距離縮まる
ルイの体は高熱を発し健康状態は良いとは言えなかったがすぐさま命の危険があるわけでもなさそうだった。休める場所を探していたフィオナは森の中に小さな木造の小屋があることを発見した。
山作業用の小屋だがしばらく使われていないようで、中の道具は埃をかぶっており、お世辞にも綺麗とは言えないがないよりは遥かにましだ。
ルイを抱えながら小屋に入り、体を横たえてやるとポツリと彼は言った。
「もしかすると近くに集落があるのかもしれないな、空を飛んでいる時に何か見えたかい」
彼が何を思っているのかわからないが、少なくとも冷静に現状を見ることにしたらしい。隣に腰掛けながらフィオナは答えた。
「ごめんなさい。無我夢中で飛んでいたから、よく分からなくて」
「謝ることじゃない」と彼はすぐに言う。
「少し休んだら人を探そう。ここよりはマシな寝床にありつけるかもしれない」
聞いてようやく、彼が今まで牢に閉じ込められていたことに思い至り、再びフィオナは立ち上がった。
「わたし、何か食べられそうなものを探してきます!」
だがルイは去ろうとするフィオナの腕を掴んで止めた。
「腹は減ってない」
それから縋るような目をして――少なくともフィオナにはそう感じた――フィオナを見て懇願――やはりフィオナにはそう感じた――した。
「側にいてくれ」
当然フィオナがその申し出を断るはずがない。
自分も空腹は覚えなかったため、横たわる彼の隣に腰掛けて、手を握った。彼も彼で黙ったまま手を握られている。
ルイの裸の上半身には大小さまざまな傷が付いていた。昨日今日できたものではないのだろうと考えて、フィオナの心は傷ついた。
(傷つかなければ生きてこれなかったなんて、こんなにひどい話はないわ)
思うのはどうしたって幼いルミナシウスのことだ。あの少年が可哀想でならない。
自分の記憶でもあるまいに、とは思うが、前世と思っていた思い出をそう簡単には割り切れない。フィオナの思いを知ってか知らずかルイはぼそりと呟いた。
「ジャグが貴女に突き飛ばされたと言っていたが、竜族なら怪力も納得だ。私達の誰一人として貴女が竜族である可能性に思い至らなかったとは、なんとも無様だな」
ルイは自虐じみてそう笑った。
「フィオナが飲んでいたあの薬は封竜薬と呼ばれるもので、竜人が人から竜の形となることを防ぐものだ。白銀が貴女を人の姿に留めておくために飲ませていたんだろう。思考にも作用していたのかもな」
休んでいるせいか、彼の口調も意識も先程に比べ明朗になっていくように思えた。
「本来の貴女は、とても頭のいい女性だと思うよ」
今まで頭がぼんやりとすることが多々あったが、そのせいだったのだろうか。
自分の頭の良さについては懐疑的だが、それについては黙っておく。
「あの……他の皆さんは、どうされているのでしょうか?」
聞くことが躊躇われる話題だった。特に弱ったルイに対しては。
だが避けても通れない。ルイは思い返すように、わずかに目を細めた。
「ギルバートは逃げおおせたはずだ。シルヴィアとジャグは、おそらく捕虜となり天空城だろう」
「ヘンリーさんは?」
「彼は死んだ」
驚いてフィオナはルイの顔を見た。彼の目は空中を見つめ、その表情に変化はない。
「あ……そんな」
涙を流したのはむしろフィオナの方だった。ルイが悲しんでいないのだから、自分が泣くのはおかしいと、そうは思っても大粒の涙が流れるのを止められなかった。悲しくてたまらない。
繋がれた手を離し、ルイはフィオナの涙を指で拭った。
「貴女はよく泣く。不思議だ」
不思議なのはルイの方だ。なぜ彼は泣かないのだろう。悲しくないのだろうか、それとももう既に、彼は涙を失ってしまったのだろうか。
「ヘンリー・ミラーを思うなら泣かないでくれ。仲間思いで勇敢な兵士だった。私達の果てにあるものは死だと、覚悟の上でここまで来た。
死んだ時にどうして欲しいか、私達は道すがら度々話していたんだ。自分が死んだら、思い出話で笑っていてほしいと彼は言っていた」
ルイの口ぶりからして、ヘンリーだけではないのだと、フィオナは気がついた。
(今までも、きっとそうだったんだわ。彼の周りで、たくさん死んだ。死ぬ覚悟で戦ってきたんだ)
繰り返されてきた死の一つ一つに立ち止まり嘆いていたら、ルイは前に進めなかったのだろう。
フィオナは両手を握りしめた。
(悲しみに浸っているだけじゃだめだわ)
今すべきことだけを考える。
「助けに行かなくちゃ。シルヴィアさんと、ジャグさんを。わたしならあの城からだって助けられます」
言ってから、そのとおりだと思えた。自分の言葉に励まされる。
「向こうもそれを見越して体制を整えてくるだろう、たった二人で特攻するか。犬死になるだろうが――」
ルイはそこまで言って小さく笑った。
「まあ、それも悪くない」
それがまたしても退廃的な笑みに思え、フィオナの心はざわついた。
――長生きするつもりもねえんだろ、とルイを評したギルバートの声が蘇る。
「あの魔剣が、ルイ様の命を奪っていると聞きました。貴方はあとどれくらい生きられるのですか?」
さあ、とルイは首を横に振る。
「十年かもしれないし、明日突然死ぬかもしれない。私にも分からない」
刹那的な生き方だ。自らの命をさっと捨てられるごみのように扱うのは、彼の過去がそうさせているのだろうか。ルミナシウス・ルカリヨンの人生は喪失の連続だっただろうから、自分の命さえも吹けば飛ぶほど軽く考える。
記憶の中にある少年の無垢なる笑顔を思い返した。陰りのない笑顔は、二度と彼には現れないのかもしれない。
(生きていることは罪悪を抱くことではないのに。だけど、わたしに何が言えるの?)
フィオナはフィオナ・ラインでもないし、命を懸けて戦い抜いたこともない。フィオナが今生きているのは守られていたからで、自分で勝ち取ってきたものではなかった。
「わたしは貴方に、長生きしてほしいです」
そう口にするのが精一杯だった。




