無垢なるもの
ルイは鐘楼の塔の上からフィオナの姿を見留めて、胸の内に激しい怒りが生じたことに気がついた。
(なぜ来た!)
彼女の周囲にヘンリー・ミラーとジャグ・ダガーの姿は見当たらず、変わりに縛っていたはずの獣人ノットの姿があった。振り切られて逃げられたか。
街以外に逃亡されなかったのは幸いだが、今まさに竜を倒すこの場面で、人質のように連れてきた少女――本人に人質の自覚はないにせよ、彼女がいるのは邪魔でしかなかった。
この街を襲っている統率者は、明らかに目前にいる竜の姿をした竜人だ。翼を広げた大きさは三馬身ほど、竜人は魔力に比例して大きさが変わるため、位としては中堅だろう。王族の配下の可能性があった。
頭を取れば街中で暴れている他の竜人は逃げていくはずだ。故に最優先は、この竜人の討伐だ。
竜の倒し方には定石がある。まずは片翼を傷つける。飛来している場合は均衡を崩し地に落とし、地を這っている場合は飛翔を防ぐことを目的とするためだ。
次に接近し、頭蓋の真上から真下に垂直に剣で貫く。
外皮の硬い竜は通常攻撃で致命傷を負うことは少ないが、頭頂部の頭蓋と頭蓋の間にわずかに隙間を持っており、唯一鱗が薄く、そこを突くことで死に至らしめることができた。そのため対竜戦では対象への接近が最重視されているが、接近する前に殺されることも多い。
だがルイに限っては、頭蓋を狙う必要がなかった。この剣は空を切れば疾風が生じ、盾とすれば炎を断ち切り、竜人の皮膚に突き刺せば、それがどの部位であれやすやすと刃を通し、急所に突き刺せば呪いが毒となって命を奪う。そういう類の剣であった。
故に翼を傷つけ地に落とせば、後は殺すのみである。
後方支援にはシルヴィアとギルバートが当たっていた。飛び回る竜をシルヴィアが物陰から魔術により攻撃している間、ルイは共に前へと出てきたギルバートによる防御の魔法陣を炎から身を守る盾にしながら接近し、今まさに、剣を翼にぶち込もうというところであった。
が、フィオナの出現により、一瞬だけ気が逸れた。その隙を竜人は見逃さなかった。
巨体を回転させたかと思うと、その尾をバネのように折り曲げ、ルイ目がけて振りかざす。鐘楼の上にいたルイは、建物ごと地面に叩きつけられた。
「ぐっ……」
痛みが全身を包むが、耐える間もなく転がって即座にその場を離れる。刹那、竜人から炎が吐き出され、先程までルイのいた場所が灼熱の炎に包まれた。
ギルバートによる肉体強化の魔術がかけられていなければ地面に叩きつけられた時に骨は折れ、高温の炎に焼かれ、その骨さえ残らなかったかもしれない。魔剣を握るルイは自らの魔力のすべてを剣を操るために注いでいるため、魔術はギルバートとシルヴィアに頼る他ない。
彼等に感謝だな、と建物の陰に身を隠しながら考えた。
近くにいたギルバートにも怪我はなく、対面の建物の壁の側に寄っているのが見える。
――すまない、しくじった。
ルイは彼に目で合図を送り頷き合い、互いの無事を確かめた。
(再び隠れながら屋根の上まで接近するか?)
凶暴極める竜人だが、知能は高い。死は無論、皆、覚悟の上であるが、竜人を殺さずして無駄死にはごめんだ。
しかし接近しなくては話にならない。
(仕留めるには相応の犠牲は覚悟しなくては――)
ルイがギルバートに作戦の続行を伝えようとしたその時だった。ルイと共に吹き飛ばされた塔の瓦礫を避けるようにして、石畳の上をフィオナが駆けてきた。そのすぐ後ろに、ノットの姿もある。
どちらの体にも傷はなく、服も汚れていない。竜人と街の兵士との戦闘はそこかしこで勃発していたが、運よく巻き込まれなかったらしい。
一体なぜ、彼女がルイの居場所を正確に掴むことができたのかは分からないが、目が合った。
途端、彼女は安堵の表情を浮かべて叫んだ。
「ルイ様! ご無事ですか!」
だがルイは自分の安全を伝える余裕はなかった。彼女のすぐ背後に竜人がおり、鋭い爪を向けていたからだ。ノットも気づいたらしいが、装備のない彼では戦えない。彼女に死が迫っている。
「フィオナ! 伏せろ!」
と言うのと、ルイが剣をフィオナの背後に向けて飛ばしたのはほぼ同時だった。
フィオナはルイの声を聞いた瞬間、その身を伏せる。次には剣が、竜人の体に突き刺さった。
――“竜殺し”というのが、その剣の名前だった。
メリア連邦国が竜族に対抗すべく魔術を込めて鍛え上げた、竜を殺すためだけに存在する魔剣であった。
呪われた剣、と評する者もいた。悍ましい剣、と忌み嫌う者もいた。そうでない者は聖剣と呼んで崇めた。なぜなら剣には、魔力を集約し強化するために、数多の魂が練り込まれていたからだ。
捧げられた生け贄の数は九九九人。いずれも自ら志願した、竜族を殺すためなら命さえ惜しくないと心の底から考える、魔力の高い者達だった。
本来であれば、千人の魂が練り込まれるはずだった。だが丁度千人目の死の前で、剣の噂を聞きつけた竜人が襲いに来た。
千人目だった少年は、自らの首を刎ねる予定だったその剣を手に取り、襲撃しにきた竜人を片っ端から殺してしまった。
以来、剣は少年のものとなった。死ぬはずだった少年は竜殺しの英雄となり、反竜を掲げる者達の希望を乗せた偶像となった。
その少年こそルイ・ベルトールだ。同志の死を吸ったこの剣を、ルイは常に我が身の側に置いていた。生き残った者の贖罪として、彼等の死ごと生きる覚悟だった。
たとえ片時だろうと、剣を手放したことはなかった。――今、この瞬間までは。
ルイはフィオナの背後にいた竜人の体を剣が引き裂き、鮮血を吹き出させるのを見ながらも、自ら剣を投げつけた行為に唖然としていた。剣を持たない片腕が、妙に軽く感じる。
フィオナの隣にいたノットが竜人の死を目の当たりにし、驚愕のままルイに向かって叫ぶ。
「おい、何が起きてんだよ!?」
「竜が人を殺している。それ以上の事実はない!」
剣に向かって駆け寄り、竜人の死体から引き抜きながらルイは答えた。実際、ルイを含む隊の誰も、なぜこの街を竜族が襲っているのか分からない。だが竜がそこにいる、というだけで彼等にとっては敵だった。戦う理由はそれだけだ。なぜなら皆、竜人によって親しい者を殺された復讐者だからだ。
フィオナは青ざめた顔で震えている。
ルイを見上げる澄んだ黄金の目は純粋そのものだ。美しい少女だ、とルイはまた思った。
この世に無垢で汚れないものが残されているのだとしたら、それは唯一、白銀により保護され悪を知らずに育てられた彼女だけかもしれないと、愚かにもルイは考えた。
顔にも体にも傷一つなく、悲しみも穢れも、何一つ知らない純なる人。この暗黒の時代に彼女のような存在が作り出されたのは、番だけは美しくあってほしいと願う、白銀による恣意的なものか。
(こんな存在があっていいはずがない)
――その感情が同情なのか、憐憫なのか、怒りなのかも分からないまま、気づけばルイは彼女の手を取り衝動のままに抱き寄せた。
腕の中で、彼女の体がびくりと震えた。




