レオニール・ローズデールの懺悔
「すまなかったあああああ! 許してくれええええええ! フィオナああああああああ!」
フィオナの目の前に、両手両足を大理石の床に付け、頭を何度も床に打ち付ける男の姿があった。窓から差す光を受けて輝く薄茶色の後頭部は、まるでお日様みたいだなとフィオナは思った。
彼の名はレオニール・ローズデール。
フィオナの母を裏切った男だった。
床に打ち付けすぎてレオニールの頭からは血が流れている。彼の部下達は唖然として見守ることしかできない様子だ。
ルイでさえも珍しく顔を引き攣らせ、怯んだように一歩後ろに下がっている。
ここまで簡単にことが進むとは思ってもみなかった。
集落から見えなくなった森の中でフィオナは竜の姿になり、ルイを乗せ領主屋敷にほど近い場所に再び身を隠し、ヒトの姿になった。前回の失敗を踏まえ服は予め脱いでいたため、素っ裸になることもない。
そうして領主屋敷まで向かった。
ルイが身分を名乗るとあっさりと入場が許可される。彼を象徴する魔剣はなかったが、衛兵の一人がルイをメリア連邦で見かけたことがあったらしい。
レオニールに会うと、ルイはフィオナを紹介した。「フィオナ・ラインの生まれ変わり」として。
だが紹介の必要などないほどには、フィオナが執務室に入った瞬間から、レオニールの顔面は亡霊を見たかのように蒼白だった。
その後はこの有り様である。彼は四肢を丸め床にへばりつき号泣している。母の記憶の通りなら三十九歳になっている男が、十六歳の少女に許しを請う姿は誰が見ても異様だった。
「罪を償うためならなんでも! なんでもする!!」
レオニールがそう叫ぶが、フィオナは呆気にとられて反応ができなかった。ルイに背を軽く叩かれて、やっと声を出す。
「わたしの仲間が天空城に囚われています。助け出すための兵と武器をください。わたしも今世では竜と戦うので」
「て、天空城を……?」
レオニールはようやく顔を上げたがその目は信じがたいとでも言いたげに見開かれていた。
「む、無茶だ。できるわけない! 皆死ぬぞ!」
「頭を上げていいとは言っていません」
フィオナの言葉に、慌ててレオニールは再び頭を床に付け、そのまま叫ぶ。
「天空城は鉄壁の要塞だ。加えて空を飛ぶ竜人どもだ、圧倒的有利な空からの攻撃に地上の兵達が持ちこたえられるはずがない!」
普通の反応はそうだろう、とフィオナは思った。彼はフィオナが、白銀と並ぶほどの魔力を持つ竜人だと知らないのだから。いつかの街での出来事のように、フィオナが命じれば使役竜達も寝返るかもしれない。勝機は十分にある。
だがフィオナの正体を伝えるつもりもない。
「何を恐れるのです。貴方は竜人達と一度戦い勝っているではありませんか。わたしを牢に入れるときですよ。忘れてしまったのですか? 随分前のことですものね」
微笑みながらそう言うと、レオニールの心の傷を抉ったのかまたしてもしくしくと泣き出した。
「君が死んで、僕は心の底から後悔したんだ……。後を追って死のうとさえ思った。だが僕には既に妻と子がいて、それで死ぬわけにはいかなくて……」
フィオナはぴしゃりと言った。
「そういう言い訳を聞きたいのではありません。兵を貸すと一言、いってくださればいいのです。もしわたし達に協力してくださるのなら、貴方の罪は女神様によって許されるでしょう」
永遠とも思えるような無言の時間が流れた。聞こえるのはレオニールの泣きじゃくる声と、この場にいる者達の呼吸の音だけだ。
「わか…………った……」
ようやくレオニールがそう言い、はあ、とルイがため息を漏らす気配がした。
「ではローズデール閣下。今後の話をしてもよろしいでしょうか」
無言で、レオニールは何度も頷く。フィオナに許されていないため、頭はまだ下を向いたままだ。
「話がしにくい。頭を上げさせてやったらどうだ」
というルイの言葉に、フィオナは冷静に答えた。
「……もう少しだけ眺めています」
◇
レオニール・ローズデールがマウンバレート国の領主に収まっていたという事実を聞いた時、些かフィオナは動揺した。彼の記憶も頭の中に残ってはいる。
フィオナ・ラインを愛し続けたが、愛を裏切られたと感じ、彼女が処刑へと至る道に大いなる貢献をした人物だ。
フィオナ・ラインがレオニールとの結婚を諦めたのは自分の意思ではなかったのに、とフィオナは思った。結果的に白銀の元で幸せになれたにせよ、他に母には選択の余地などなかった。
「恨むなんてお門違いだわ。当てつけで処刑させるくらいなら、他の男性に奪われる前に手を取って駆け落ちくらいすべきだったんです! そうもせずに自分は圧倒的に安全な場所から人に攻撃するなんて臆病者だと思いませんか?」
レオニールのところへ向かう途中でフィオナが憤慨していると、ルイは慰めるように言った。
「皆が貴女のように強いわけではないから、そうもできない事情でもあったんだろう」
別に自分は強くない上に、レオニールを庇うようなルイの言葉に反論したくなった。
「だけどルイ様だって、愛する人を殺させたりしないでしょう?」
まあな、とルイは答えた。それが同意なのか単なる相槌だったのかは分からないが、フィオナの怒りは少し収まる。
「だが白銀の番の処刑に一役買ったおかげでルカリヨン王国滅亡後も反竜の象徴として、彼はここの領主にまで抜擢され兵を動かせる立場にある。その臆病で弱い性格が我々の救いになるかもしれない。そういう性格でフィオナ・ラインに罪悪感を抱いているのなら、私達を助ける方へと容易く流されてくれるさ」
ルイはまじめくさって言った。
「我々の持ち駒はあまりにも少ない。使えるものは使わないと」
ルイの見立ては正しかった。
レオニールは二人に兵を与えることに同意したのだから。
◇
レオニールが各兵に命令を通している間、ルイとフィオナは客間に二人きりでいた。革張りの長椅子に隣同士で腰掛けながら、ルイは言う。
「女神がレオニール・ローズデールを許すと、本気で言ったのか?」
領主屋敷に派遣された医師によりルイの傷が見られ、失った片目には黒い眼帯がされていた。隠されていない方の目が、フィオナに向けられている。
「本気のはったりです。ルイ様を真似してみました」
レオニールを前にして口からスラスラと根拠のない言葉が飛び出して、あの時、内心でフィオナは驚いていた。ルイを真似ての大見得だが、案外小気味よいものだった。
フィオナの言葉に面食らったような表情を浮かべたルイだったが、「なるほど」と呟き小さく頷くと、こう問いかけてきた。
「貴女は許すのか」
フィオナは少しの間、考えた。レオニールを許す、許さないといえる立場にあるのだろうか。
結局は、ある、という結論に至った。彼の立ち回りによって母が死んだようなものだったからだ。
(でも、フィオナ・ラインは彼を憎んではいなかったわ。とても優しい人だったから――。だけどわたしはそうじゃない)
彼女の思い出の中に、憎しみや怒りは一つもない。しかしフィオナは彼女とは違っていた。考えた末に、ルイに答える。
「フィオナ・ラインだったら許したかもしれませんけど、わたしは別に許しません。死ねとまでは言いませんけど、あの頭、無惨に禿げてしまえばいいんだわ」
フィオナの言葉に、堪えきれなかったのかルイは吹き出していた。




