知ってしまった恋心
フィオナから距離を取り、こちらの声が届かなくなったところで、ルイは捕らえた獣人の口轡を外した。
途端、罵声が浴びせられる。
「ふざけるなよ! さっさとこの縄をほどけ、くそ野郎!」
獣人とひとくくりにしても、その種族は多岐に渡り、寿命も生態も様々だ。
同種の獣人の中でも、獣の顔を持つ者や、ヒトに近い顔を持つ者もいた。なぜそうなるのかは未だ解明されていないが、遺伝の問題だというのが大方の見方だ。
目の前で捕らえられているのは、狼族の耳と尾を持ちながら、顔は人に近い姿の獣人だった。赤い髪の毛の間から、同色の大きな耳が飛び出ている。
狼族は聴覚と嗅覚に優れており、姿の見えない敵の追跡に重宝される。彼もその特性を生かし、追跡してきたのだろう。
「君の命が、私の慈悲で生かされているということを忘れるな。聞きたいことがあるだけだ、そう噛みつかないでくれ」
だが獣人は赤毛の耳を後ろに倒し、敵意を隠すことなく言う。
「あんたを知ってる。竜殺しのルイ・ベルトールだ。“竜殺し”という剣の名前が、そのままあんたのあだ名になったって、言ってる奴がいた。その剣に九九九人の魂を練り込んだって本当か? ヒト族は悪知恵を巡らせて、忌々しいことばかりする」
それは確かに事実だった。
メリア連邦国は竜族に対抗すべく魔力を練り込んだ聖剣を打ち、そこには九九九人の魂が捧げられている。その剣は竜殺しと呼ばれ、いつしか剣の名はそのままルイのあだ名となった。
煽っているのか、純粋な疑問なのかは判断が難しいところだったが、彼の言葉を無視してルイは問いかけた。
「狼族の暮らす地域が竜族に滅ぼされたのは十八年前だったか。それから奴隷を続けているのか? 見たところ、捕らえられたのはまだ赤ん坊の頃だろう」
竜人は侵略すると決めた地域を必ず我が物としてきた。そうして捕えた土地の者は、まだ年端もいかない子供であれば奴隷として教育――ルイに言わせれば洗脳だが、することが多かった。
何を言われているのか分からないように、獣人は目を丸くして黙った。だが後ろに倒されていた耳は立てられ、じっとルイの言葉を聞いている。
「竜人が憎くはないのか。同胞を殺した連中になぜ従えるのか私には分からない。君の親兄弟は竜人によって殺されたんだろう?
力で抑えつけられている現状を恥とは思わないのか。君は尊厳を失い、支配されているんだぞ」
「黙れ! 俺は子供の頃から白銀様に仕えているんだ! お優しい方だよバーカ!」
本気で獣人は言っているようだった。白銀直々に、最も大切にしている番の薬係を命じたのだから、忠誠心は相当に厚い者だろう。
この場での説得は無理だと思い、先ほど獣人から奪い取ったものの中に含まれていた短剣を取り出した。
「“ノット・ティルティガー”、これが君の名か?」
短剣には、名前と思しき文字が刻み込まれていた。どうやらそれは正解だったらしく、獣人は威勢を無くし黙り込んだ。
「追っ手は何人だ? 君以外に、側に誰かいるのか」
「……知るか」
「白銀王はどれほどの時間で我々に追いつくと思う?」
「答えるわけないだろ!」
「あの薬は、実際何なんだ?」
「俺は知らない!」
「番を探っていたという竜人達に心当たりはあるか」
「分かるわけない!」
ノット・ティルティガーの態度は、協力的とは言えない。
ルイがそうしてノットと問答していると、しびれを切らしたらしいヘンリーが背後から声をかける。
「団長、その者を殺すなら僕にやらせてください。故郷を滅ぼした聖竜帝国の兵士の中には、狼族も混じっていたんだ」
今年で二十になるヘンリーはルイと同じように故郷を無くした者だった。そして同じように竜人を憎んでいる。
だが今ここでこのノットを殺すつもりはなかった。
「待て、殺すな」
ルイはそう言って、仕方なくノットの口に再び轡を嚙ませて転がしておいた。
ノットがもたらした重要な情報がある。ルイの手の中にある薬瓶だ。
(この薬が何なのか、調べる必要があるな)
尋問は後の二人に任せて元いた場所に戻ると、意外なことに笑い声がする。
一体いつの間に仲良くなったのか、残した三人は仲良く並んで焼き菓子を食べていた。
よい雰囲気の中では忍びないが、ルイはシルヴィアを呼び、フィオナと距離を取ったところで、ノットから取り上げた薬瓶を渡した。
「シルヴィア、君は薬学に詳しいだろ。この成分が分かるか」
瓶を受け取り中身を凝視しながらも、ここでは分からない、と彼女は言う。
「国の知人へ送れば調べてもらえるかもしれません」
「早急に頼む」
この先にある街に補給のため寄るつもりでいた。郵便もそこから出せばよい。
「念の為、半量だけ預かっておきます」
シルヴィアはそう言って、持っていたらしい空の小瓶に慎重に液体を半分移した後で、元の瓶をルイに戻した。
「薬を、ひと月に一度飲んでいれば抑えられる病気があるのか。これを飲まないと、フィオナは死ぬということはあり得ると思うか?」
そんなものはないのではないかと疑いながら、ルイはそう尋ねる。シルヴィアも首を捻った。
「普通、薬というのは症状が収まるまで毎日飲みますけどね。ですが竜族の持つものですから、秘術が使われているのかもしれません。
あるいは頻度を彼女が勘違いしているとか? あの塔じゃ時間の間隔なんて曖昧になってしまうだろうし、実際はもっと頻回に飲んでいたのかもしれませんよ」
とはいえこの二日間、疲れてはいたもののフィオナは元気に過ごしていた。即座に命に関わるものでもなさそうだ。
と、シルヴィアが何かを言いたげにルイを見つめていることに気がついた。
「なんだ?」
「あの狼族、殺さないんですか。食糧を分けて連れて行くつもりですか。何のために? 邪魔でしょう」
血気盛んな部下達は、どうしてもあの捕虜を殺したいらしい。
ルイは初めて本心を語る。
「……竜人の奴隷として今まで生きてきたんだ。哀れだ。彼を解放してやりたい」
「へえ?」
物珍しげなシルヴィアの視線に、ルイは思わず言った。
「なんだよ」
「貴方が竜族以外には、とてもお優しい方だということを忘れていました」
優しいつもりはなかったが、反論する前に、既に話題は他に移る。
「そういえば、フィオナですが」
と、言われた次の言葉は、流石のルイも遙かに想定外なことだった。
「貴方に好意があるようです。可愛らしいことに、恋をしているんですよ」
「…………こい?」
理解できずに、ルイは聞き返した。
「はい。恋です。否定されてしまいましたが、間違いありませんよ。貴方と話す彼女の心音、呼吸、発汗量、体温、瞳孔の大きさからそう判断しました」
シルヴィアは飛翼族だった。飛翼族は翼を使い空を飛ぶ。目はあまりよくないが、その変わり敵から実を守るために、別の感覚が発達していった。すなわち相対する者の状態が分かるのだ。熱源、興奮状態、敵意、など。
戦場では大いに役立つ能力だが、まさかこんなことを言われるなど想定外だった。
ルイは休息を取っているフィオナを見た。彼女もこちらを見ていて、目が合うと思わなかったのか、瞬時に顔が赤くなっていた。
(恋だって?)
馬鹿な。そんな馬鹿げたことがあっていいはずがない。
(出会って数日で、なぜそんなことになるんだ。第一、彼女は白銀の番だろう)
再びシルヴィアに言う。
「君の勘違い――」
だが言葉は遮られる。
「そういうのって、理屈じゃありませんからね。……彼女という切り札は、絶対に逃してはいけません。団長は彼女の心を離さないように、恋に応えてあげてください。いっそのこと白銀王から奪い取ってはいかがです?」
たたみかけるように言うシルヴィアに、ルイは反応が遅れる。
「待ってくれ、私に婚約者がいることは知っているだろう。彼女を裏切れない」
国で今も一人、ルイの帰りを待っているであろう婚約者のことを思った。愛という言葉で単純に割り切れない感情を、彼女に対して抱いている。他の誰かを恋人とするつもりはなかった。
「貴方に婚約者がいる話は彼女にはしていません。竜族を一人残らず殺すためならどんな手でも使うと言ったのは貴方ですよ。愛しているふりくらい簡単でしょう? “竜殺し”の英雄さん」
ルイは唖然としたまま、再びフィオナを見た。彼女は菓子を頬張っていて、もうこちらを見てはいない。
てっきり、騙されやすい世間知らずだからルイの嘘にひっかかり、付いてきたものと思っていた。
だが惚れたから付いてきたのか?
そんな馬鹿なことがあり得ていいのか、とまた思った。
ルイは脳裏に、前世のフィオナ・ラインの姿を思い浮かべた。慎重で聡明な娘だった。
美しく、凜として、死に際しても恐怖を抱かず、祈りながら死んでいった誇り高い人物だった。だが今のフィオナは、素直さはあるものの、ぼんやりとしている時間が多く、夢見がちな少女に思える。
生まれ変わりだとしても、性格がそのまま引き継がれるわけではないのだろうか。あれほど見た目が似ていても? あるいは別の要因が作用しているのだろうか。
冷静になろうとする思考の隙間に、混乱が再び頭をもたげて入り込む。
恋。恋だって? あのフィオナ・ラインからそんな感情を向けられるなんて、あっていいのか。いや、彼女は生まれ変わりで、フィオナ・ラインではなくフィオナだ。前世とは違う――。いや、違うのか? 彼女はどこまで前世の記憶があるんだ。いや、そもそも彼女は俺が誰だか気づいていないから、記憶があるにせよ……。
(俺に、どうしろというんだ――?)
一体これはなんの試練だ。いやいや、試練を課しているのはこの愉快犯のシルヴィアだ。
思考が様々に巡る。ルイは混乱していたが、それを自覚していなかった。戦闘以外にはめっぽう弱い男であるが、やはりそれを自覚していなかった。
シルヴィアは、念押しとばかりに言ってきた。
「彼女が味方でいてくれるかどうかは、貴方の腕にかかっていると言っても過言ではありません。応援していますよ」
無論、大切な駒であるフィオナを手放すつもりは毛頭ないが、斜め上方向からの作戦を、素直に認めるわけにもいかなかった。
「シルヴィア、君……楽しんでいないか」
「まさか。とにかく薬のことは任せてください」
と軽快に笑った後で、シルヴィアは立ち尽くすルイの側を離れて行った。




