わたしはあなたの夢を見る
自分が倒れたことは自覚していたが、だからといって立ち上がる気力はなかった。ベッドに横たえられる感覚だけは、ぼんやりとあった。
朦朧とした意識の中にいた。体が熱を持ち、内側から灼熱が放出するようだった。
目を閉じているからか視界は暗かったが耳はずっと働いていて、遠くで人が話している声がした。
「彼女の容体は」ルイの声だ。
「高熱を出しています。どうしてこんなに急に?」これはシルヴィアの声。
「分からない、突然倒れたんだ」
再びのルイの声の後に、焦るヘンリーの声がした。
「団長! 例の獣人が現れました! 捕えましたが、喚いています」
応対するようなくぐもった声がした直後に、ノットの大声がした。
「薬をちゃんと与えていたのか!? なあ、あんたが奪ったあれだよ!」
「得体の知れないものを投薬できない」
「このままじゃ死んでしまう! いいからさっさと与えてやってよ!」
それから小声で、幾人かのやりとりがあったようだが、会話の内容までは分からなかった。
しばらくの後、フィオナの口に薬と水が流し込まれる感覚があった。
無意識にフィオナは呻いていた。
「いや……それは飲みたくないの……」
塔でもその薬は与えられていた。必要だからと説明を受けていたが、好きではなかった。
いつも薬を飲むと、それまで明瞭だった思考がたちまち曖昧になっていく。それがたまらなく嫌いだった。
だが薬が体に入った後、内側の熱が徐々に収まっていく。
――効果はあるようですね。
そう言うシルヴィアの声がした。
無我夢中で、空中に向かって手を伸ばす。
「お願い、お側にいてください……。それ以上は、望みませんから……」
フィオナはすすり泣いていた。それが白銀に向けたものか、ルイに向けたものかも、自分でも分からないまま救いを求める。
応じるようにそっと手に触れた冷たい手があった。
「側にいるよ」
ルイの声だった。
(彼が、わたしに触れたんだわ)
優しい声色は、もしかしたら都合よく思い描いた幻だったのかもしれない。
だが彼だけが、今のフィオナが知覚できる全てのものだった。彼がフィオナにとっての指針だった。なぜこれほどまでに彼に固執しているのか分からないうちに、ただひたすら求めてやまないのが彼だった。
そうしながら、意識は闇の中へと落ちていった。
――――あ、夢を見ている。と思った。
懐かしい夢。とても幸福な夢。だけど、ひどく悲しい夢を。
◇◆◇
竜族の住む天空の城の周辺には池や森があり、見たことのない動植物がいた。氷の角を持つ鹿や、魔力を帯び光る蝶、朝晩で色の変化する花――その全てが輝いて見えた。
そんな庭を散歩するのがフィオナはとても好きで、白銀と一緒に幾度も歩いた。
「貴女がいると、毎日が輝いて感じるよ。愛しい私の番――」
白銀はいつもそう言ってくれた。
彼は間違いなく美しい人ではあったが、時折瞳に差す暗い陰が無性にフィオナの胸を締め付けた。その陰の正体を、ある日彼は教えてくれた。
「この大陸の支配を命じたのは私の父で、西大陸も父の代で制圧したほどに優れた人だ。私もかつては心酔していた。だから私も、命じられるまま、随分と強引にこの大陸を人々から奪ったんだ。疑問さえも抱かずに……思えば父の傀儡のようなものだったかもしれない」
白銀が東大陸の支配を始めたのは三百年ほど前のことだ。
「だけどある時、違和感を持った。この大陸に未だある反竜の空気は、そういった侵略行為が生み出したはずだ。争乱が起き、人々が今も苦しむのは、我々の傲慢さが原因としてあるのではないかと考えてしまった。
妹の黒百合や弟の烈火は今も父のやり方に倣っているけれど、私の日々は暗澹たるものだったよ。そんな時だ、貴女を見つけたのは」
フィオナの手を握る白銀の力が、わずかに強められる。彼は言った。
「実は貴女が私を知るずっと前から、私は貴女を知っていたんだ」
ふ、とフィオナの口元が緩む。知っていた。
ずっと幼い頃に、遊んでくれた大好きなお友達――。
(わたしにしか見えない、秘密のお友達がいたわ)
庭の大木に白い布が結びつけてあると、その人が来ている印だった。
領地の森の中で、彼とフィオナは会った。知らない世界の話や、綺麗な魔法も見せてくれるその人のことを、フィオナはとても好きだった。
ヒト族ではないように思っていたが、どの種族かは分からなかったし聞くこともなかった。当時のフィオナには、種族の差などさほど気にするものではなかったのだ。
けれど成長するにつれて、その友達は姿を現さなくなった。悲しくて泣いて母に訴えると、小さい頃にはよくあることだと、優しく諭されたのを覚えている。
フィオナは白銀に笑いかけた。
「気づいていました。幼い頃にわたしと遊んでくださったのは白銀様だったのでしょう?」
白銀も優しく微笑み返す。
「わたしを番だとその頃にはもう気づいていらしたのに、どうして姿を消してしまったのですか? わたし、とても寂しい思いをしました」
少し甘えて責めると、白銀はほんのわずかに淋しげな表情を浮かべた。
「あれ以上貴女の側にいたら、私は離れられなくなってしまうと思った。幼い貴女を無理矢理にでも連れ去って妻にしてしまうかもしれないと思って……そう思ったら恐ろしかった。私は、貴女が幸福だと思う生き方を自由に選んで欲しかったから」
白銀はそう答えた。
フィオナが彼を見上げて微笑むと、口付けをしてくれる。そのたびに、フィオナの胸は満たされた。
幸福な記憶。未来は希望に溢れていると、信じて疑わなかった。
なぜならフィオナ・ラインは女神を信じる純粋な少女だったからだ。
(――だけど女神様は彼女を裏切った。祈りは届かずに、フィオナ・ラインは死んじゃった)
フィオナは思う。
フィオナ・ライン。可哀想な女の子。運命の人をただ愛していただけなのに。
しかしフィオナは思わずにはいられない。
ねえフィオナ。処刑されたとはいえ、貴女は幸せだったんじゃないの? なんの違和感も抱かずに白銀様の腕に抱かれていれば幸福だったのだから。
わたしは違う。フィオナ・ラインとは、全然違う。
白銀様に愛されるほどに募る罪悪感がある。彼と同じようには、彼を愛せない罪の意識があった。
だって彼が見つめているのは十七年前に愛したフィオナ・ラインの記憶だもの。だけどそれは、わたしの記憶じゃない。わたしは故郷も家族も友人も持っていないから。
今のわたしが持っていたのは、塔と、白銀様の記憶だけ。たったそれだけ。
夢の合間を縫うようにして、散漫な思考が入り込む。
――フィオナ・ラインはわたしじゃない。わたしは彼女になり得ない。
じゃあ、わたしは誰なの――?
誰でもない。単なるフィオナ・ラインの代わり。ただそれだけ。壊れたら取り替えるだけの代替品。
だけど今は、少しだけ違う。
ルイ様達と出会って、わたしは初めて、塔と白銀様以外の記憶を持ったの。たった数日のうちに、信じがたい世界を垣間見たんだわ。
それこそが、前世のフィオナ・ラインとは異なり、わたしがわたしである証拠のように思えるの。




