪感と感謝と、愛情と庇護欲と――そのほかにも幾つかの、彼女に向く全ての感情が、ルイを途方もない腑抜けに変えてしまった。憐憫、そうして恐怖、畏怖、尊敬。
感情の渦が、鮮やかに躍り出る。己の中に、これほどまでに新鮮な感情が埋まっていたなんて思いもよらなかった。
「もう無理だ、耐えられない。狂いそうだ、助けてくれ」
すがりつくようにして目の前のギルバートに言うが、彼は苦笑しただけだった。
「そいつは自分で飲み込むしかねえんだな。狂ってもいいが、外でしてくれ。ここは神聖な酒飲み場だから」
冗談交じりにギルバートが酒瓶を掲げてみせると、分かった、とルイは頷いた。
「しばらく外で狂ってくる」
そう言い残し、ふらつく足取りでテントを出た。
――本当に行っちまったぜ、と驚愕しながらシルヴィアに言うギルバートの声が聞こえていた。
お読みいただきありがとうございます!
楽しんでいただけていたら嬉しいです。
さて、10月いっぱいくらいまで少し私用で忙しくなりそうなので更新ペースが落ちます。よろしくお願いします。




