新たな竜人
「僕は狩りがあまり得意ではなくて」
記憶の中のルミナシウスの、照れたような表情を思い出す。フィオナ・ラインがいた牢は薄暗く悲惨なものだったが、ルミナシウスがいるときだけは空気さえも明るくなったような気がしていた。
「獲物に最後にとどめを刺すんですけど、それが怖いんです。父や、周りの護衛には笑われてしまいますけど、できることなら何者の命も奪わずに生きていきたい」
他愛もない会話。されど孤独な最期を覚悟していたフィオナにとっては大切な時間だった。
――ルミナシウス様が王位に立たれる時、きっとこの国は優しい王国になっているに違いないわ。
そんな風に考えた。
国が滅び、彼もまた亡くなるとは想像もしていなかったからだ。
トリデシュタイン公国領の屋敷の中で、前よりずっと明瞭に前世の記憶を思い出す。
かつての自分が死の恐怖に飲まれなかったのは、生まれ変わりの伝承を信じていたことの他に、ルミナシウスの存在も大きかった。
(かけがえのないお友達。可愛くて愛しいお友達。出会い方が違っていたら、きっとわたしの家族とも仲良くなってくれたって――そんな風にわたしは考えていたわ)
だがその彼は、フィオナの番に殺された。それをどう受け止めたらいいのか、フィオナにはまだ分からない。
安静にしていてくださいとシルヴィアが言ったため朝からずっと上半身だけ起こしてベッドの上にいた。
彼女が作ってくれた朝食と昼食を腹に入れ、時間潰しにどうぞと渡された本を眺めながら、時折前世に思いを馳せた。
シルヴィアは朝からずっと側にいてくれて、椅子に座って剣や装備の手入れをしながらも、時々他愛もない会話をフィオナとした。シルヴィアの語る異国の話はフィオナにとっては新鮮で、昨晩ルイが言ってくれた言葉を思い返しながら、いつか自分の足で旅してみたいと考えた。だから彼女にこう言った。
「白銀様と再会したら、塔にずっといるのは嫌だと言おうと思うんです。だってわたし、みんなに守ってもらいながらだけど、こうして全然知らない場所でもちゃんと生きているんだもの。馬にも乗れたし、泉で水浴びだってしたし、野生の動物を食べたりもしたし」
白銀と再会して、この冒険を話したらどんな顔をするのだろうかと思った。
(もしかしたら信じてくださらないないかもしれないわ。だって驚くことばかりなんだもの)
聞いたシルヴィアは眉を下げる。
「フィオナは外の世界が好きですか?」
「はい」とフィオナは笑顔で即答した。
「みんなと会えなくなるのも嫌です。せっかく仲良くなれたんだもの。ギルバートさんにも魔術をもっと教えてもらいたいし、シルヴィアさんとも街で買い物したいです。ジャグさんにもまだ地理と歴史を習っていないし――お願いしたら教えてくれるって約束していただいたんです。ヘンリーさんは連邦国の美味しいお店に連れてってくれるって」
隊の皆と話す度に、今まで狭かったフィオナの世界は無限に広がっていくように感じていた。
――それに、ルイ様とももっと話したい。彼の考えをたくさん知りたい。
だがその思いは飲み込んで、再び言う。
「だから白銀様に、ちゃんと話してみようと思うんです。あの方に信頼されている皆さんだもの、きっと会うことを許してくれると思うんです。それでみんなと、一緒に、これからも――」
言った瞬間、シルヴィアの顔に悲哀が浮かんだのが分かってフィオナは言葉を紡げなくなった。彼女がなぜそんな顔をするのか分からない。
シルヴィアは立ち上がると、今度はベッドの端に腰掛けて、真剣な顔をして、片手でフィオナの頬に触れる。
「フィオナ……実は、私達は」
彼女が何かを言いかけた時、ふいに外で気配がしたのが分かった。
数人の男。早足で。軍人のように規則正しく。
こちらに向かって来ている。
シルヴィアも、フィオナと同様それを感じ取ったのか再び立ち上がり、扉の外に目を向けた。
「誰か来たみたいですね。……兵士のようです。だけどなんだか様子がおかしい」
遅れて扉を叩く音が聞こえ、シルヴィアが近寄り、開く。
刹那だった。現れた兵士の剣がギラリと光り、即座に振り下ろされた。
「きゃあ!」
フィオナは悲鳴を上げた。
フィオナには理由の見当もつかないが、兵士達は明らかな敵意を持っていた。
間一髪で剣を躱したシルヴィアは、机の上に置かれた自らの剣を取るとその兵士の体を突き刺す。兵士の体から噴出した赤い血しぶきが宙を舞う。
だが別の兵士が、数人がかりで彼女の体を捕まえ、数本の刺股で床にひれ伏せさせた。シルヴィアは目をフィオナに向けながら叫ぶ。
「フィオナ! 逃げて!」
暴れるシルヴィアから翼が出現し、落ちた白い羽根が空中を彷徨い床に落ちる。翼に緩み、刺股が抜け、彼女は再び剣を拾い上げ兵士達を斬りつける。
だが廊下が光った瞬間、彼女の体は裂けて血を流し、再び床に崩れ落ちた。
「きゃあああ! いやああああ!」
フィオナは大混乱だった。
――逃げなくちゃ、わたしも殺されてしまう。だけどこのままだとシルヴィアさんが死んでしまう。
無我夢中でギルバートに習った魔術をシルヴィアに放った。治癒の魔術だった。魔法陣が現れシルヴィアの血が止まる。致命傷を受けたのなら傷は治れど命は戻らないとギルバートは言っていた。
だからシルヴィアの胸が上下し呼吸が確認できた時、フィオナは心の底から安堵した。少なくとも生きてはいる。
(次にどうすればいい? シルヴィアさんを抱えて逃げる?)
迷っている間にも兵士たちは部屋に続々と侵入する。ヒト族が多いのを見るに、公爵家の私兵ではないかとフィオナは思った。
「いやああああ! 無理、無理ー! あっちへ行って! 行ってったら!」
叫びながら、フィオナは攻撃の魔法陣を出した。人工精霊のルミナシウスも混乱したように部屋の中をはちゃめちゃに飛び回る。このまま魔法陣をぶつけて、何が何でもシルヴィアを抱えて逃げようとそう思ったときだった。
ふいに、フィオナの腕に触れた手があった。ついで大声が聞こえる。
「落ち着いてくださいフィオナ様! 貴女に危害は加えません!」
一瞬、それは白銀に見えた。背が高く、髪を肩まで伸ばし、色白で、精悍な顔立ちをした、男。床を引きずる白いローブが肩から垂れていた。
しかしよく見ると白銀とは別人だった。髪の色は薄い青色で、白銀のその名の通りの銀髪とは違う。
だが目の色は金色で、白銀と同じ美しい色をしていた。その目に含まれた親愛を読み取って、困惑しながらもフィオナは落ち着きを取り戻した。
「貴方は――?」
腕から手を離すと、彼はフィオナの前に跪き、主人に傅く召使さながらに頭を下げた。
「私はフローダストと申します」
兵隊たちも動かずに見守っている。
――フローダスト。
その名を、聞いたことがあった。
「竜人の方……?」
問うと、彼は顔を上げて頷いた。
「烈火の息子にございます」
竜人達は、皆整った外見をしているのだろうかとフィオナは思った。浮き世離れした彫像のような外見だ。やはりどこか、白銀に似ているような気もした。
烈火というのは白銀の弟の名だ。だとするとフローダストは白銀の甥に当たる。血の繋がりがあるから白銀に似ているのだろう。だがなぜ天上の人のような竜人の王族が、フィオナの前に現れたのか分からない。
フローダストはフィオナを見上げて微笑んだ。
「フィオナ様。貴女を助けに参りました」
「助けに……?」
ベッドの上で未だに状況を飲み込めないフィオナに向けて、彼は再び頷いた。少し収まっていた混乱が、またしても頭をかき乱す。ようやく考え至ったのはシルヴィアのことだ。何が起こっているのかは知らないが、シルヴィアは攻撃され倒れている。
「そ、その前にシルヴィアさんを助けてください!」
彼女はまだ目を閉じて、気を失ったままだった。
だがフローダストは微笑みを崩さないまま否定した。
「その必要はありません。この者は、貴女の敵です。貴女は卑劣な者達に騙されていたのですよ。白銀王を討伐するために、人質として誘拐したのです。ハリル・トリデシュタインが私の父に報せをくれたので、貴女の居場所が分かり、私が救出に参りました」
「何? なにを言っているの?」
眉が寄るのを止められなかった。
そんなわけはない。
(だってルイ様は、ずっとわたしを守ってくれていた。塔でも道中でも、ずっとわたしを気にかけてくれていた。他のみんなだってすごく優しかったのに!)
そんなわけない。そんなわけない――!
頭は混乱し続けていた。
険しい顔をするフィオナに向けて、フローダストは幼子に言い聞かせるように辛抱強く言った。
「いいですか。ルイ・ベルトールは、貴女を利用するために連れていたのですよ。守るためではありません。用済みになれば貴女のことだって殺したでしょう。冷徹で、悍ましいことを顔色一つ変えずに実行する男です。
ですが、もう心配ありませんよ。今頃彼等は公爵家の兵によって捕えられているはずですから。あるいはその前に、黒百合様によって倒されているかもしれません」
フィオナの疑念は未だに晴れない。フローダストと名乗った彼に対して敵意さえ向けていた。なぜならルイに、危害を加えようとしていると言うのだから。
しかし彼はお構い無しにフィオナの腕に再び触れると穏やかに言った。
「さあ、行きましょうフィオナ様。私の父、烈火が貴女を待っています。前世で会ったことがあるかと存じますが」
一瞬のことではっきりとはしなかったが、移動魔法が使われたように感じた。
次の瞬間にはもう、フィオナは知らない宮殿の中にいた。




