フローダストの受難
天空城で、フローダストは事態の把握に努めていた。一室で対面していたのは白銀の奴隷であるノットだ。耳をピンと立て、困惑に満ちた表情で必死に訴えかける。
「俺の目の前で、フィオナ様が竜になったんです! それで、止める間もなく城を壊して行ってしまった! わ、わけが分かりません! あの方はヒト族だったはずです! お、俺の頭がおかしくなったってことでしょうか!」
ノットの頭がおかしくなっていただけだったらどれほど良かっただろうか。
彼の見ている前でフィオナは竜へと姿を変えた。ルイ・ベルトールを連れ去った竜人は誰も知らない者だ。いかなる愚者でもその答えが分かるというものだ。
フローダストが答えないでいると、おずおずとノットが問いかけてくる。
「……フィオナ様が竜人だったなら、どうして白銀様は彼女をヒト族だと皆に言っていたんです?」
「お前が余計な疑問を持つ必要はない」
口ではそう言ったものの、フローダストにも明確な理由は分からなかった。
ノットの瞳には困惑と疑念が浮かぶ。
「俺は竜族の方達が間違いを犯すことなんてないと思っています。だからきっと理由があったんだろうって、そう思うんです。でも。
フィオナ様を取り返そうとしていた際、竜人によって襲われている街がありました。老人も、女子供も、赤ん坊さえも死んでいた。理不尽だと思いました。だけどあれは、必要な犠牲だったんですよね? そうだと言ってくださいフローダスト様!」
「奴隷風情が、考える必要のないことだ」
懇願にも似たノットの言葉をフローダストは封じた。ノットの言う街の話は知っていた。烈火の命令を受けた黒百合がトリデシュタインを攻め落とすべく、忠臣を向かわせ落とそうとしていた街だった。
「フィオナ様が竜の姿になったことを、私の他に言ったか?」
フローダストの言葉に、ノットは力なく目を伏せる。
「い、いいえ、言ってません。こんなこと……」
「ではそのことを誰にも言うな。言ったら私が貴様を殺す」
ノットは怯えたような目をして黙り込んだ。
部屋を出たフローダストは、天空城の長い廊下を歩きながら考えた。
処刑場を荒らし烈火に傷を負わせルイ・ベルトールを連れ去った竜人を追跡すべく、すぐさま追っ手が放たれた。だが国を二つ越えた山脈付近にて遂に姿を見失ったという。未だ捜索を続けているが、見つかってはいない。
――白銀の番、フィオナは竜人だった。
その答えに、フローダストはたどり着いた。ルイを慕う彼女が彼を助けたという単純な話であれど、だが疑問は解決しない。
ノットが言うように、なぜ白銀は彼女をヒト族として育てていたのだろうか。番が貧弱なヒト族でなく、竜族であることは歓迎すべきことだ。
(しかも父をも上回る竜人が、どこから産まれたというのだ)
処刑の場にフローダストは赴かなかったため、竜としてのフィオナの姿をこの目で見たわけではないが、まるで白銀王のような美しい竜だったと目撃した者は話していた。
圧倒的な力を持つ竜族だが、その数は多くはない。あれほど巨大な竜になれる竜人ならば、確実にその親も魔力の強い貴族であると考えられるが、貴族であればすべてその出生は王族へと報告される。この十六年のうちに娘が産まれたという報告はない。
(何が起こっているというのだ)
困惑を胸の内に抱えながらも、フローダストは父の元を訪れた。フィオナと思しき竜人の一打により負傷した烈火ではあるが、控えていた魔術医により治療を施され、幸いにして大事には至らなかった。
烈火のいる寝所の扉を叩くと、入れと返事がある。フローダストの姿を見た烈火は大仰に頷くと人を払い、二人だけにした。
「父上、お体はいかがですか」
「問題ない」
魔術による治療が功を奏したらしく、ベッドではなく椅子に座る烈火に既に怪我は見当たらない。直立のままフローダストは言った。
「ノット・ティルティガーは、フィオナ様が竜に変化したと言いました。父上、例の竜人は――」
フローダストは言い淀んだが、烈火は断言する。
「あれは間違いなく、あの娘だ」
疑問は様々浮かんだが、最も懸念していることを口にした。
「前代未聞です。王族の番が、その兄弟を襲うなど。白銀様はなんとおっしゃっているのです」
竜族にとって、同胞殺しは重罪だ。それも同族の模範となるべき東大陸を統べる王の、その番が起こした問題となれば、竜王はさぞ怒り狂うだろうと思われた。フローダストも竜王である祖父の恐ろしさはよく知っている。許すはずがない。
だが烈火は、フローダストをまっすぐ見据え驚くことを口にした。
「白銀はここでの騒動を一切知らん」
フローダストは目を見張る。
「白銀様に、あの娘のことを報せていないのですか?」
ああ、と烈火は頷いた。
――父上は、フィオナ様には白銀様に報せを送ったとおっしゃっていた。
(なぜそんな嘘を)
ではあの東大陸の王は、今もまだ行方の知れない番の……番として育てた少女を――探し回っているということか。
疑問は表情に出ていたことだろう。烈火は口元をわずかに緩めると言った。
「フローダストよ、百年生きただけでは私の考えには及ばないか?
あれはフィオナ・ラインの生まれ変わりなどではない。あれは白銀の娘だ。兄は娘を番として育てていた」
背中に、冷たい汗が伝うのを感じた。
「子を? 自らの子を、妻にしようとしたというのですか……!」
許されざる狂気ではないのか。恐れを込めて尋ねたが、父の表情には一つの変化もない。
(父上は、それを知っていた。自ら突き止めたのか)
だがそう考えれば、あれだけの力を持つフィオナがどこから産まれたのか分かるというものだ。
番同士の子は、それ以外で子をなすよりも遥かに有能になると言われている。竜王の嫡男の子が番と作った子供であれば、世界を支配するほどの力を秘めていてもおかしくはない。
子を妻にする狂気が竜王に知られたら、王族からの追放は免れないだろう。だから白銀は、徹底的に彼女が竜族であることを隠さなくてはならなかった。
烈火は静かに言う。
「それほど白銀が、番を愛していたということだ。生まれ変わりを信じなければ狂ってしまうほどにな」
だが、と烈火は続けた。
「兄の悲劇は我等にとっての幸運だ」
父の言葉の意味をフローダストは図りかねる。どういう意味かと尋ねる前に、父の静かな瞳に気圧される。彼はフローダストを見定めているようだった。
「なあ我が息子よ、お前は王の嫡子のみが持つことが許されている通名が欲しいと思ったことはないのか」
――まさか。とフローダストは思った。父の考えが分かってしまった。
烈火は狡猾そうに目を細める。
「一番目に生まれたからというだけで、父は私ではなく兄を寵愛した。私の方が強い竜だというのに、これほどの理不尽はない。兄が気狂いを起こし、自らの子を妻にしようとしたのは、我等にとって好機ではないか?」
「竜王にそれを伝え、自らが後継者となるおつもりですか。そのためにフィオナ様のことを、貴方は探っていた……?」
ルイ・ベルトールは言っていた。フィオナを探る竜人がいたと。彼の言葉は正しかった。やはり烈火であったのだ。
だがフローダストは首を横に振る。
「ですが、その事実が判明したところで、位を継ぐのは第一王子の子であるあの娘で、父上、貴方ではないのでは」
は、と烈火は心底軽蔑したような笑いを発した。
「私の息子にしては、随分と初い考えだ」
その言葉の意味を考え、フローダストは遂に結論に至った。
「殺すおつもりですか」
烈火の口に浮かぶ笑みが、さらに左右に広がった。肯定だ。
「我等の敵は、今より白銀とその娘だ。狂気を起こした第一王子と、謀反を働いたその娘を生かしてはおけん」
フローダストは言葉が紡げなかった。地の底から闇が這い寄ってくるかのようだ。
(誰もが狂気を抱いている)
娘を妻にしようとしていた白銀も、白銀に代わろうとする烈火も、番の愛ゆえに同族に牙を剥くフィオナも、そうしてあの、ルイ・ベルトールも。
冷酷で残虐な拷問の場にいて、あの男は左目を抉られながらも右目を閉じることはなかった。あの場にいた全ての者を、その目に焼き付けているかのようだった。竜族に向けられた憎しみがあの男の活力になっていた。たった一人の無力なヒト族に対して底冷えするような恐怖を、フローダストは抱いたのだ。
フローダストは目を閉じた。
今は同時に、戸惑いも抱いていた。
(父上がすべきことは白銀様の目を覚まさせることであって、成り代わることではない。父上もまた、己の欲望のまま動いているに過ぎないのではないのか――)
同族を背後から切るような真似を、自らの父がしていることに対する戸惑いであった。




