天地逆転
対面するのは通名烈火、真名をバルスロットとする竜人に間違いなかった。矢のような豪速でこちら目掛けて飛んでくる彼を前に、フィオナは再び竜の姿になると、ルイを掴んで飛翔した。
突進が外れたバルスロットは空で体勢を変え、城をくるりと振り返り、同族に向け叫んだ。
「私に従え貴族ども! 敵を討った者は重用してやるぞ!」
その号令に、数十人の竜人が従った。
ルイはフィオナの腕を離れ背に乗ると、そのまま竜人達に向かって走り出した。フィオナの背から空を飛ぶ別の竜人に飛び移り、その頭蓋目掛けて一直線に剣を突き刺す。いつものようにギルバート等の魔術による足場はない。
別の竜人の背に乗ると、向かってくる竜人に剣を振るう。何人も、何人も、竜人を殺した。フィオナがバルスロットと戦う邪魔をさせないために。
空は混戦状態だった。
フィオナはバルスロットに向かって飛ぶ。大きさは同じくらいだ。押し負けることはない――。だが相手の方が戦闘慣れしていた。
バルスロットは飛んでくるフィオナを宙をそり返り躱すと、尾で体を攻撃した。
フィオナの鱗が剥がれ落ち、悲鳴が青空に響き渡る。飛んでいられずに、彼女は島に叩きつけられた。衝撃で、島を支える地面の端が崩れる。フィオナが自力で治癒の魔術をかけている間にも、バルスロットがとどめを刺しに飛んでくる。
それを見たルイは竜人との交戦に背を向け、フィオナの元に駆け寄ると、その体を走り登り、向かってくるバルスロットに向けて飛び上がった。
(片翼を落とす――!)
バルスロットはその動きを予期していたかのように翼を折りたたむが、ルイが一手早かった。翼を切り落とすには至らないものの、片翼に傷をつける。宙を浮く形になったルイは、そのまま島に激突した。
再び飛翔が可能なほどに回復したフィオナが起き上がり、怯んだバルスロットの喉元に噛みついた。赤い竜から血が噴出する。
そのままフィオナは、バルスロットを島の地面に叩きつける。島は再び、轟音を立てながら一部が崩れ落ちていった。
ルイは一瞬、その竜同士の戦いに目を奪われてしまった。これほど凄まじい戦いは見たことがなかった。加えて、視界が悪かった。左目を失ったことにより、左側に死角があった。
だからその気配に気づくことが遅れてしまった。
目の端に、何かが光る。顔を向けたときに認識できたものは、人の姿で怒りに満ちた表情を浮かべたフローダストと、彼が放った攻撃の魔術。それからおそらく、この至近距離から彼が放った魔術を浴びれば、自分は死ぬだろうということだった。
高温の熱と眩い光が炸裂し、ルイは目が眩む。
だが不思議なことに、痛みはなかった。
再びの咆哮が聞こえた。それがフィオナが放ったものだとルイは気がついた。王族が放つ咆哮は、同族にとっていかほど恐ろしいものなのだろうか。
竜人達は体が竦み動けない。代わりに彼女の命令に従ったのは、さほどの理性もない使役竜達だった。
本能のみで生きる生物達が、バルスロットとフローダストを襲い始める。
フローダストは竜の姿になり使役竜達を振り払おうとするが、いかんせん数が多い。加えて、彼の両翼に魔法陣が出現し、間をおかずに爆発した。
ルイが目を向けると、ギルバートと助け出されたシルヴィアが側にいて、それぞれが魔術を放っていたらしかった。
両翼を負傷したフローダストは断末魔の叫びを上げながら、島の外、遥か下の地上へと落ちていく。
そこでようやく、ルイは自分の命が救われた原因を見た。無意識のうちに彼を抱えていた。
「ジャグ」
ルイの左腕の中には、体がズタズタに引き裂かれたジャグ・ダガーの姿があった。
「死ぬな。おい……おい! 治療してくれ!」
だがシルヴィアもギルバートも動かない。致命傷に治癒の魔術は意味を成さない。無意味なことをするのなら、攻撃のために魔力を温存すべきだ。双方苦渋に満ちた表情を浮かべてはいたものの、実に理性的だった。
「俺の間抜けのせいで、お前が死ぬことはないだろ!」
ルイはジャグに向かってそう叫んだ。
だがジャグの命は瞬く間に消えていく。光を失っていく虚ろな瞳は、それでも最期までルイを映そうとするかのように見開かれていた。ジャグの口が動いたが、言葉にはならない空気が漏れただけだった。
護衛であり、時に父代わりであり、命の恩人でもあり、忠実な臣下であったジャグはルイの腕の中でこと切れた。最期に会話を交わすことさえ叶わないまま。
ルイの目に涙はない。
ただ枯れ果てた荒野のような乾いた虚しさが広がるだけだ。
悲しみに浸る時間もない。
フィオナが今もバルスロットと戦っているからだ。
「フィオナの、援護に行かなくては……!」
ルイがそう言った瞬間、空に悲鳴が響き渡った。バルスロットがフィオナの胴に噛みつき、そのまま肉を千切ったのだ。
空に放り出されたフィオナが竜としての姿を保っていられず、人の少女の姿に戻るのが見えた。
フィオナを助けるのではなくバルスロットを狩りに行くべきだ、とルイは思った。だが思った時には既にフィオナに向かって走っていた。間一髪、フィオナの体を、島の縁で受け止め、そのまま二人し島側に倒れ込む。彼女は重症だったが、意識はある。
「殺さなくちゃ、あの人を」
バルスロットを殺しに向かわせるべきだ、とまたしてもルイは思った。だがあまりにも痛々しいフィオナを前にして、抱きしめる以外に体が動かなかった。
城に仕える竜人達はバルスロットとフィオナのどちらに加勢したらよいか考えあぐねているようだった。使役竜達がバルスロットに果敢に挑んでいるが、無惨にも殺されていく。
シルヴィアがフィオナの治療に当たり、ギルバートが単独でバルスロットに向かっていくのを見て、ようやくルイも立ち上がった。
その時、思いも寄らない加勢がある。
「うわああああ!」
と叫びながら城の上階の窓から飛び出し、バルスロットの体に着陸し頭に向けて走る者がいたのだ。
驚くことに、それは獣人のノット・ティルティガーで、持っていたらしき短剣を竜の頭蓋に突き刺した。だが致命傷には至らず、バルスロットは彼を振り払うように体を大きく振るう。ノットは受け身を取りながら地面に転がった。
ノットが作った時間により、フィオナがバルスロットの真下で三度竜に姿を変えることができた。その胴を咥えると体を空の方向へとよじり、体重をかけて地面に抑え込んだ。ギルバートとシルヴィアが援護する中、ルイは剣を握りバルスロットの頭蓋に狙いを定める。
今再びの王族殺しに、魔剣の歓喜が伝わってくる。ルイもまた、歓喜していた。
だが剣を振り上げ彼の頭に突き刺そうとしたまさにその時、地面が大きく傾いた。
「島が崩れるぞ!」
ギルバートがそう叫んだ時には、ルイの足場も崩れ落ちる。シルヴィアが本能的に白い翼を出現させるが、傷ついた彼女の翼では意味を成していなかった。
規定外の衝撃を受けた島は浮力を失い、形を保っていられない。
フィオナがバルスロットから体を離し、ルイ達を捕まえ背に乗せる。
天空城が地に落ちていく。
竜人達が次々に逃げていく。
ルイの目に、島の地面と共に空中に放り出されたノットの姿が映った。
「フィオナ! 彼に寄ってくれ!」
地に向けて高速で移動するのは居心地が良いとは言えないが、ルイもフィオナも迷いなく、彼の側に身を寄せた。
「来いノット!」
ノットはルイが伸ばした手を見て瞬間瞳を揺らしたが、揺れた瞳を隠すようにきつく目を閉じると再び開き、強く頷くとルイの手を掴む。フィオナは彼も背に乗せて、島の瓦礫を避けながら空を飛んだ。
遥か上空から大陸を支配していた天空城は、その形も残さずに、地へと叩き落されていた。
◇◆◇
フローダストが落ちたのは天空城のすぐ下の森の中であった。息も絶え絶えだが、生きていた。竜の姿のまま、自らの体に魔術により治療を施す。
「手負いだ! 殺せるぞ!」
そう叫びながら木々の間から現れたのは武器を持った兵士たちだった。
――敵兵どもだ、とフローダストは思った。
兵士をかき分けるようにして、一人の男が現れた。ヒト族の男で、身なりからして指揮官級だろうと思われる。彼はフローダストに向けて言った。
「私の名はレオニール・ローズデール! 我が信条により貴様を討つ!」
聞き覚えのある名はマウンバレートの領主のものだ。
男はそう叫ぶやいなや、持っていた剣をフローダストに向けて振りかぶった。
フローダストは向かってくる剣を体をよじり躱そうとしたが、回復途中のままならない体では受けざるを得なかった。
太刀筋は悪くない。竜を殺す度量もある。だが致命傷には程遠い。刃先は首筋に浅く入ったのみだった。
「ルイ・ベルトールの剣と比べると、木くずの棘が刺さった程度だぞ」
フローダストがそう言うと、男の顔に恐怖が浮かぶ。刺さった剣をそのままに、フローダストは自らの口に男の頭を咥えると、首を振り胴体と切り離した。胴体が兵士の中へと飛んでいき、口の中の頭を吐き出すと、彼等は怯んだようである。
ざわめきの末に放たれた攻撃魔術が当たる前に口から炎を吐き出し、兵士たちを焼き切ると、再び天に向かって飛び上がった。治療途中の負傷した翼に激痛が走るが、飛行は辛うじて可能であった。
フローダストは目を見張る。
目の当たりにしたのは、崩れ落ちる島と、逃げていく臣下達、そうして意識なく地に落ちていく父の姿だった。
(父上……!)
フローダストは気絶している父に向けて飛び、その体を無我夢中で掴む。
気配を感じて空を見上げ、そうして心臓が止まりかけた。
凍り付くような冷徹な視線でこちらを見下ろす美しい白銀の竜の姿があったからだ。
――フィオナ。
立場は逆転した。もはやここに、フローダストの居場所はない。
勝者は彼女だ。
フローダストは父の体を抱えたまま、空を一目散に逃げ出した。
フィオナは空中に留まったままで追ってはこない。代わりに心の底を見通すような黄金の瞳で、フローダストが飛び去る姿を見つめていた。




